クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

<サロメ>の演奏史(4)~ダウンズ(映像)、ドホナーニ

2005年09月10日 | 演奏(家)を語る
<サロメ>の演奏史・第4回。1990年代に行なわれた2つの上演記録を今回語って、この<サロメ>シリーズも終了である。

9.ダウンズ指揮によるコヴェント・ガーデンでの映像盤 (1992年) 【パイオニア】

サロメを演じるマリア・ユーイングの捨て身の熱演が、音声のみならず映像付きで記録されたことによって、これは尋常ならざるインパクトを持つ全曲盤となった。(※1992年5月30日&6月2日、コヴェント・ガーデンでのライヴ収録。)ここで指揮しているエドワード・ダウンズは、オーケストラをとりあえずちゃんと鳴らす人、というレベルの指揮者だと私は見ている。だから、これをもしCDのような音声だけのメディアで耳にしたら、あまり印象に残らない記録になっていたんじゃないかと思う。その意味では、これは映像の勝利とも言えそうな物である。

まず主役歌手だが、率直に言って、サロメを歌うユーイングには声量が足りない。語りに近い部分での低い声は迫力があるが、強い高音はどうにも力不足。彼女は1970年代に、ベームの指揮による<フィガロの結婚>映像盤に出て、お小姓のケルビーノをやっていた人だ。もともとは、そういう人だった。しかし後年、この<サロメ>のタイトル役や、ショスタコーヴィチの<ムツェンスク郡のマクベス夫人>でのカテリーナ(※少し前に、NHK-FMで吉田秀和氏がやっている番組の中で、全曲を何回かに分けて紹介していたのを聴いた。)など、かなりエグイものをやるようになった。この人も随分変わったんだなあ、と思う。

マイケル・デヴリンという人が演じるヨカナーンは、ふんどし一丁で背中に毛皮をはおっているだけという、ほとんど全裸に近い姿で登場する。そして長い黒髪と、白塗りの全身。ヴィジュアル系のロック歌手にこんな人がいるかも、と思わせるような風貌だ。だから、「この人はやせて、白くて、まるで象牙細工みたい」というサロメのセリフが、非常にピッタリ来る。声に重みや威厳が足りないという不満はあるが、この人のヨカナーンも映像の勝利であろう。

ユーイングは、目線がどこかに飛んでいるような表情によってサロメの狂気をリアルに演じている。これは演技賞ものだ。しかし、何と言ってもこの映像盤、「七つのヴェールの踊り」からが圧倒的な見せ場になる。ベームの映像盤では、この踊りの振り付けが何とも物足りなかったのだが、ユーイングのサロメは、あの有名な音楽に乗せてちゃんと踊りを舞っている。これだけでも、十分素晴らしい。ところが、この踊りの最後に驚天動地の事件(!)が起こるのだ。

台本の設定どおり、このサロメは踊りの最後に、舞台の上で本当に全裸になるのである。下半身は何らかの処理をしているはずだが、身にまとうような物は何もつけていない。そして上半身は間違いなく客席に向かって生の乳房を出している。私がこれを初めて見たのはもう何年も前だが、「何もそこまでしなくても・・」と絶句してしまった記憶がある。舞台演出の担当はピーター・ホールという人だが、ユーイングは彼の実生活上の妻だった。自分の奥さんに、と言うか、奥さんだからこそ、ここまでやらせてしまえたのかなと思う。踊りの後から最後の幕切れまで、ユーイングは涙をボロボロ流しながら演じきった。これは、観ていてちょっと複雑な気持ちになってしまう映像でもある。・・・そういう訳で、<サロメ>演奏史も1990年代に入ってついに、舞台上でサロメを演じる歌手が本当に全裸を見せるまでに至ったのである。

10.ドホナーニ指揮のウィーン・フィル盤 (1994年) 【L】

このCDを手にした時は、先入観を持たないように解説などは見ず、演奏だけをまず聴き通した。その段階での感想を言えば、あまり良い物とは思わなかった。ここでサロメを歌っているキャサリン・マルフィターノの声と歌唱が、まず私には全くいただけない。前半部のヨカナーンとのやり取りの中で彼女がしばしば発する高音のフォルテは、私の耳に不快な痛みを与える。ヨカナーンを地上に出してほしくてナラボートを篭絡しようとする場面での表現にも、さっぱりコケットリーがない。ヨカナーンの首を執拗に求める場面での表情の変化も稚拙、ラストの「あなたに口づけしたわ」にも官能が感じられない。実につまらない。

