まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

関門海峡をめぐる

2009年05月07日 | 旅行記F・中国

阪九フェリーを降り立ち、早朝の門司駅に着く。この後、門司港まで移動することになる。

Dscn0083・・・とその前に、久しぶりの門司駅周辺の様子が変わっているのに驚いた。駅の北側にはかつてサッポロビールの工場やら、海沿いの引込み線やらがごちゃごちゃしていて、さびれた風情を醸し出していたものだが、今は大型マンションやら住宅地など、人が住む町としての再開発がなされているところである。

その中心が、かつてサッポロビールの醸造棟であったレンガ造りの建物を中心とした「門司赤煉瓦プレイス」。古きよきものと新しいものがマッチした、新しい空間である。

Dscn0094そのレンガ棟を右手に見ながら歩けば、すぐに関門海峡に出る。このあたりだと下関市街は右手やや遠くあり、正面は彦島という条件。朝もやの中を貨物船や小船が行き来する風景。久しぶりに見る海峡に、私の気持ちも昂ってくるのを感じる。今日3日は、この海峡を行ったり来たりすることになる。

Dscn0111門司港に移動。重要文化財の駅舎が私を出迎えてくれる。まだ朝のこととてひっそりとしているが、昔ながらの駅舎、ホームをゆっくりと観察することができる。現在でこそ博多や小倉が九州の玄関駅であるが、中心から外れたからこそ、こうして昔の姿をとどめ、それが多くの人を魅了してくれるのは歴史の一コマと言えるだろう。

Dscn0105頭端式のホームに、JR九州の個性的な車両が横たわると、往年の「汽車」の風情というのか、異国的なものも感じられる。

Dscn0115さて、門司港に来ればレトロな街並みの散策ということになるが、先ほど九州に上陸したばかりにも関わらず、また本州に出ようと思う。門司港駅前の桟橋から、下関は唐戸行きの渡船が出ている。観光客だけではなく地元の人にとっても欠かせない足。7時10分の始発便には15人くらいの乗客がおり、船舶の往来の激しい海峡へとエンジンを吹かしていく。右手には関門橋の風景。昨日から橋ばっかり眺めているな・・・。

5分で唐戸に到着。このあたりも下関観光の中心である。渡船乗り場に近い唐戸広場へと向かう人が多い。祝日ということで、観光客向けの朝市をやっているようだ。朝食がまだなので、市場で食材を仕入れて味わうとしよう。

Dscn0126同じような考えの観光客で市場の一角が賑わっている。中心となっているのは下関に入ってきた地物、遠洋物揃った魚たち。それを寿司にして並べている。1カン200~300円と決して安くないのだが、ネタも大きいし、やはり雰囲気で食わせるというのかな、観光客が次々に箸を伸ばして好みのネタを選んでいる。

Dscn0121気づけば私も、フグやらクジラやらシマアジなどの寿司をつまみ、おまけにふぐ刺しの皿まで買っていた。朝食はおろか、夕食として何とも豪勢なことである。やはり旅行者というのはノリやすくなっている。ちょうど海辺の花壇のようなところに腰掛けられるようになっており、大勢の客たちとともに、海峡を眺めながらの朝食とする。

Dscn0140心地よくなったところで、次は赤間神宮に参拝。何でもこの日は「先帝祭」というのがあるとかで、境内はその準備に追われていた。「先帝」とは、この神宮に祭られている安徳天皇。境内には壇ノ浦に沈んだ平家一門の墓、そして怪談で有名な「耳なし芳一」の堂など、歴史を語るものが多い。子どもの頃に耳なし芳一の話を初めて聞いた時、えらく怖かったのを思い出す。

Dscn0133続いて、赤間神宮の横にある春帆楼へ。現在でもトップクラスの割烹であるが、ここは時代が一気に下って日清戦争の講和会議が行われたところ。学生の頃、卒業論文でちょうど日清・日露戦争の時期の日中関係について扱っていたのだが、就職が決まった後の夏休みの旅行で下関を訪ねた。当時日本軍の拠点であった下関を見て、論文へのインスピレーションが起こればという狙い。

Dscn0136まあ、卒論にどの程度生きたかは今となってはもう昔の話だが、敷地内の記念館にある当時の会議室、実際に伊藤博文と李鴻章が向かい合って座った(歴史の教科書に絵が載っていることがありますね)テーブルなどを見てうなったものである。この日は時間が早いこともあり省略。

Dscn0130再び唐戸まで戻ると、その途中に「源氏」「平家」の幟が目立つ。毎年GWに「源平まつり」というのをやっているようで、いろいろなイベントが行われるとか。また「同時開催」として、唐戸から船で渡る巌流島では、宮本武蔵と佐々木小次郎の対決にちなんだイベントも行われるとか。これだけ歴史上のスターが登場するのも、何とも面白そうな感じ。ちょいとのぞいてもいいのだが・・・・。

Dscn0146唐戸からバスで下関駅に出て、今度は鉄道で再び門司を目指そう。ということで唐戸まで戻ったのだが、その手前の亀山八幡宮に面白い石碑を発見。その名も「床屋発祥の地」。鎌倉中期、ちょうど元寇の頃、御所の守りを務めていたある武士が、宝刀紛失の責任をとって職を辞し、息子を連れてちょうど風雲急を告げていた下関にやってきた。その息子「采女之亮政之(うねめのすけまさゆき)」は、下関にいた新羅人から髪結いの技術を学び、在来の武士や商人を相手に髪結所を開き、商売をする一方で宝刀の捜索を続けたという(後に宝刀は見つかり、一家は名誉を回復したという)。

その髪結い所の奥に、天皇と祖先(藤原氏)をまつる立派な床があり、いつしか「床のある場所」→「床場」→「床屋」になった・・・・というのが、この石碑によるところの由来である。まあ、こういう伝説というのはどこまで本当かはわからないことが多いのだが、亀山八幡宮、そして全国の理容業組合のホームページでそれぞれ取り上げられているところを見るに、誰かが勝手なことを言っているのでもなさそうだ。これは一つへぇ~ってなもんである。

・・・・だからというわけではないが、「床屋発祥の地」に敬意を表して、床屋に行くことにしよう。いや何も床屋発祥の地の情報を入手していたわけでもなく、ちょいと散髪をさぼっていたのと、観光施設が開くまでに時間があったので・・・・。

Dscn0151唐戸の渡船乗り場に近いその名も「理容 関門」。カット担当と顔そり・シャンプー担当が分業で回転を早くしているという、格安店である。地元の人に混じって私も頭をやってもらい、気分もリフレッシュした感じである。ちなみに店内のBGMは福岡のFMで、やはりこのあたり、中国地方とはいいながら文化的には九州に属している。

Dscn0150_2頭もすっきりしたところで唐戸からバスに乗車、下関駅へ。もう何年になるか、下関の駅舎が放火で全焼した。今でもその姿のまま、建て替えの話もどうなっているのか。逆に昔のさびれた風情も捨てがたいのだがと思いつつ、関門トンネルをくぐり、再び九州へと上陸・・・・(続く)。

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