まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

門司港「潮風」号と壇ノ浦合戦

2009年05月12日 | 旅行記H・九州

久しぶりに福岡旅行の記事を書いてみる。

旅行初日(3日)の午後は再び関門海峡をめぐることにする。ということで、門司港駅の横に設けられた観光トロッコの「九州鉄道記念館駅」に現れる。実はこの列車に乗る予定で指定席を事前に用意していたのだが、この列車の指定席券、全国のローソンチケットで購入することができるのである。Loppiでは事前申し込みの引き換えも出来るし、直接操作して購入することもできる。もちろん当日駅の窓口でも買えるが、この日は指定席は終日満席、自由席は90分待ちという賑わいであった。

Dscn0226急こしらえのホームに出ると、両端に小さな機関車をつけた2両の貨車がやってきた。かつて島原鉄道や第三セクターの南阿蘇鉄道で使われていた車両である。満杯の乗客を降ろし、ホームにあふれていた乗客を乗せる。客層は観光目当てのカップルや家族連れがほとんどだが、中にはやはり「その筋」の人の姿も見える。

「現在休止となった貨物線の上を走りたい!」という気持ちはあるものである。ブログなどでは「日本のすべての鉄道を乗りつぶした」という人でも、この路線が営業開始をしたと聞くや、「乗りつぶしのタイトルを維持しなければ」ということでわざわざ門司港まで出てきたという話がある。それだけ注目度の高いところである。

Dscn0228さて「潮風」号はゆっくりと走り出す。別に急いでどこかに向かわなければならないというものではなく、ゆったりとした走りである。線路に沿って遊歩道が整備されており、中の乗客と遊歩道を行き交う人が手を振り合うという光景が見られる。それにしても、列車を見ると手を振りたくなるのって、よく考えてみれば不思議なことではないかな。あまりクルマやバスに手を振るという話は聞いたことがなく、列車に「何か」があるということなのだろうか。

Dscn0231レトロ地区に近い出光美術館前駅を過ぎ、昔ながらの倉庫も立ち並ぶ港風情の中を走る。ちゃんと「潮風」も受けて走る。

Dscn0240ノーフォーク広場駅を通過し、関門橋の下をくぐるトンネルに入る。すると天井が発光し、数々の魚たちのイラストが浮かび上がる。トンネルの退屈さを紛らわせようという試みで、車内からも歓声があがる。

Dscn0243トンネルを抜けるとめかり地区。ここまで10分の所要時間である。短いような、長いようなひと時であった。ちなみに線路はこの奥まで伸びているが、残念ながら草に覆われていた。車内でも観光案内を行っていたが、せっかくなのだから、かつてこの線がどのような役割を果たしていたかなどの歴史案内を行ってもよかったのではないかと思う。

Dscn0254門司港観光のモデルコースとしては、トロッコの到着にあわせて発車する「めかり絶景バス」で海峡の景色を眺めるということがあるが、私はこのまま海沿いを歩き、和布刈神社に参拝。すぐ上を関門橋が通り、下関の火の山も手の届きそうなところにあるという位置である。

ここからは「関門人道トンネル」が伸びている。国道はやや離れたところ、関門橋は高速道路ということで、地元の自転車や歩行者にとっての生活道路である。もっとも、海の下を歩いて県境またぎができるのが全国でもここだけということもあり、観光名所としても知られている。

エレベーターで地下の世界へ。するとそこでは門司から下関に行く人、下関から門司に来る人で賑わっている。これだけ明るい感じなら、トンネルの中を女性が一人で歩いても不安になることはないだろう。

Dscn0258_2門司側でこういうスタンプがあったので、押してみる。半円型というのは「割符」の片割れのようで面白く、無事下関まで渡って「満願成就」ということになるのだろう。

学生時代に一度くぐったことがあるが、その時とは塗装も明るい感じになっているように思えた。歩行者の数を見れば海底にいるという気がせず、どこかの地下街にでもいるかのようだ(もっとも、歩道の両側に商店などないが)。

Dscn029110分足らずで、福岡県と山口県の県境に出る。歩道にラインが引かれており、自分がどちらの県にいるのかを示している。

Dscn0260こうなると、ちょうど県境の線に自分のイチモツが来るように真ん中に立ってみたくなる。ちなみにここで携帯電話の画面を見るとアンテナが1本だけ立っており、その気になれば海底の県境からメールを飛ばすことができることがわかる。

Dscn0263下関側の出口に到達。ここで先のスタンプの片割れを押し、見事に両都市がつながった。本日2度目の下関上陸となる。そこは関門橋のちょうどたもと。先ほどまでいた対岸の和布刈神社の本殿も見ることができる。本当に海峡の間が近いことを実感する。

上陸してすぐに、何やら人出が多く、モーターの音がするので海辺に行ってみる。すると・・・。

Dscn0274右手、唐戸側から現れたのは赤い旗をかかげた漁船。そして、そこに乗っているのは平安時代の甲冑に身を固めた人たち。海辺にいる大勢の観光客に向かって笑顔で手を振っている。

Dscn0276しばらくすると、その赤い旗の漁船を追うように、白い旗を立てた漁船が続く。もうおわかりでしょう。これは源平最後の合戦である壇ノ浦の戦いを再現しているのである。白い旗の漁船には甲冑姿の武将(義経か?)に僧兵姿の大男(弁慶やね)、そして白拍子の姿(静御前というところか)が乗船している。これも「源平まつり」のイベントというが、こういうのがあるとは全く知らなかったので、思わずうなるばかりである。

Dscn0286800年あまり前の出来事である。今はこうして平和に漁船が行き交う関門海峡が、歴史の大きな舞台であったのだ。その舞台をバックに、今度は武者姿の人による壇ノ浦合戦の紙芝居の上演。義経の八艘飛び、平家一門の最後などを情感たっぷりに語り、こちらのムードも盛り上がるところ。海上にたなびき渡る紅白の旗

Dscn0271しばらくの下関寄り道を終え、再び人道トンネルで門司側へ。今度はせっかくなので門司港駅まで歩くことにする。なるほど、トロッコ乗車も面白いが、こういうエリアなので歩いていても遠いとか、しんどいということがない。景色をゆっくりと眺め、またやってきたトロッコに手を振り(やはり、手は振ってしまいますな)、またレトロ地区の歓声の中に戻ってきた・・・(続く)。

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今日も雑文です。

2009年05月11日 | ブログ

関門海峡の旅行記がしばらく中断しており、「あの続きはどうなったのか」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、また徐々に書いていく予定です。

