まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第13回中国観音霊場めぐり~第18番「宗麟寺」

2020年07月31日 | 中国観音霊場

大雨のため急遽レンタカー利用に切り替えた24日、第17番の龍蔵寺から第18番の宗麟寺を目指す。

当初の予定通りなら午前中いっぱいで龍蔵寺から湯田温泉まで戻り、鉄道~バス乗り継ぎで午後のそれなりの時間に宗麟寺に着くところだったが、このままクルマで回ると午前中には2ヶ所とも回り終える。レンタカーの返却時間まで他の寄り道もできてしまう。意外な展開になった。

無料の山口宇部道路の宇部東インターで降りて、山間部の道を走る。鉄道の宇部線は海側をぐるり回っているが、内陸を行く最短ルートである。宗麟寺には北側から到着した。幸い、宇部市街に入ると雨もやんだ。ちなみに公共交通機関だと、宇部新川駅からバスで宗麟寺上に着く。カーナビの案内が悪くて周辺をぐるぐる回った時に見つけたが、バス停は寺の裏手に位置していた。

宗麟寺が開かれたのは奈良時代、唐から来た為光(威光)和尚が、故郷に似た景色を愛でて、松江山(ずんごうざん)普済寺としたのが始まりとされる。松江とは、唐の国では観音菩薩の聖地として崇められていた湖である。鎌倉時代に臨済宗となったようだが、戦国時代にはいったん廃絶された。

再興されたのは江戸時代前期、長州藩の家老で宇部の領主の福原広俊が、父の元俊の菩提寺として建立した。宗麟というのは元俊の法号である。本堂は平成になって再建されたものだ。前日訪ねた第16番の洞春寺と同じように、正面に本堂を見て、左手に観音堂がある。中国観音霊場としては観音堂にてお勤めである。こちらでは雨も上がって、ホッとした気持ちでのお参りである。

さて、宗麟寺は庭園が有名だという。カーナビや道路標識も「宗麟寺庭園」と表記されていた。本堂の裏手に鎌倉時代の作という龍心庭がある。拝観は納経所で受付とあるので声をかける。住職とおぼしき方が何やら仏教のものらしい分厚い本を読んでいた。納経帳を差し出すといったん奥に下がり、マスク姿で出てきた。お互い様というところだろう。この時に庭園の拝観を申し出ると、本堂の横から上がって縁側沿いに裏に進むよう案内される。「案内の『テープ』を流します」とのこと。

そのまま進むと、いきなり「テープ」が流れてきた。おそらく住職本人が自ら語り、自ら「吹き込んだ」ものだろう。宗麟寺の歴史や、この庭園が禅の深淵な真髄を説いていることについて滔々と語っている。こちらも縁側に腰を下ろして「拝聴」する。

庭が造られたのは南北朝の頃で、池の形が「心」の字という。ただ、禅の心を理解するには私にはより一層の精進が必要である。それでも、一度荒廃したにも関わらず、南北朝時代の庭が今に残されていることにはうなるばかりである。宇部というと宇部興産に代表される工業の街のイメージが強かったが、こうしたスポットもある。中国観音霊場めぐりは、中国地方のさまざまな歴史を教えてくれるので私もたくさん学ばせていただいている。最後には納経所に納まっている住職にお辞儀をして寺を後にする。

これでこの日の2ヶ所を回り終えた。当初の公共交通機関利用のプランなら、もう1ヶ所、ときわ公園に行くことにしていたが、レンタカーのため行動範囲は広がっている。

そこで選んだのは、このまま宇部市街を突き抜けて、もう少し西へ。あの終着駅を含めた一帯である・・・。

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