7月15日。朝5時に起床する。外はすっかり明るくなっていて、またこの日も暑くなりそうな気配である。
前日夜になってこの日の回り方を決めたのだが、6時42分発の代行バスで本山に移動して、先に第70番の本山寺に参詣。その後歩いて予讃線の鉄橋の損壊現場を見に行くことにする。そこから本山駅までは1キロ弱の距離で、そのまま戻って観音寺駅への代行バスに乗ってもいいが、その先の第68番神恵院、第69番観音寺へは駅からまた歩きである。それならば、予讃線の鉄橋から直接歩いて神恵院と観音寺を目指すことにしようか・・。地図で見ると4キロほどというところか。帰りのバスは15時10分発なので時間には余裕がある。
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部屋で朝食を済ませ、ホテル代と前夜のビアガーデン代をまとめ払いしてチェックアウトする。駅のコインロッカーに大きなバッグを入れて、バス乗り場に停まっている観光バスに乗り込む。こういう場合、きっぷの扱いはどうなるのだろうか。バスの前にいた係員に聞くと「乗車券は普通に窓口で買っていただいて・・」とのこと。とりあえずもう一度駅舎に戻り、券売機で本山まで210円のきっぷを買って乗車する。バスに乗る分には改札はなかった。
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観光バスには学生など10人程度が乗車して出発。日曜日の朝ということでこの程度の乗車なのだろうが、平日の通勤通学となると1台でさばけるのかどうかが気になる。まあ、後続にもバスが停まっていたから状況に応じて増車するのだろう。
バスはいったん線路から離れ、途中から財田川沿いに走る。見た感じは穏やかな流れで、あの豪雨で鉄橋が傾く損害が起きたとは信じがたいところがある。
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10分ほど走るとバスがぎりぎり入れる細道を通り、本山駅に到着した。幸い駅はバスの駐車や方向転換ができる程度のスペースがあり、他にも2台が待機している。時間帯によってはこの待機車両も運転するのだろう。またホームには高松行きの快速「サンポート」が停車している。通常なら伊予西条5時39分発の列車で、観音寺は6時58分発。そして本山が7時02分発なので、ここから先の区間は通常運転に近いダイヤでの運行である。バスに乗ってきた他の客は皆そのままホームに向かい、列車に乗り込む。また、クルマで送られてきた人もいる。
駅のベンチで笈摺を羽織り、お参りの準備をする。係員はいたがバスに乗ってきた客の改札をする様子もなく、手元には210円のきっぷだけが残った。ズルを考えるなら、観音寺~本山は(多度津行きの代行バスなら観音寺~多度津は)タダで移動できるということになるのかな。こういう状況なのでJRの対応も緩くなって・・・いやいや、そういうことを考えてはいけないな。
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ともかく本山寺まで向かう。駅からは1キロあまりという位置で、駅正面の道をまっすぐ行く。この辺りは三豊市の豊中町というところ。豊中というと大阪の市の名前を連想するが、香川の豊中も三豊平野の真ん中ということでその名前がついている。集落を行くと寺の横の塀に出た。立派な門があるのでここが山門かと思ってくぐると、境内の参道の途中に出た。この門は大門というそうで、元々は別の寺の山門だったのを移築したものだという。
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境内を横切って改めて山門(仁王門)の前に立つ。先ほどの大門と比べると小ぶりに見えるが、鎌倉時代後期に建てられた国の重要文化財にも指定されている建物である。両側に塀があるわけでもなく、仁王門だけがポツンと建っている。改めてここで一礼して境内に入る。
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開放的な感じの境内で、正面に本堂がある。鎌倉時代後期の建立で、こちらは国宝に指定されている。国宝といっても自然にそこに建っている形で、仰々しさは感じない。駅から少し歩いただけですでに大汗だが、一息つけて改めてお勤めをする。西日本豪雨の義援金の箱もあったので、何がしかの募金協力をしておく。