大阪は真夏日。内勤の仕事のため外に出歩くことがほとんどないだけマシだったが、窓を開けていても熱気が室内に入ってきた。先の週末から暑い日が続く。関西独特の蒸し暑さを感じるのも久しぶりだが、これからが大変だ。

こういう日は帰宅後にビールを空けるに限る(別にこういう日でなくても・・・というツッコミが入りそうだが)。というわけで夕食の支度後にテレビをつけると、「民主党・小沢代表辞任表明」とのこと。やれやれ、何で今の時期にやめるのかな。これでは、党首討論で献金事件が取り上げられるのを避けたとしか思えないではないか。やはりやましいところがあるからそういう行動に出たのかな。これで党首討論はもちろんお流れで、この先の政局というのはどうなるのかわからない。こうなった責任の一端はもちろん民主党にあり、どんな落とし前をつけるのかしっかりしてほしい。

次期代表は鳩山幹事長か岡田副代表かというところだが、あれだけ小沢、小沢とかばっていた鳩山氏が代表になってはいけないでしょう。前回は郵政選挙で敗北した岡田氏というのも、このタイミングなら実直な人柄が支持されるとは思うが、いずれも決定打にかける。いっそのこと、ここは代表選挙をド派手にやって、マスコミに取り上げてもらって大いにアピールすればいいではないかな。

その一方で、中国の「四川大地震」から明日でちょうど1年という。・・・これって、たった1年前のことだったのかと恥ずかしながら思い出す。この1年のうち、世間ではいろんなことがあり過ぎて、四川の地震のことなど忘れられていたところだ。現在でもまだ四川の多くの村では復興に至っておらず、廃村になったところもあるというから被害はよほど深いものという。中国経済も最近ちょっとかげりが見られるだけに、十分な復興の手が差し伸べられるかどうかが気になる。こちらはちょっと気軽に・・・と訪れることができないだけに、遠く日本の地から一日も早い復興を祈るばかりだ。

さてこれは全くの余談だが、この週末に住之江と丹波で観戦したプロ野球関西独立リーグ。丹波での試合で主審を務めた福井さんという審判。年配のわりにはしっかりした試合運びで、選手に対して威厳を持ち、きびきびしたジャッジ、見逃し三振時の「決めポーズ」も印象的だった。

Dscn0940その時「どこかで聞いたことがある名前やなあ」と思って調べてみたら、「元セ・リーグ審判部副部長」の福井宏さんということが判明。日本シリーズにも何回も出ている方である。セ・リーグ引退後、独立リーグや社会人野球などを回って、審判の技術向上に努めているとか。

他のブログ記事によれば、元パ・リーグの名審判で、私も藤井寺球場などで観たことのある寺本勇さんや前田亨さんもこのリーグに審判で参加しているとか。野球の場合、審判の試合運びが、試合を引き締めることにもなる。「ストライク!」のジェスチャーが決まったところも、個人的には観ていてスッとするものである。独立リーグ観戦の折には、こういうところもチェックしておきたいところ。

今の政局もこういう大ベテランにスパッと裁いてほしいですな。

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野球は筋書きのないドラマ~関西独立リーグ明石対大阪@春日球場

2009年05月10日 | プロ野球(独立リーグほか)

「野球は筋書きのないドラマ」。・・・あらゆるところで言い尽くされた、今となってはベタな表現であるが、この言葉を実感することになったのが、この週末の関西独立リーグの試合観戦である。

一度目はこの前の記事にある、9日の住之江球場での大阪対明石戦。9回表にノーヒットで2点を取って明石が同点に追いついたその裏、守備の乱れもあってあっさりと満塁となり、代打・平松のタイムリーで大阪のサヨナラ勝ち。9回の攻防に試合の見せ場があった。

明けて10日。前日は住之江での観戦後、梅田に出て職場の新入社員の歓迎会に出席していたが、目覚めはよい。二日酔いになっていないことを確認してクルマを走らせる。午前中に丹波篠山を見物後、やってきたのは兵庫県は丹波市にある「春日スタジアム」。市町村合併前は春日町に属していたことからこの名前である。

Dscn0880周りを緑に囲まれた、自然豊かな球場である。前日の住之江のような街の公園とモーターボートに囲まれた球場とは対照的で、こうしたさまざまな顔の球場めぐりができるのも、独立リーグ観戦の面白さである。ちなみに、ここ春日スタジアムでは毎年NPBのウエスタンリーグの試合も行われているという。

Dscn0845明石や大阪からの観客を見込んでか、丹波市の観光協会がテントを出して黒豆やら生キャラメルのPRを行っていた。逆に、丹波の人に明石を知ってもらおうと、野球を通した両市のコラボである。こういう、「町のPR」も大いにやっていいことだ。特に、播磨・丹波・淡路がホームグラウンドの明石レッドソルジャーズには、「兵庫ディスティネーションキャンペーン」ともタイアップして大いにがんばってほしい。

Dscn0851場内へ入る。選手との距離がすごく近く感じられる。ただ、バックネットが数本もの太い柱で支えられているのがちょっと邪魔に感じたので、一塁側の芝生席の前列にレジャーシートを敷いて観戦。こうした「桟敷席」もまたよいものだ。国技館のように焼き鳥やビンビールはないけれど。それにしても暑く、クルマでなければビールがおいしい日である。

Dscn0884この日は、両チームの監督・コーチ以下全選手が一人一人紹介されるとともに、地元・丹波市出身の明石・近藤の「凱旋試合」というイベントが行われた。「地元の人に喜んでもらえるよう、また、今日は母親も観戦に来ているので、試合で活躍して母の日のプレゼントとしたいと思います」という挨拶。この試合は2番・ショートで先発出場。

Dscn0878ちなみにこれが明石のマスコットキャラクター「ソルちゃん」。背番号は子午線にちなんで「135」。明石ダコとチームカラーの赤をモチーフにしたキャラなのだが、見れば見るほどどこぞのNPB球団のキャラクターに似てやせんかと思う。いつの日か「共演」してほしいものだ。

Dscn0929明石の先発は、「コウノトリ翔る郷から翔け!」という横断幕も出ていた、豊岡出身の百合。ローテーションなのか、地元に近いところでの試合ということで先発に送り出したのか。

Dscn08951回裏、明石先頭の竪道(たてみち)がヒットで出塁。続く打者は近藤。最初は送りバントを試みたがうまくいかず、結局強攻に切り替えて空振り三振。しかしこの時に竪道が走り、盗塁成功のアシストとなった。この後、4番・田中のタイムリーで1点先制。

