まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第14回中国観音霊場めぐり~大関魁皇、特急「かいおう」、篠栗四国八十八ヶ所

2020年08月17日 | 中国観音霊場

折尾8時21分発の福北ゆたか線経由の博多行きに乗車して、8時40分着の直方でいったん下車する。次に乗るのは8時58分直方始発の博多行きである。

直方に来るのも久しぶり。かつての筑豊の炭鉱群の中心地だったところで、石炭記念館もある。当初は北九州近辺の日帰り周遊で石炭記念館見学や、かつての炭鉱線だった平成筑豊鉄道に乗ることも考えていたが、この後博多からの「かわせみ・やませみ・しんぺい」の臨時列車に乗る予定である。そのため駅前を少し見る程度となった。

2011年に新たに使用された駅舎。かつての駅舎では、駅前に炭鉱夫の像があったと記憶しているが、現在はここに新たな像が建っている。

それが直方出身の、元大関・魁皇(現・浅香山親方)の像である。平成の名大関として、通算1047勝、大関在位65場所(史上1位タイ)、幕内優勝5回を数える。横綱昇進も間近だったが、その後は故障もあり、大関在位が長い中、角番も13回(史上2位)を数えた。晩年は負け越し(休場)~角番~何とか勝ち越し~負け越し(休場)を繰り返すことに、当時同じような状況だった千代大海(現・九重親方)ともども批判の声もあったが、当時台頭してきたモンゴル勢いに対抗する力相撲に多くの声援が送られた。

銅像は2014年に完成したもの。大きさは等身大かな?と思ったが、高さは238cmあるという。ネットで検索すると魁皇本人が出席した除幕式の画像があったが、本人と銅像を並べると圧倒的に銅像のほうが大きい。一方で、かつてあった炭鉱夫の像は駅前から撤去され、現在は遠賀川の河川敷に移設されたという。石炭のイメージから脱却しようとしているのかな。

道を挟んで、黒い四本柱の建物が見える。大関魁皇にちなんで土俵でも再現したのかなと近づくと、かつての直方駅舎の車寄せを復元したものという。大変な勘違い。直方の鉄道の歴史を伝えようということのようだが・・。

次の博多行きに乗るためにホームに出ると、折尾方面からの列車がやって来た。先ほど乗った「DENCHA」が、若松から折尾を経て直方まで直通している。この車両の導入によって、若松から直方まで非電化区間~電化区間の直通運転が実現した。やって来た車両はパンタグラフが上がっていた。

次の博多行きは転換クロスシート車。青空の下、こちらも炭鉱の町だった飯塚に入る。現在も残るボタ山は今では緑に覆われた小山である。

桂川に到着。列車の通過待ちということでしばらく停車する。ここは筑豊本線と篠栗線の分岐駅だが、筑豊本線の終点である原田方面には1日10本足らずの列車が行き来するばかりで、博多へ続く篠栗線が本線の扱いとなっている(福北ゆたか線)。日本有数の装飾古墳とされる王塚古墳の最寄り駅との看板がある。

ここでやって来たのが「ハイパーサルーン」の車両。土曜・休日運転の特急「かいおう5号」である。特急「かいおう」は朝の直方・飯塚から博多への通勤、夕方の博多から飯塚・直方への帰宅の特急として走っているが、博多に10時過ぎに到着ということで、土曜・休日に博多へ出ようという人を目当てにもう1本運転されている。「かいおう」は「魁皇」である。かつての歴史の偉人ならともかく、運行を開始した2001年当時はバリバリの現役力士。そして引退後も特急「浅香山」とせずに「かいおう」として運転されていることに、地元の人たちの「魁皇愛」を感じさせる。

話がそれるが、列車名から四股名がつけられたというのが、現在幕内の輝。石川県出身で、北陸新幹線の最速列車「かがやき」に因んだもの。スピード出世を期待しての四股名だが、現在の成績を見ると、幕内中位~下位を行ったり来たりで、このままでは「かがやき」ではなく「はくたか」(同じ高田川部屋には読みは違うが白鷹山(はくようざん)という力士がいるなあ)、いやいや、下手したら「つるぎ」になってしまうぞ。もう一皮むけるよう頑張ってほしい。

篠栗線に入ると山がちな景色になる。篠栗線は石炭輸送のために吉塚~篠栗間は明治時代に開業したが、その先の桂川まで延びたのは1968年のこと。福岡の近郊路線で、福岡と筑豊を結ぶ短絡線として建設され、現在の福北ゆたか線につながるのだが、開業が後になったのは途中の八木山峠を越える必要があったからである。

その篠栗の山中にあるのが、篠栗八十八ヶ所。四国八十八所のミニ霊場で、小豆島、知多と並んで、日本三大新四国霊場の一つとされている。篠栗は弘法大師空海も唐からの帰朝時に修行したとされているが、霊場が開かれたのは江戸時代の天保年間、この地を訪ねた慈忍という僧によるという。村の困窮の救済のために祈願したところ、やがて村が繁栄した。これを弘法大師のご利益として村人たちに四国八十八所を模した霊場をつくるよう働きかけたのがきっかけである。

八十八所といっても四国のように立派なお堂が並ぶ寺は少なく、多くは山道の中にあるお堂や石仏だという。地元愛好家のサイトによると、篠栗という限られた地域の中だが、全長で約60キロ、徒歩だと4日間コースとある。

九郎原から篠栗トンネルを抜け、列車は城戸南蔵院前に到着。この南蔵院は、篠栗八十八ヶ所の第1番札所であり、総元締めである寺である。今思えば、いっそ特急に乗らず、ここで途中下車して篠栗八十八ヶ所をちょっとのぞいてもよかったかなと思う(一応、この旅も「中国観音霊場めぐり」という札所めぐりが建前なので・・)。この次の筑前山手、篠栗も八十八ヶ所の玄関駅となっている。

篠栗からは福岡近郊となり、乗客も少しずつ増える。各線の線路が集まり、周りには高層マンションも並ぶ吉塚から鹿児島本線に入り、10時19分、博多に到着。これから乗る「かわせみ・やませみ・しんぺい」の臨時列車は20分後に発車する・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
« 第14回中国観音霊場めぐり... | トップ | 第14回中国観音霊場めぐり... »

コメントを投稿