まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第6回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第5番「大師寺」(もう一度、田主丸へ)

2023年01月26日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

この記事は九州八十八ヶ所百八霊場として書くことにする。鳥栖から久大線に直通する日田行きの気動車で出発する。久留米を過ぎ、郊外に向けて走る。久大線のこのルート、九州西国霊場でも訪ねたし、九州八十八ヶ所百八霊場でも甘木地区にある札所めぐりのために訪ねた。

その拠点として下車した田主丸に到着。河童伝説が残る町で、駅のホームにも河童の像が立ち、また駅舎自体も河童をイメージした建物である。

前回、田主丸と甘木を結ぶ甘木観光バスも活用して回ったのだが、第5番・大師寺だけは本堂、庫裏が改修工事中だったため、朱印も得られず、お参りにカウントしなかった。久留米市内は九州南部をぐるり回った後でまた何ヶ所か訪ねることになるのだが、久大線に入るということでこの機に押さえておこう。

大師寺の前にもバス停はあるのだが、田主丸駅からはそれほど離れておらず、徒歩圏内である。駅からまず直進の道を歩き、国道210号線に出る。田主丸中央というバス停もあり、周囲には小ぶりながら商店街や川魚料理の店、酒蔵も並ぶ。こういう町だったんだな。

田主丸の発祥といえる記念碑もある。江戸前期の慶長年間、筑後の菊池丹後入道という人物が、この地の125間を開いて町筋を創建したのが始まりという。そして田主丸(たぬしまる)の名は、「我楽しう生まる」という言葉からついたそうだ。

また田主丸近辺は植木、苗木の育成が盛んで、久大線に乗っていてもさまざまな苗木を沿線に見ることができる。江戸中期の元禄年間から行われるようになったが、久留米藩の財政が苦しかったこともあり、農民の副業として奨励された歴史があるそうだ。

10分あまりで大師寺の看板が見え、路地に入る。無事に改修工事も終わったようで、建物も新しい感じに見える。前回、暑い中やって来たのだが寺が工事中で、いやそれでもどこかに電話して朱印だけでもいただこうかとも思ったが、割り切って今回改めて訪ねてよかったと思う。

大師寺が開かれたのは大正時代、高野山開創1100年を記念してのことという。また、九州二十四地蔵尊霊場の一つでもある。その昔秋月城下で祀られていた地蔵菩薩がこちらに移され、お堂の外で人々を見守っている。

庫裏の玄関のチャイムを鳴らそうとすると、ちょうど寺の方が出てきたので、朱印をお願いする。九州八十八ヶ所百八霊場については札所番号順にこだわらないとしたが、さすがに5番が空いている状態が続くのもどうかと思った(その点でいえば、同じ久留米でまだ10盤も空いているのだが・・)。

さてここからどうするか。もう1ヶ所、さらに東へ進んで日田まで行き、1ヶ所だけポツンと存在する第94番・不動寺に行くか。ただ日田まで行ってしまうと、肝心の太宰府に入る時間が結構遅くなる。観世音寺だけでなく天満宮、さらに九州国立博物館で「加耶」展を見ようと思うと、ちょっとどうかな・・。

日田についてはまた考えるとして、今回はそのまま久留米、鳥栖に戻ることにした。田主丸駅まで行ってもいいのだが、次の久留米行きまで40分以上時間がある。そして、先ほど通った田主丸中央のバス停からは、8時55分発のJR久留米行きがある。行き帰りでルートを変えるのもいいだろう。

国道210号線をずっと走る。久大線よりもこちらのほうが商店その他も並んでおり、地元の人たちにとってはメインルートであろう。

西鉄久留米~JR久留米まで結構時間がかかったこともあり、田主丸からは50分ほどの乗車。駅間の移動の所要時間だけなら久大線のほうが30分ほどで着くし、運賃も若干安い。ただ、停留所の利便性なら西鉄バスのほうが使い勝手がよさそうだし、それぞれのメリットを活用できればいいのではないかと思う。

久留米からはちょうど鳥栖行きが来たので乗車し、朝、コインロッカーに預けた荷物を回収して、鳥栖始発の列車に乗り継ぐ。この後は太宰府に向かうのだが、JRの二日市に移動して、そこから西鉄に乗り継ぐつもりである・・・。

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