Dscn09113回裏、再び先頭の竪道がヒットで出塁し、打者は近藤。今度は送りバントをきっちりと決め、大阪のサード・藤本のエラーと新川のタイムリーで2点追加。3回までで3対0と、大阪先発の土肥を攻略する。

Dscn0848さて明石のスタンドだが、今日は地元の少年野球のちびっこたちの姿が目立つ。また、ボールボーイを務めるのは「丹波ガールズ」という女の子のチーム。ちびっこたちは始球式を務めたり、明石の選手からボールをもらったり、ファールボールを捕ろうと走り回ったりとうれしそうだ。ちなみにこの日の観衆は318人という発表だったが、町のイベントという側面も考えればちょっと少なかったかな。選手を応援する横断幕や幟はあるのだが、これは球団スタッフが用意したもので、双方ともリードする応援団はおらず、ボールの音とグラウンドの掛け声だけが響く。でも、それもまたよしかな。

明石先発の百合は安定した投球で、4回までパーフェクト。5回もこの日5番に入った平松に初安打を許すものの併殺で切り抜ける。7回まで被安打2の無失点と好投。

Dscn0894一方の大阪・土肥も4回以降は力のある投球を見せ、7回裏に近藤の内野安打を含め一死2・3塁のピンチも切り抜ける。このまま3対0で試合が終わりそうに思われた。ただ、昨日のこともあるし、どうなることやら。

Dscn0960その予感なのか、8回に大阪打線が急につながりだす。途中出場の吉野が三塁打を放ち、二死後、長谷川がこれも三塁打で1点返す。続く林のタイムリーでもう1点返し、3対2となる。ここで林が盗塁を試み、キャッチャーの悪送球を誘って一気に三塁へ。続く平下は凡退するものの、終盤で3対2となり、大阪ベンチが一気に明るくなったように見えた。

Dscn0971ここでブルペンに向かうのは、昨日9回の登板でサヨナラを許した前田。私もキャッチャーのすぐ横に立ち、かつて150キロの豪腕で鳴らした右腕の投球を実感する。ストレートがミットでパチン!となる乾いた音がたまらない。

大阪・土肥は8回まで投げきり、こちらも失点3ながら被安打6と先発としての役割を果たしたといえるだろう。残すは9回表の大阪の攻撃で、ここで満を持して前田が向かう。「今日は頼むぞ!」とスタンドから声がかかる一方で、「まずは同点や!昨日のこともあるで!」と大阪ベンチからも声が飛ぶ。

先頭の山門が三振に倒れるものの、続く碩野がバットを折りながらレフト前へ運ぶ。ここで迎えるのは、前日サヨナラ打の平松。やはり、回るところには回ってくるものだ。

ここからが、????であった。

Dscn0984平松の当たりはセカンドへの平凡なゴロ。誰もが4-6-3のゲッツーで試合終了・・・と思った瞬間、明石セカンドの新川がショートへ悪送球。送球がレフトへ転々とする間に、代走・奥本が俊足を飛ばして一気に生還。これで3対3の同点。

Dscn0986・・・・になったかと思ったら、今度はレフトの北山からのバックホームの送球がとんでもないところに、これを見て「行け!行け!」の大声とともに、何と打った平松までが一気に生還。4対3、試合終了目前が逆転である。

こういうことがあるんやな、ホンマ。それも2日続けてというのだから、本当、勝負はゲタを履くまでわからないものである。

Dscn0990・・・と、そう結論つけるのは早かったかな。9回裏のマウンドには、昨日「ノーヒットで同点に追いつかれた」遠上。四球の師匠?の石毛コーチとともに登場である。

Dscn0991その遠上、3ボールまで行くこともありヒヤッとさせる場面もあったがこの日は「炎上」なし。最後は、この試合での活躍が期待された(1安打、1犠打でまずまずと思うのだが)近藤を力のないレフトフライに討ち取り、試合終了。昨日のこのカードと同じ4対3で、大阪の連勝となった。これで「首位」キープだそうな。

Dscn0997この2連戦、観客としては最後までわからない試合に出くわし、また先発投手の出来もよかったのだが、いかんせん両チームとも守備と走塁に課題が見られたかな。

Dscn0999NPBのように本塁打がものをいうのとは違うリーグであるため、それだけに一つの走塁、一つの守備が重要である。長打力は一気に伸びるものではないが、守備と走塁は鍛えてチームとして鍛えて伸びるところ。いくつかのミスも漫然としたプレーの結果ではないだけに、大いにがんばってほしいところである。

さて、これで関西4チームのうち、3チームの主催試合を観ることができた。あとは、吉田えり人気で観客動員も最も多いという神戸での試合である。吉田の登板は早くて5月下旬というが、実戦で出られるようになってからまた出かけることにしようかな・・・・。

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関西独立リーグ・大阪対明石@住之江

2009年05月09日 | プロ野球(独立リーグほか)

関門・福岡の旅行記は少しお休みして(まだ初日の行程も書かれていないというのに)、今度は関西独立リーグの観戦記を書くことにする。このリーグの興行についてはあれこれと物足りないところがあるのだが、なんやかんやと球場に足が向いてしまう。初めての球場めぐりというのもあるだろうが、やはり気になるんでしょうな。

Dscn0694本日のデーゲームは住之江球場。地下鉄四つ橋線の住之江公園駅から歩いてすぐの公園内にあり、天気もよかったことで散歩の人が多かったり、草野球のゲームも行われていた。そしてその奥の球場でも草野球・・・もといプロ野球独立リーグの試合である。前回万博球場で見たときは「本当にここで試合が行われるのか?」と一瞬不安に思ったものだが、今度はスタッフの数も多く、客足もまずまず出ていたので一安心である。やはりアクセスのよさがあるのかな。

この日は大阪対明石戦。別に意図しているわけではないがこれまで観戦したのはすべて「明石戦」である。

Dscn0766スタンドもきちんとしたもので観戦にはなかなかよろしい球場である。ただ、都市部にあるせいかグラウンドが狭い。両翼90m、中堅が110mしかなく、これでは大きな当たりはすぐに「場外ホームラン」になる。何も「場外」とは誇張ではなく、外野フェンスの向こうは観客席がなく、公園の通路になっているのだ。

Dscn0722・・・というわけで、試合が始まると通りがかりの人たちがこうやって「タダ見」を決め込んでいるのだ。まさかこの人たちも「観衆○○人」に含めやしないよね。

一方では隣からモーターボートのうなり声も聞こえてくる。野球の観客の中にも、レースの券を片手に携帯で結果をチェックしている人の姿もいて、なかなか不思議な感じの球場である。でもこういう雰囲気、大阪らしい、かな?

