まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

奈良6番「石上神宮」~神仏霊場巡拝の道・19(天理青年、進めわれら)

2022年07月14日 | 神仏霊場巡拝の道

JR、近鉄が接続する天理駅に降り立つ。高架ホームから降りる階段や改札口への通路には「ようこそ おかえり」の文字が目立つ。天理市に本部がある天理教では、この地は神様が人間に魂を吹き込んだ場所とされており、ここに来るということは生まれた場所に戻るという意味があるそうだ。

駅前には古墳をモチーフにしたという野外ステージや広場があり、キッチンカーも出ている。

さて、石上神宮まで徒歩30分、とりあえず向かうことにする。

天理といえば先ほども出た天理教で、市の名前も天理教からつけられたという宗教都市である。いわば天理教の「寺内町」とでもいうところ。天理市の人口は6万人あまりというが、その4分の1程度が天理教の関係者だと言われている。また、市街地の多くに天理教の関連施設が存在することから、固定資産税などの税金がどうなるのかというのが気になるところだが、これを補うとして、天理教からは多額の寄付がなされているという。それが天理市の財源の一つにもなっているのだとか。

こう書くと天理市の行政にも天理教が口出しするとか、市議会議員、市役所職員にも天理教が入り込んでいるのではないかと邪推するが、市と天理教が一体となって地域の発展に取り組むとしつつも、教団としては市長や市議会に候補者を立てることはしないとのことである。いや、宗教とカネ、宗教と政治というのがこのところにわかに世間を賑わせているもので・・・(だからと言って、親が宗教団体のせいで破産に追い込まれたからといって元総理大臣を銃殺するのはまったくの筋違いなことで・・)。

歩くうち「詰所」という看板が目につく。昔ながらの屋敷風もあればコンクリート造りの建物もあり、道端に「詰所マップ」というのもある。詰所とは天理教の信者向けの宿泊施設で、中には一般の人も利用できるところもあるようだ。天理教の大きなイベントとなると全国からこの天理の地に信者たちがやって来るので、こうした施設も必要である。

独特の外観を持つ建物が見えてくる。これらも詰所だったり、また病院もあるようだ。何だか日本ではなく、中国のどこかの都市に来たかのような錯覚をおぼえる。

そして正面には天理教本部の社殿・・というのか、巨大な建物がそびえる。全国各地に天理教の施設があるのだが、さすがは本部である。神仏霊場巡拝の道の札所ではないが、天理教にも触れることになるとは・・。

こちらには誰でも上がっておつとめすることができるそうだが、さすがにそこまでの度胸?はなかった。中からは天理教で唱えられる歌らしき声、柏手などが響く。

天理教本部の敷地を横切ると、石上神宮まで残り400メートルほどとなった。徒歩30分と言いつつ、天理教関連の建物が刺激的で、退屈を感じることはなかった。

再び詰所が並ぶ一帯を抜け、最後に少し坂を上って石上神宮に入る。ようやく、本題だ。

石上神宮も歴史が古い神社で、古くは物部氏が祭祀をつとめていた。古墳時代の作とされる国宝の「七支刀」でも知られている。また、平安時代後期には白河天皇が特に崇敬しており、拝殿は白河天皇が宮中の建物を寄進したものと伝えられている。

境内を進むと、休憩所に30羽はいるだろうか、鶏が放し飼いにされていて、競うように時の声をあげている。鶏は夜明けに鳴いて時を告げることから昔から神聖なものとされ、石上神宮でも神の使いとして大切にしているという。鳥の鳴き声が魔除けとなり、ご利益を呼ぶのだとか。

先ほど大神神社では卵が奉納されているのを見ており、何だか妙なつながりを感じる。

そのまま楼門から拝殿に向かう。その奥には本殿があるが、大正時代に新たに建てられたものだという。元々は本殿がなく、拝殿の後方の禁足地に祀られている祭神・布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を拝んでいた。石上神宮は中世に入ると荘園や守護勢力の争いに巻き込まれ、果ては織田信長勢により社領も没収された。しかし地元の人たちの信仰に支えられ、明治になると神宮の名前も復活した。

こちらで朱印をいただくが、一般的な「石上神宮」の文字にするか、七支刀を描いた特別なものにするか尋ねられる。いくら国宝でも七支刀はないだろう・・と、一般的な文字を選択。

それを待つ間に雨が落ちてきた。時間はまだあるが、この先の帯解寺は次以降に回すとしよう。しばらく雨宿りを兼ねて、翌日出かけるエリアを決めるあみだくじとする。

1.根来寺(和歌山9番)

2.法楽寺(大阪6番)

3.籠神社(京都51番)

4.室生寺(奈良23番)

5.大阪天満宮(大阪9番)

6.西明寺(滋賀4番)

翌日は夕方からのほっともっとフィールド神戸でのバファローズ戦+大花火大会の観戦をを予定しており、できれば兵庫県辺りを回りたかったが、事前のくじ引きで出たのは上の6ヶ所。ここまで兵庫県は一度も選択肢に現れない。まあ、大阪の2ヶ所ならよし。室生寺なら、またまた奈良県、しかも今回と続くエリアとなる。和歌山、滋賀は行けないこともないが、籠神社は京都は京都でも天橋立である。もし籠神社なら、この日の奈良の宿泊をキャンセルしてでも今夜のうちにあちら方向に移動するか、別の機会に仕切り直しだ。

そしてあみだくじアプリが出したのは・・・大阪天満宮。今回の中ではベストの選択だと思う。

帰りは天理教本部の中ではなく、その南側に位置する天理大学、天理高校の辺りを歩く。

高校野球の甲子園大会では、勝利した学校の校歌が流れるが、何度も出場している学校であれば、そこの出身者でなくても耳になじむ校歌というのがある。天理高校の校歌もその一つといっていいだろう。「見よ空高く輝く光 天理のみおやの導くところ」で始まり、「天理青年 進めわれら」で終わるが、堂々として、かっこよく感じる。ただ初めて知ったが、もともとは「天理教青年会」の歌として作られたものだという。

頭の中で校歌がフレーズされるうち、雨脚が強まった。幸い、駅に続く商店街のアーケードが見え、アーケードの屋根にたたきつけられる雨の音を聞きながら無事に戻ることができた。天理教の寺内町らしく、両脇には天理教の紋章が並び、神具を取り扱う店もちらほらと見える。

15時56分発の奈良行きに乗車。奈良着は16時すぎだが、大汗もかいたし、やはり雨にも濡れたのでこの日は早めに切り上げとする・・・。

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