807年というから平安の初期、本山寺は平城天皇の勅願で、弘法大師の手で開かれた。本尊は八十八所で唯一の馬頭観音で、脇には薬師如来と阿弥陀如来を祀っている。この阿弥陀如来は「太刀受けの弥陀」と呼ばれているそうだ。本山寺が長宗我部元親の兵に攻められた時(やはりこの人物が出てきたか)、本尊を守ろうとした住職が兵士に切りつけられた。そして兵士が本堂に入って厨子を開けたところ、肩から胸にかけて血を流している阿弥陀如来像が現れた。阿弥陀如来が住職の身代わりになったのだ。その姿を見た兵士たちは恐れをなして退散し、本堂と仁王門は消失を免れたという。
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本堂の横にシートで覆われているのは五重塔。明治時代に再建されたものだが、それから100年を過ぎて老朽化が激しくなったために、一度すべてを解体して「平成の大修復」が行われている。あちらこちらに修復のための寄進がよびかけられている。それが完成するのが今年平成30年というから、何とか平成に間に合う形である。もう少し後に訪ねていたなら完成した五重塔を見ることができたのに・・というところである。ネットで過去の写真など見ると、本堂と五重塔の組み合わせというのが結構立派に写っている。またこういう景色を実際に見ることがあるだろうか。
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本堂の手前にある大師堂に向かう。朝の時間ということで境内は人もまばらで、地元の人が散歩がてらに手を合わせたり、笈摺姿の人もクルマでの巡拝のようだ。
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他にも閻魔大王などを祀る十王堂や、「拓魂堂」というのがある。戦前、三豊の地から1000名以上の開拓団が満州に渡ったが、ソ連軍の侵攻やその後の流浪の中で多くの命が失われた悲しい歴史がある。戦後になって阿弥陀堂にて慰霊することになり、「拓魂堂」の名がつけられた。よく神社や寺院に「忠魂碑」が立てられているが、「忠」というのが昔の「天皇陛下万歳」を連想させてあまり好きではない。しかし、「拓魂」という言葉には何か引かれるものを感じる。そういうことはあったと歴史の時間で少し習ったとしても、実態はどうだったのか、そもそもなぜ満州に渡ったのかについては私も知らないことが多い。また勉強しなければと思う。
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開放的な境内にさまざまな歴史を感じた後で、本堂の裏にある本坊の納経所へ。地元の小学校からのお接待ですという貼り紙があり、塩飴と子どもたち手作りのしおりが籠に置かれている。せっかくのご厚意なのだからと一つずついただく。
これから第68番の神恵院、第69番の観音寺に歩いて向かう。地図を見ると、このまま財田川沿いに沿って歩けばよいとある。ここだけ変則的な「逆打ち」コースとなるが、ともかく歩こう。時刻は8時前だが気温はもう30度を超えているのではないだろうか。前日レンタカーを使ったこともあり、せめて4キロくらいは歩いてみようと杖を手に進む・・・。
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駅のベンチで笈摺を羽織り、お参りの準備をする。係員はいたがバスに乗ってきた客の改札をする様子もなく、手元には210円のきっぷだけが残った。ズルを考えるなら、観音寺~本山は(多度津行きの代行バスなら観音寺~多度津は)タダで移動できるということになるのかな。こういう状況なのでJRの対応も緩くなって・・・いやいや、そういうことを考えてはいけないな。
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807年というから平安の初期、本山寺は平城天皇の勅願で、弘法大師の手で開かれた。本尊は八十八所で唯一の馬頭観音で、脇には薬師如来と阿弥陀如来を祀っている。この阿弥陀如来は「太刀受けの弥陀」と呼ばれているそうだ。本山寺が長宗我部元親の兵に攻められた時(やはりこの人物が出てきたか)、本尊を守ろうとした住職が兵士に切りつけられた。そして兵士が本堂に入って厨子を開けたところ、肩から胸にかけて血を流している阿弥陀如来像が現れた。阿弥陀如来が住職の身代わりになったのだ。その姿を見た兵士たちは恐れをなして退散し、本堂と仁王門は消失を免れたという。
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