Dscn0721観客もそこそこ入るうち、大阪ゴールドビリケーンズの選手たちがファンの子どもたちと一緒にポジションに向かい、試合開始となる。大阪の先発は左腕の岸。一方の明石の先発は、私自身3度目の明石戦観戦でいずれも先発という福泉。過去2回(大阪、紀州)ではいずれも好投しており、特に和歌山・上富田での試合では敗れたものの紀州・宇高との見事な投手戦を見せてくれた投手である。

Dscn0716まずは岸の投球。序盤やや不安定で、2回には米田のポテンヒット(二塁打)と新川のきれいな二塁打で1点を先制される。

Dscn0728続く3回も四球でランナーを出すが、ランナーが飛び出したところを牽制球で挟殺。この試合、両チームとも先の塁へと足でしかけようとするが、こうした牽制死や盗塁失敗が目立つ。守備がよいのか、走塁が雑なのか。

Dscn0719ピンチをしのいだ大阪は3回に走者一人置いて、元近鉄・オリックスの平下が右中間真っ二つのタイムリー二塁打を放ち、続く山門のタイムリーで2対1と逆転に成功する。一塁側の応援席からも大きな拍手が起こる。

Dscn0767応援団は相変わらずこのお兄さんが頑張っているが、ここは鳴り物OKなのか、トランペットならぬ鍵盤ハーモニカでオリジナルの応援歌で声援を送る。そこは応援好きの大阪の人たち、リズムに乗ってメガホンをたたくのは手馴れたもの。また、応援団とは別な関西弁による「温かい」声援(つまり、野次)も大阪の人たちは手馴れたもの?で、昔の藤井寺球場や日生球場の雰囲気を思い出させてくれる。こういう声援(つまり、野次)は北陸・上信越では見られない風物詩といえるだろう。北陸・上信越の試合を観て唯一物足りないのがこのスパイスでして・・・・。

Dscn07414回裏には大阪の5番・碩野(せきの)が左中間に「場外ホームラン」。これで3対1となる。これで岸のリズムも乗ってきたようで、時折、投げた瞬間に「ソリャ!」と気合があがる。7回にピンチを迎えたがここも気合で無失点で乗り切り、結局7回を6安打、失点1で投げ終える。「西武の岸みたいやな」というファンの声も出る。

Dscn0756試合以外でも健闘が見られ、イニングの合間には、大阪の選手がチーム名でもある「ビリケンさん」と、母の日用のカーネーションを持ってスタンドに現れて「ビリケンさんをなでてみてください」とPRする一幕もあった。また5回裏終了後には選手代表でこの日1番に入った林のインタビューが行われるなど、「まずは選手の顔と名前を覚えてもらおう」という試みである。こういうちょっとしたサービスというのも、初年度のチームである、大いにやっていいと思う。

Dscn0777さて一方の福泉、7回に岸と同じようにピンチを迎えるがしのぎ、結局8回3失点。3対1で大阪リードのまま9回ということになり、実質「完投」したようなもの。先発としては十分役割を果たしたといえるだろう。ベンチからも、3塁側の数少ない明石ファンからも拍手を受けていた。

Dscn07799回表、大阪のマウンドには3人目の遠上(えんじょう)。大阪の抑え投手で、このまま2点差でピシャリと抑えて大阪の勝利・・・という期待が一塁側から起こる。中には「9回は投手石毛(コーチ)!」という冗談も飛び出す。石毛といえば「抑え炎上」「四球」ということで今でも名前が出るのだが・・・・。

Dscn0782ところが、その遠上のコントロールが定まらない。先頭から2者連続四球。別に石毛コーチの教えを忠実に守っているわけではないだろうが・・・・。この後送りバントで1死2・3塁となり、続く代打・大西の犠牲フライで1点返す。これで3対2。それでも2死となったことで「あと一人」コールが起こる。ただランナーが3塁にいるし、一打同点には変わらない。

Dscn0783すると案の定というべきか、遠上がまさかの暴投、捕手の笹平がボールを前にはじくが、ランナー生還。なんとこの回ノーヒットで2点である。遠上(えんじょう)が炎上という、スポーツ紙的なありがたくない見出しが頭に浮かぶ。これだから野球はわからないものだ。

Dscn07883対3となった9回裏のマウンドには、NPB、アメリカ、イタリアなどを渡り歩いた大ベテラン・前田勝宏。思わぬ形でこの投手も見ることができた。

ただ、8回くらいから投球練習はしていたものの、まさかこういう展開になるとは思っていなかったのだろう。こちらも先頭打者に四球。続いての送りバントの打球を三塁・川咲がお手玉して無死1・2塁。続く送りバントを今度は前田が三塁に悪送球。これで無死満塁となり、こりゃ、どこかでサヨナラということになるだろう。ここで代打は背番号1・平松。村上監督に何か耳打ちされ、「行ってらっしゃい!」と送り出された。

Dscn0792Dscn0794おそらく、「ストライクは全部狙え」とでも言われたのだろうか。ボール球は投げないだろうと見切ったかのように、平松がライトへのクリーンヒット。あっさりと4対3で、球団初というサヨナラ勝ち。全選手がグラウンドに飛び出しての祝福。

Dscn0806試合終了後には出口で選手とファンのハイタッチ。その後サイン会でのお見送りである。どの選手も笑顔が見られたし、ファンからも「今日はオモロかったなあ」という声があがる。こういう面白い試合をやってくれればファンも注目するだろうし、また興行としても盛り上がる。少しずつではあるが大阪人の認知度も増えているようで、チームも軌道に乗ってほしいものだ。

Dscn0801これからの熱戦に、期待。

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門司港路地裏散歩

2009年05月09日 | 旅行記H・九州

門司港散策の次は、「門司港路地裏散策」。現在観光スポットとして有名なのはレンガ造りの洋館を中心とした表通りであるが、その一方で路地裏を散策するコースがあるという。日曜・祝日には観光ボランティアによる無料ガイドがあるというので、昼までの1時間、そちらに参加してみる。

集まったのは私を含め7人。九州内や関西からの観光客である。ガイドを務めるのは御年70歳は越えておられるがかくしゃくとした女性。歩道をぶらつきながら歩き出す。

Dscn0196下関が「床屋発祥の地」ならば門司港は「バナナの叩き売り発祥の地」。かつての大旅館であった建物の前にその石碑がある。現在でこそ空輸やら冷蔵保存の技術が発達しているが、かつての航路の場合、特にバナナのような傷みやすい食材は早くに売りさばく必要があり、そのためにさまざまな口上でもって客を集めたというもの。そういうことをクリアファイルの写真で説明した後、「それでは」ということで「寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」と、口上の一くさりを披露。講談のような語りに参加者から拍手が起きる。

