まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第12回四国八十八所めぐり~第45番「岩屋寺」

2017年10月21日 | 四国八十八ヶ所
大寶寺から八丁坂を経て、ようやく下りにさしかかる。遍路ころがしとは言わないが、最後は結構長い下りである。目につくのは道沿いに点在する小さな石像。岩屋寺までの丁石かと思うがそうでもない。また、彫られているのもこれまでの道沿いにあった観音像や地蔵像とは一味違う。

前方に大きな岩が見えてきた。二つに割れていて、その真ん中には扉、そしてお堂がある。祀られているのは赤い不動明王。ここが逼割禅定(せりわりぜんじょう)と呼ばれる行場である。

岩屋寺というところは古くから山岳信仰、修験道の修行の場として開かれていた。寺の伝説によれば、弘法大師が修行の地を探してこの山にやってきた時、そこで800年の間修行をしていたという法華仙人という女性に出会う。法華仙人は弘法大師を立派な僧だと見て帰依し、この山を修行の場として献上したという。その後も多くの人が修行の場として訪れており、踊り念仏の時宗を開いた一遍上人も伊予の産まれだからか、逼割禅定でも修行したそうだ。

その逼割禅定は岩場を梯子や鎖で上って行く。ただ、これは誰でも行けるわけではなく、納経所で扉の鍵を借りて中に入るという。観光気分ではなく、やはり修行という気構えが必要なのだろう。もっとも、現在梯子の老朽化ということで立ち入りはできないとある。後で納経所に行った時、梯子や鎖の修復の寄進を受け付けていた。

改めて見ると、道沿いにある石像は不動明王の眷属三十六童子であるのがわかる。ところによっては童子の名前が書かれた幟もある。これまで、西国三十三所や四国八十八所のお砂踏みというのに出会ったことはあるが、三十六童子めぐりというのは初めてである。今、近畿三十六不動めぐりも並行して始めていることもあり、これにはうなる。岩屋寺の本堂から一巡するコースにもなっていて、今回は八丁坂の方から来たので裏側から入って通り抜ける形になった。時刻は16時を回っており、それらを見て回る時間がないのが残念である。朝から久万高原に来ていればこうしたところも含めて歩けたのになと思うが、そういう選択をしたのだから何も言わない。

三十六童子を回るうち、下のほうから団体が唱える般若心経、不動明王の真言が聞こえてくる。そして山門をくぐる。ここに山門があるということは、昔の遍路道から見ればこちらが正門なのかな。

そして入った境内、これもまたワイルドな感じ。山門側から大師堂、本堂である不動堂の順に並ぶが、その背後は無数の穴が開いた巨大な岩山である。大昔は海底だったそうで、それがこの高さまで隆起したものだという。また本堂の下には、弘法大師が修行したとされる穴禅定というのもある。

ここまで四国八十八所の半分の札所を訪ねてきたが、このワイルドさというのは実に印象に残る。岩場の風情(まさに岩屋寺の名前の通り)を感じながらお勤めとする。そして大師堂に移ると、階段の下から、ここまで抜いたり抜かれたりしてきた二人連れがやってきた。「お兄さん早いなあ~」と言われる。ただ下から上ってきたということは、八丁坂は通らずに古岩屋からの車道を歩いてきたのだろうか。私が境内で休んでいるとまた階段を下りて行った。

16時半を回り、納経時間切れまであと少しというところでご朱印をいただく。

この岩屋寺、八丁坂方面から来たら下りの途中に境内がある形だが、クルマで来たら駐車場から長い参道を歩くことになる。完全にクルマはシャットアウトで、クルマやバスツアーで来た人にとっては「難所」とされている。岩屋寺と聞いて頭に浮かぶのは、「水曜どうでしょう」。ちょうど冬場に来たどうでしょう班、凍結した参道で滑ったりするが、この山の景色を見て大泉洋さんが「ありがたいなあ」と「悟りを開く」という場面である(その後駐車場やクルマの中でディレクター陣と食べ物を巡って揉めるのがお約束で・・・)。全く予備知識なしで来て「ありがたいなあ」という言葉が出たのは素の反応で、大泉さんにそう言わせるだけのものが岩屋寺にはあるのかなと思いながら来たわけだが、私も「ありがたいなあ」と素直に感じた。

参道を下りる途中で17時となり、「夕焼け小焼け」のメロディが流れる。「山のお寺の鐘が鳴る」の歌詞の通り、後で鐘の音が一つゴーンと鳴る。坂道を下り、橋を渡ったところにバス停があった。小屋になっていて、17時40分までバスを待つ。半日歩いて汗をかいたし、他に乗客の姿もないのでシャツを着替える。途中少しだけ雨に降られたが、何とか岩屋寺まで行くことができてよかった。日程変更も当たりだったと思う。これで明日からの予定も変わってくる。

ただ、ここからバスまでの時間が長く感じる。17時を回って急に暗くなってきた。参拝者も次々とクルマで国道33号線方面に向けて出て行く。そんな中でもうすぐバスの時間と言うことで小屋の外に出ると、1台のクルマが停まった。運転手は笈摺を着ていて「乗りますか?」と声をかけてくれる。ありがたかったが、バスがもうすぐ来るということもあり、そこはお礼だけ言って辞退する。

17時40分を回ったが、バスは来ない。来るのは間違いないはずだが、山の中、しかも暗くなっていくところで一瞬不安になる。ローカルバスに乗りたいからと、クルマに乗せていただくのを辞退したが、ふと、これはありがたく受けたほうが良かったのかなと思う。

ただ、そんな不安は一瞬のことだった。5分ほど遅れたが、バスはやってきた。途中渋滞するわけでもないだろうに遅れるのはなぜかと思うが、久万高原では待ち時間があるので影響はない。1日3本、曜日や季節によってはさらに少なくなるこの路線、ともかく来てくれて安心した。久万高原から景勝地の面河渓まで走る便だが、乗り込むと先客は一人だけ。整理券を取るろうとすると、運転手は「番号覚えておいてください」と運賃表示板を指さす。整理券が出ないのか、客が少ないから出さないのか。ここから県道を一気に走るが、暗いので景色は見えない。二人連れが泊まる古岩屋荘の灯りも山の中の一軒宿の風情である。私の八十八所めぐりでは町のビジネスホテルに泊まるのだが、時にはこうしたところに泊まってもいいかなと思う。

途中歩いて来た区間も通り、20分ほどで久万高原に到着。時刻は18時過ぎだがすっかり真っ暗である。久万中学校のバス停から松山駅行きのJRバスは18時41分。来る時に立ち寄った道の駅の売店は営業時間が終わっていたので、バス停向かいのドラッグストアで時間をつぶす。

やって来たバスも少ない乗客だった。後はこれに乗って松山駅まで1時間揺られる。少しずつ周りが明るくなってきたのでホッとする。そして市の繁華街、三番町から一番町を通る。バス通り沿いの風俗店の無料案内所を覗き込む人の姿もある。土曜日の夜、これからが賑わう時間帯である。

19時50分、松山駅に到着。この14日、15日は駅前で連泊となる・・・。
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