ヨカナーンは、ここでもブリン・ターフェル。シノーポリ盤の時より年数を積んでいる分、少しは板についた歌唱とも言えそうだが、やはり聴いていて感じ入るものは特になかった。

ここに出演している歌手達の中では、ヘロディアス役のハンナ・シュヴァルツが私には一番印象的だった。彼女は1974年のベームの映像盤に「ナラボートを慕う小姓」の役で出ていて、そのナラボートに突き飛ばされて地面に転がったり、サロメに鼻先で命令されて使いっ走りをさせられたりしていた。しかし、あれから20年の風雪に耐え(?)、ついにヘロデ王の妻に収まったのを見ると、ああ、長生きした甲斐があったねって。w 冗談はさておき、ここでのシュヴァルツがヴェテラン芸で聴かせるヘロディアスは、かなり古典的な“ババア”イメージのヘロディアス像を打ち出しているように感じられた。ひょっとしたら、ベームの映像盤でヘロディアスを演じていたバイロイトの大歌手の芸が、当時端役で共演していたシュヴァルツさんの脳裏に残っていたのだろうか。

指揮者ドホナーニについて言えば、ダイナミズムよりはむしろ、譜読みの細かさをうかがわせる表現に特徴を感じた。確かに、ヨカナーンとサロメの最初のやり取りが終わるところ、あるいは全曲を締めくくる終曲部分などは、いかにもデジタル録音時代を象徴するようなダイナミック・サウンドが聴かれる。しかし、むしろ「七つのヴェールの踊り」などに見られる神経質なまでに細かく配列された音のパレット、人によっては、マニエリスムの臭いを嗅ぎ取ってしまいそうな細部へのこだわり、そういった部分にこそ、この指揮者の特性が見出せるような気がしたのであった。(※そう言えば、この「七つのヴェールの踊り」の後半部分に、チェレスタと思われる楽器の音がキラキラと散りばめられていたが、あれは何だろう?もともとの楽器編成に、確かチェレスタはないはずなので・・。)

そうやって一通り聴き通してから、解説ブックを読んだ。その結果、ああ、そういう事かと頷ける点があった。この録音のもととなったザルツブルクでの舞台演出が、室内劇になっていたらしいのだ。舞台写真を見ると、何だか刑事ドラマで見るような警察の取調室みたいな空間に、小さな机とイスが置いてある。そこにヘロデ一家の三人がいる、という図だ。登場人物はシャツにズボン、あるいはドレスといった、現代風の装いをしている。ドホナーニは、そういうコンセプトの舞台に合わせたオーケストラ・サウンドを作っていたようなのだ。<サロメ>演奏にしては随分神経質に感じられたソノリティは、実はこんな室内劇をやっている上演に合わせたものだったからのようである。と、そうは言っても、この演奏は私にはあまり感じ入る要素はなかったと言わざるを得ない。そして正直言って、そんな前衛的演出の舞台にも興味がない。観たいとも思わない。

これで、私が語れる<サロメ>の演奏史、と言うか、感想文シリーズはおしまいである。4回にわたって、合計10種の全曲盤&ビデオを年代順に並べてきたが、少し前の記憶や印象で語っているものも少なくない。だから、今また聴き直したら、違った感じ方をするものもおそらくあると思う。また、私がまだ聴けていないものの中に優れた演奏の記録が含まれている可能性も十分ある。それやこれやで、この4回で<サロメ>演奏史のすべてが語れている訳ではないのだが、どの部分かでも、お読みになった方々に参考にしていただけるところがあったら幸いである。
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<サロメ>の演奏史(3)~ベーム(映像)、カラヤン、シノーポリ

2005年09月07日 | 作品を語る
<サロメ>の演奏史・第3回である。今回は、1970年代の半ば頃から後半にかけて行なわれた演奏に話を進めてみたい。まずは、前回予告していたベームの映像盤から。