Dscn0199続いては「ここからが門司港の"山の手"になります」ということで、本町界隈に入っていく。山の手ということで住宅も広がる中、港町として活況を呈していた頃は高級料亭などがあったところである。かつては「置屋」から人力車で芸者たちが料亭に通っていたとか。

Dscn0201そのシンボルだったのが三宜楼。これまで門司港には何回か来ている中で、恥ずかしながらその存在は初めて知ったところ。坂の下から見れば正面に石垣、そしてそびえる三層建ての家屋。料亭はいつしか廃業し、建物も取り壊されることになっていたが、それを惜しんだ地元の人たちが保存運動に乗り出しているとか。ただ老朽化が激しいため、内部を公開するまでには至っていないという。これまでの洋館群がさまざまな手入れをして現在の人気スポットになっただけに、今度はこうしたところにももっと注目してもよいのではないかと思う。

Dscn0203「それじゃ、行きましょうか」と、ガイドはさらに路地裏に入っていく。「こんなところに入るんだ」「自分らで来たら絶対わからへんわ」という声が挙がる。観光地や国道の喧騒は消え、一気に「ナマの」昭和にタイムスリップしたかのようである。閑静な本当の路地裏である。ただ、観光客向けの旅館としてがんばっている建物がある一方、かつての大きな家が塀だけ残して複数の家に切り売りされていたり、住み勝手がよくないのか廃屋となった家屋も目立つ。表通りに面したところでは駐車場になったり、マンションが建設されようとしているところもあった。これも昭和から平成にかけての時代の流れか。

次に訪れたのが、「先が山の手ならこちらは下町でしょうか」ということで、錦町界隈に出る。こちらも飲食店や旅館が軒を連ねたところである。

Dscn0208その中で目立つのが「木造三階建て家屋」が並ぶ一角。こちらは実際に人が住んでいるようだ。ガイドの説明を聞きながらカメラを向けていると、窓から家の人が顔をのぞかせる。実際に住んでいる人にとって、こういう街並みガイドというのはどう映るのだろうか。ガイドも気配に気づいたようで、場所を変える。やはり他人のプライバシーにちょっと足を踏み入れていることになるのかな。

Dscn0209もっとも、場所を変えたのが、この建物の表と裏で全く表情が異なることを見せるため。反対側はごく最近風の二階建てのように見える。三階建てとはいうが、実質は「中二階」のようなものだとか。

「そして、」ということで、「このあたりは"特殊飲食街"でした・・・・といって皆さんわかりますか? 港町でしたから」と。それでもわからないような感じの女性客に「関西なら雄琴ですかね」と補足したところで、「ああ」と納得(雄琴はちょっと違うんとちゃうか、大阪なら飛○・・・と私の頭をよぎるが、それはこの場で口にするのはちょっとはばかられる)。ちなみに、ここは今でもそういう実態があるのかな。

Dscn0211「お口なおしに」ということで、さらに路地裏、栄小路というところへ。アーケードの商店街につながるこの小路には今度は「れっきとした」飲食街。門司出身の林芙美子の名前のついた店などもある。

最後に栄町銀天街に出て、門司港駅に戻る。これで1時間ほどのコースである。いや、これまで知らなかった、門司港で生活していた人たちの町を見ることができて有意義な時間であった。観光というとどうしても表通りに目が行くし、路地裏が面白いといっても見知らぬところで勝手に入っていくのもちょいと勇気がいるし(場合によっては不審者扱いされかねない)、こういうガイドがいるというのはよいことだと思う。町に対する理解の幅が広がるし。

Dscn0217門司港駅で解散となった後、「焼きカレー」で昼食とし、旧大阪商船の建物へ。ここには、神戸で生まれ、門司で育ったイラストレーターわたせせいぞうさんのギャラリーがある。わたせせいぞうさんのイラストといえば、あの、潮風の香りがするさわやかな絵柄というイメージである。一昔前のトレンディードラマの世界というのかな。

Dscn0693街づくりに一役ということで、門司港駅や関門橋をバックにした作品が並ぶ。これらは市街のいくつかのスポットで見ることができ(実は今朝訪れた門司赤煉瓦プレイスでも見た)、さわやかな演出となっている。こういうイラストを見ると「やられた」という感じ。絵になる街が絵になっているんだから・・・。(画像は、ここで購入した絵葉書)

そろそろ、その潮風を受けるということで、トロッコの「潮風」号の乗り場に向かう。(続く)

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九州鉄道記念館

2009年05月08日 | 旅行記H・九州

しばらくは福岡旅行の記事が続きます。

Dscn01905月3日、朝のうち訪れ、頭もさっぱりした下関から関門トンネルをくぐり、門司で乗り換えて再び門司港着。時刻もそろそろよい頃となり、駅前には「門司港レトロフェスタ」の看板も出て、観光客でそろそろ賑わいを見せている。駅に列車が着くたびに観光客が改札口から吐き出されるような感じである。

Dscn0157さてここからは門司港の散策ということになるが、まず向かったのが、駅の横、山側に広がる「九州鉄道記念館」である。2005年に開業したこの施設、ぜひ一度行ってみたかったところである。門司港という、九州の鉄道の始発駅である場所に建つ鉄道の記念館である。

Dscn0173まずは「じも」と書かれた駅名標に出迎えられ、続いて、長いホームに並ぶ蒸気機関車や気動車、特急電車に迎えられる。そのいずれもがここ九州で活躍した車両たちである。大宮の鉄道博物館とはまた違った地域カラーである。

Dscn0162残念ながら機関車の運転台に上ることはできないが、その他の車両は中を開放しており、中でもかつて大分を走っていたという気動車は、車内に入るのにスリッパに履き替えるという丁寧さ。

Dscn0164すぐ横が門司港駅ということもあり、何だかその中に入ってこれから出発するかのような感触がする。

Dscn0174さて、博物館の本館も、九州の国鉄の前身であった「九州鉄道」の本社であった建物とか。内装は完全にリニューアルされているが、外見は当時のまま。門司港のまた一つレトロなスポットである。

館内展示は九州の鉄道に関することで、大正時代の博多駅の時刻表とか(現在の列車が頻発する状況からはずっとのんびりしていた)、数々の鉄道用品が展示されている。

Dscn0178九州の鉄道といえば東京や大阪を結んでいたブルートレインが欠かせず、往年の列車のヘッドマークも数々展示されている。そういえば、今年3月の「富士・はやぶさ」の廃止で九州のブルートレインはなくなり、本当に歴史の一ページとなってしまったわけだ。私もかつて大阪からの「なは」や「彗星」で九州を訪れたことがあり、ヘッドマークなどを懐かしい感じで見学する。

Dscn0181その九州の列車の新しい看板が、近く開通する九州新幹線。現在走っている、中国語でいうところの「列車的豪門望族<燕子>」(すごい名前やね)、そして、山陽新幹線との乗り入れ時には「さくら」の名称の列車が走ることになっている。現在も多く個性的な車両を走らせているJR九州、いつまでもその独創性を持ち続けてほしいものだ。

大宮の鉄道博物館に比べれば小ぢんまりした建物であるが、その分、地域色が強く、普段なかなか見られない展示品もあって満足である。

Dscn0188さて再び門司港駅に戻るが、途中で出会ったのが観光トロッコ列車「潮風号」。この4月26日というからちょうど(訪れた日から)1週間前にデビューした列車である。門司港駅の横から関門橋のほうに向けて走る臨港線の存在は知っていたが、その上を観光という「特定目的鉄道」が走るのである。ここには長蛇の列ができており、自由席車両は何と90分待ち。ディズニーランドの5時間半待ちのアトラクションには遠く及ばないものの、この人気ぶりである。実は午後の便に乗る予定にしているのだが、今から楽しみ。

その前に、しばらく界隈を散歩である・・・・(続く)。

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関門海峡をめぐる

2009年05月07日 | 旅行記F・中国

阪九フェリーを降り立ち、早朝の門司駅に着く。この後、門司港まで移動することになる。

Dscn0083・・・とその前に、久しぶりの門司駅周辺の様子が変わっているのに驚いた。駅の北側にはかつてサッポロビールの工場やら、海沿いの引込み線やらがごちゃごちゃしていて、さびれた風情を醸し出していたものだが、今は大型マンションやら住宅地など、人が住む町としての再開発がなされているところである。

その中心が、かつてサッポロビールの醸造棟であったレンガ造りの建物を中心とした「門司赤煉瓦プレイス」。古きよきものと新しいものがマッチした、新しい空間である。

Dscn0094そのレンガ棟を右手に見ながら歩けば、すぐに関門海峡に出る。このあたりだと下関市街は右手やや遠くあり、正面は彦島という条件。朝もやの中を貨物船や小船が行き来する風景。久しぶりに見る海峡に、私の気持ちも昂ってくるのを感じる。今日3日は、この海峡を行ったり来たりすることになる。

Dscn0111門司港に移動。重要文化財の駅舎が私を出迎えてくれる。まだ朝のこととてひっそりとしているが、昔ながらの駅舎、ホームをゆっくりと観察することができる。現在でこそ博多や小倉が九州の玄関駅であるが、中心から外れたからこそ、こうして昔の姿をとどめ、それが多くの人を魅了してくれるのは歴史の一コマと言えるだろう。

Dscn0105頭端式のホームに、JR九州の個性的な車両が横たわると、往年の「汽車」の風情というのか、異国的なものも感じられる。

Dscn0115さて、門司港に来ればレトロな街並みの散策ということになるが、先ほど九州に上陸したばかりにも関わらず、また本州に出ようと思う。門司港駅前の桟橋から、下関は唐戸行きの渡船が出ている。観光客だけではなく地元の人にとっても欠かせない足。7時10分の始発便には15人くらいの乗客がおり、船舶の往来の激しい海峡へとエンジンを吹かしていく。右手には関門橋の風景。昨日から橋ばっかり眺めているな・・・。

5分で唐戸に到着。このあたりも下関観光の中心である。渡船乗り場に近い唐戸広場へと向かう人が多い。祝日ということで、観光客向けの朝市をやっているようだ。朝食がまだなので、市場で食材を仕入れて味わうとしよう。

Dscn0126同じような考えの観光客で市場の一角が賑わっている。中心となっているのは下関に入ってきた地物、遠洋物揃った魚たち。それを寿司にして並べている。1カン200~300円と決して安くないのだが、ネタも大きいし、やはり雰囲気で食わせるというのかな、観光客が次々に箸を伸ばして好みのネタを選んでいる。

Dscn0121気づけば私も、フグやらクジラやらシマアジなどの寿司をつまみ、おまけにふぐ刺しの皿まで買っていた。朝食はおろか、夕食として何とも豪勢なことである。やはり旅行者というのはノリやすくなっている。ちょうど海辺の花壇のようなところに腰掛けられるようになっており、大勢の客たちとともに、海峡を眺めながらの朝食とする。

Dscn0140心地よくなったところで、次は赤間神宮に参拝。何でもこの日は「先帝祭」というのがあるとかで、境内はその準備に追われていた。「先帝」とは、この神宮に祭られている安徳天皇。境内には壇ノ浦に沈んだ平家一門の墓、そして怪談で有名な「耳なし芳一」の堂など、歴史を語るものが多い。子どもの頃に耳なし芳一の話を初めて聞いた時、えらく怖かったのを思い出す。

Dscn0133続いて、赤間神宮の横にある春帆楼へ。現在でもトップクラスの割烹であるが、ここは時代が一気に下って日清戦争の講和会議が行われたところ。学生の頃、卒業論文でちょうど日清・日露戦争の時期の日中関係について扱っていたのだが、就職が決まった後の夏休みの旅行で下関を訪ねた。当時日本軍の拠点であった下関を見て、論文へのインスピレーションが起こればという狙い。

Dscn0136まあ、卒論にどの程度生きたかは今となってはもう昔の話だが、敷地内の記念館にある当時の会議室、実際に伊藤博文と李鴻章が向かい合って座った(歴史の教科書に絵が載っていることがありますね)テーブルなどを見てうなったものである。この日は時間が早いこともあり省略。

Dscn0130再び唐戸まで戻ると、その途中に「源氏」「平家」の幟が目立つ。毎年GWに「源平まつり」というのをやっているようで、いろいろなイベントが行われるとか。また「同時開催」として、唐戸から船で渡る巌流島では、宮本武蔵と佐々木小次郎の対決にちなんだイベントも行われるとか。これだけ歴史上のスターが登場するのも、何とも面白そうな感じ。ちょいとのぞいてもいいのだが・・・・。

Dscn0146唐戸からバスで下関駅に出て、今度は鉄道で再び門司を目指そう。ということで唐戸まで戻ったのだが、その手前の亀山八幡宮に面白い石碑を発見。その名も「床屋発祥の地」。鎌倉中期、ちょうど元寇の頃、御所の守りを務めていたある武士が、宝刀紛失の責任をとって職を辞し、息子を連れてちょうど風雲急を告げていた下関にやってきた。その息子「采女之亮政之(うねめのすけまさゆき)」は、下関にいた新羅人から髪結いの技術を学び、在来の武士や商人を相手に髪結所を開き、商売をする一方で宝刀の捜索を続けたという(後に宝刀は見つかり、一家は名誉を回復したという)。

その髪結い所の奥に、天皇と祖先(藤原氏)をまつる立派な床があり、いつしか「床のある場所」→「床場」→「床屋」になった・・・・というのが、この石碑によるところの由来である。まあ、こういう伝説というのはどこまで本当かはわからないことが多いのだが、亀山八幡宮、そして全国の理容業組合のホームページでそれぞれ取り上げられているところを見るに、誰かが勝手なことを言っているのでもなさそうだ。これは一つへぇ~ってなもんである。

・・・・だからというわけではないが、「床屋発祥の地」に敬意を表して、床屋に行くことにしよう。いや何も床屋発祥の地の情報を入手していたわけでもなく、ちょいと散髪をさぼっていたのと、観光施設が開くまでに時間があったので・・・・。

Dscn0151唐戸の渡船乗り場に近いその名も「理容 関門」。カット担当と顔そり・シャンプー担当が分業で回転を早くしているという、格安店である。地元の人に混じって私も頭をやってもらい、気分もリフレッシュした感じである。ちなみに店内のBGMは福岡のFMで、やはりこのあたり、中国地方とはいいながら文化的には九州に属している。

Dscn0150_2頭もすっきりしたところで唐戸からバスに乗車、下関駅へ。もう何年になるか、下関の駅舎が放火で全焼した。今でもその姿のまま、建て替えの話もどうなっているのか。逆に昔のさびれた風情も捨てがたいのだがと思いつつ、関門トンネルをくぐり、再び九州へと上陸・・・・(続く)。

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阪九フェリーの船旅

2009年05月06日 | 旅行記H・九州

5日ぶりの更新となります。

このGWは福岡遠征。仕事の出張以外で九州の地を踏むのは4年半ぶりで、このブログでも初めて「九州」のカテゴリーが登場した。関西に戻ったこともあり、東京時代には行くことのなかった九州に行こうと思う。

2日の夕方、南海電車の泉大津駅に現れる。この日はここから新門司港行きの阪九フェリーに乗船。元々、九州へ行くのなら往復のいずれかはフェリーに乗船しようと思っていたが、GWのこととてネット予約を見ても満席状態(狙っていたのが個室ということもあるのだが)。それが数日前になるとキャンセルが出たのか空席も出るようになったため、往復ともに個室を確保することができた。

泉大津駅からは「大阪コンビナート」と書かれたマイクロバスがフェリー乗り場まで10分ほどで送ってくれる。普段は臨港地区のコンビナートやら倉庫やらに勤める人たちの送迎に当たっているのだろうか。

Dscn0006乗船したのは「フェリーせっつ」。家族連れ、ツアー客、カップル、一人旅、遠征に出るのか高校の運動部の団体など、さまざまな客層でごった返している。それでも列車の旅とは違い、皆開放感にあふれているというか、逆にいえば騒々しい感じだが、そういう雰囲気がフェリーの旅の面白さだろう。

個室には洗面台、浴衣、テレビは備え付けられているものの、窓もなく長時間過ごすには狭く感じる。ここは他人に気を遣わず遣わせずに寝るに特化したスペースということで、天気もよいことだし、荷物だけ部屋に置いて甲板に出る。すでにこちらのベンチでくつろいでいる人も多い。

Dscn001217時に出航。船出といえば紙テープを投げるという風習は今でもあるのだろうか。もちろんそういうこともなく、ゆっくりと岸壁を離れていく。しばらくは泉北地区の工場やタンクなどを眺めるうち、府庁移転も検討されたOTCが遠くに現れる。その後は六甲山地に神戸の街並みなど、次々に景色が変わっていく。普段は陸地から海を眺めるのだが、海から陸地を眺めるというのも新鮮な光景である。

Dscn0020ということで、潮風を受け、これらの景色を愛でつつ・・・・。

Dscn0033出航から1時間、そろそろ日が西に傾くころに通るのが、明石海峡大橋。船内にいた客たちもぞろぞろと甲板に上がってくる。改めて、橋の長さや、鉄骨のつくりの精緻さにうなるばかりである。

Dscn0035中に、「あの橋は上が高速で下が電車が通っている」などと、彼女に「迷解説」をしていた男性もいたが、そこは突っ込まずに笑って聞き過ごす。

Dscn0043太陽を先に西に見送る。いつしか本州も淡路島も小さくなり、播磨灘に出た。

さて、フェリーの旅ならではの楽しみ方の一つが、展望浴室。穏やかな瀬戸内の航路では揺れを感じることもなく、ゆったりと湯につかることができる。もっとも、外の景色を「展望」しようとするならば浴槽の中で立ち上がらなければならず、結構忙しい。立ったり座ったりという、広島カープの応援席のような光景が繰り広げられる。

Dscn0046もう一つがレストラン。カフェテリア方式で、和洋さまざまな料理が並んでいる。中には注文を受けて調理するメニューもあり、結構本格的だ。こういうところでは目移りする性格なので、あれこれと取ってしまうのがちょっと・・・・。そんなレストランの客足のピークも過ぎていたようで、暗くなった海を眺めながら1時間ほどかけての食事。出航前に友人から「がっつり飲んで、しっかり寝て」という励ましのメールをもらっており、翌日からの福岡上陸を前に元気が出そうである。

Dscn0064とはいえ、寝るのは少し早いか。船内にある航路図を確認し、21時を過ぎて外に出ると、左手の後方には高松市街のネオンが遠くに見え、前方にはライトアップされた瀬戸大橋の橋脚が現れる。はい、下を電車が走っているほうの橋でっせ。

Dscn0074下津井、中備讃、南備讃などの橋が、それぞれのデザインを夜空に浮かび上がらせている。また見物客が甲板にやってくるが、今度は夜景、しかも動いている状態での撮影である。なかなか、撮影には苦労している。私も手すりにカメラを据えて撮影を試みるが、なかなか思うようにはいかないものである。やはり光景は目に焼き付けるのがよろしいようで。

瀬戸大橋も遠ざかり、今度は燧灘に出る。いつしか、携帯電話の電波も届かなくなった。そろそろ、個室に戻って寝るとしよう。日付が変わる頃に、しまなみ海道の来島海峡大橋も見えるらしいが、翌朝の新門司入港が早いもので・・・。

Dscn0075翌朝、4時半に朝の案内放送が入る。外はまだ夜明けには遠いところ。一度甲板に出てみるが、さすがに風が強い。それでも少しずつ大きくなってくる九州の島影に期待感が高まってくる。

5時30分、昔の御殿をイメージした建物の乗り場を持つ新門司港に到着。降り立った乗客はマイカー、貸切バスなどで三々五々散っていく。このGW、新門司を基点にどのような楽しみ方をするのだろうか。

Dscn0080私はといえば、JRの門司駅まで向かう送迎バスに乗車。20分ほど揺られて到着である。5月3日は宿泊を含めてこの関門海峡を回る予定にしている。これからが楽しみである・・・・(続く)。

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ちょいと更新を休みます

2009年05月01日 | ブログ

いつも拙ブログにアクセスいただき、ありがとうございます。

GW期間中、しばらくブログ更新はお休みとなります。

明日2日の17時に泉大津を出航する阪九フェリーで西に向かいます。目的地は関門海峡、福岡というところですが、現地で訪れてみたいスポットはいくらもあるのですが、どのような動きをしようかはさほど厳しく決めず、気の向くままに回ってみることに。

「モブログ」は私はやりませんし、パソコンの前でカチャカチャやるタイミングがあるかということもありますので、数日はこのままということになりそうです。

GW明けからはこの旅行記のことをまた書きますので、お楽しみに。

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紀州の備長炭

2009年05月01日 | 旅行記E・関西

前の記事で高野龍神スカイラインのことを書いたが、龍神から紀伊田辺に向かう県道沿いにある道の駅で休憩。その名も「道の駅 紀州備長炭記念公園」。

備長炭といえば炭の中でもブランドとされ、焼き鳥屋などでは「備長炭使用」というのを売り文句にしているところが結構ある。また炭には水の浄化や吸湿作用があることも最近では注目されており、米をたく時に炭を入れれば米の味が引き立つとか、水道水もミネラルウォーターのようになるということでも知られている。

そんな備長炭の本場というのが、この紀州。紀伊田辺の炭問屋に備中屋長左衛門というのがあり、ここから備長炭という名前が付けられたとか。いつしか、そういう歴史のあるところに出てきたものだ。

道の駅には資料館もあるということで、こちらを見学。これまで石炭に関する資料館は訪れたことがあるが、木炭というのは初めて。石炭は鉱工業、木炭は林業である。

P4296427最初に出迎えてくれるのは、昭和の30年代頃まで行われていた炭焼きの暮らし。山に入り、炭窯と小屋をつくり、一山分の原木を焼き尽くすと次の山に移るという過酷な業務。こうした「山の仕事」を紹介してくれるスポットというのはそうあるものではない。

続いては、木炭の原料となる木の種類やら、木炭の製造方法などが触れられる。よい原木を伐採し、高熱で焼けるような窯の設計を行う。それだけでも重労働であるが、焼いている間は寝ずの番である。

そうしてできた木炭。その中でも備長炭は鋼と同じ程度の硬度を持っており、叩くと金属音がする。だからだろうか、備長炭でできた木琴やら、風鈴などというのもある。これも、原木の質と焼くほうの技術の高さによるものとか。備長炭というのはウバメガシの木を使用するが、最近では中国産の備長炭というのも数が増えているとか(この炭の名前を冠した焼き鳥チェーン店の備長炭は、中国産か国内産か???)。ただ中国産は品質でやや劣るとかで、よい音が出るのは国内、それも紀州のものという(お国自慢はあるだろうが)。

P4296430こういう火鉢やら七輪を見ていると、インテリアとしてこういうのを置いても面白いかなと思う。火鉢に炭をくべて、五徳に鉄瓶をのせてチリチリ言わせるなんざあ、風流でしょうなあ。

P4296433公園の一角には現在も炭窯があり、実際に炭が焼かれている。現在では備長炭の需要も多くなっており、山にこもらずこうした窯で工場のように焼かれているという。

P4296434作業の合間だったようでちょっとのぞかせてもらったが、窯の中で真っ赤に燃える火が鮮やかに見える。ただ離れたところに立つだけでもかなり暑く、何千度という火を相手にしているその技術にはうなるばかりである。なお、これとは別に体験用の窯もあり、山村学習や研修などで使用されているという。

P4296504一連の施設を見学した後で土産物コーナーに寄ったが、買い求めたのがこれ。部屋に飾ると脱臭・吸湿作用もあり、またインテリアにもなるという。きれいな花を飾るのとは違い、「枯山水」のような趣かな。

電気やガスというエネルギーとは一味も二味も違う木炭、備長炭。炭の持つ特性を生かして、これからも生活の中で活躍していくことだろう。

P4296456・・・・こういう寄り道をした後に到着したのが、先の上富田野球場である。このルートにして、結構面白いところがあった(山道の運転は気を遣うが・・・)。

P4296497さて試合終了後の帰り道は距離が短いということで、海沿いの国道42号線を走る。試合が早く終わったから・・・というわけではないが、途中の「有田川温泉 光の湯」で休憩と早めの夕食。有田川に面した温泉施設で、暑い湯と冷ました温泉を交互に入る「交互湯」や、温泉成分をスチームで出している「温泉サウナ」などで、朝からの運転の疲れを癒す。

P4296499この後は、和歌山名物とうたわれる太刀魚料理などをいただく。うーん、クルマだからなあ・・・・。そうでなかったらビールのあてによく合うのだけど。

P4296500そろそろ日が西に傾く頃、有田川の対岸に、夕日に照らされたオレンジの看板。紀州みかんの大広告である。そういえば私の大学時代の友人で、脱サラして有田に移り、みかん農園でのみかん栽培、経営をやっているのがいる。今回は野球観戦で来たこともありそのまま素通りしたが、次には有田のみかん風景やら、醤油発祥の地・湯浅の町歩きなどと絡めて訪れてもいいかな。

P4296502和歌山マリーナシティを見下ろすあたりでちょうど日暮れ。クルマを脇にやり、しばし、西の方に沈む夕日を眺める。実にあれこれあった、内容の濃い一日を過ごすことができたものだ・・・・。

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