6.ベーム指揮ウィーン・フィルの映像盤(1974年) 【ユニテル】

あのハンブルクでの伝説的ライヴから、4年。ベームはウィーン・フィルと、映像付きで<サロメ>の再録音を行なった。映像の担当はゲッツ・フリードリッヒ。1970年代の映像収録盤ということで、ご多分に漏れずここでも音声は引っ込み気味だが、十分鑑賞出来る水準にある。内容はオーケストラも歌手陣も、そして映像も揃って大変素晴らしいもので、数ある<サロメ>全曲盤の中でも、最も多くの方に推奨できる最高級の名演になっている。

ここでは何と言っても、サロメを演じるテレサ・ストラータスが非常に魅力的だ。演技や風貌といった、ヴィジュアル面での説得力がまず大きい。これが映像収録盤であることに、心から感謝したい。特に独特のキャップをかぶって登場するドラマ前半部分の姿は、もう魅惑の極みである。この声と姿で、「ねえ、ナラボート。あなたなら私の願いをきいてくれるわよね」なんてあんな風に迫られたら、ナラボートならずとも、「王女のご希望だ。預言者を地上に出せ」ぐらいの事なら簡単に言ってしまいそうだ。

しかし、それ以上に賞賛に値するのは、ドラマ後半部分での激しい演技と歌唱だろう。「七つのヴェールの踊り」は振り付け自体がパッとせず、ちょっと観ていて物足りないが、踊った後に始まるやり取りは素晴らしい。ハンス・バイラーが演じる、どこか人のいいオジサンみたいなヘロデに向かって、額に青筋を立てながら執拗にヨカナーンの首を求め続けるところ。ここは映像の威力も加わって、凄い迫力がある。そしてヨカナーンの首を手にした時の、「あなたはキスさせてくれなかったわよね、ヨカナーン」と叫ぶところでも、逃げの発声を使わず真っ向から歌いきったパワーに脱帽する。こんなスリムな体躯から、どうやってこれほどの声が出せたんだろうと思う。録音が完璧なハイ・ファイではなく、やや引っ込み気味だから十分パワフルな声だと感じたのかも知れないが、いずれにしてもこれだけのものが視聴出来たら不満はない。(※彼女には別の作品映像もいくつかあるのだが、この<サロメ>の頃がやはり一番良かった。)

ヨカナーンを演じているのは、ベルント・ヴァイクル。朗々とした響きに、独特の柔らかさがある声の持ち主だ。録音では時として、その柔らかさゆえに生ぬるい歌唱表現に聴こえてしまって損をしている部分がなきにしもあらず、という感じの人だが、映像は彼の強い味方になる。実に堂々たるヨカナーンである。ただ(私の記憶違いでなければ)、飛行機の中で、あるプロレスラーに同業者と勘違いされたというエピソードを持つヴァイクルの雄大な体格は、「やせこけて、白くて、象牙細工みたい」というサロメのセリフを、ちょっと外れたものにしてしまう。とは言うものの、素顔でもそのままやれてしまいそうな風貌を持つ彼のヨカナーンは、しっかり板についたものという印象を与える。

この映像盤では、ヘロディアスを演じているのがアストリッド・ヴァルナイであることも見逃せない。ここでは詳述出来ないが、彼女こそ1950年代のバイロイトを支えた偉大なワグネリアン・ソプラノだった。演出のフリードリッヒも、彼女にかなりの敬意を感じていたように思える。と言うのは、サロメとヘロデのやり取り場面など、必ずしもヘロディアスが出ていなくてもいいような場面でも、ヴァルナイが出てきて、しっかりと画面の真ん中に映るように配置したりしているのだ。ここでの彼女の声は当然ながら、往年の大ワグネリアン時代のものではないが、ヘロディアスの“クソババア”な性格を演じるには、十分である。演技も達者だ。ヘロデがサロメに向かって、「お前の母の席に座ってもよいぞ」と言ったとたん、冗談じゃないわよ、とばかりバタバタと走ってきて自分の座席にどっかりと座るあたり、結構ユーモラスな味も出している。こういう大歌手が、こんな演技を見せてくれるとは・・。

(※ところで、同じベーム&フリードリッヒによる<エレクトラ>の映像にも、ヴァルナイさんはクリテムネストラの役で出演している。声や歌唱について言えば、同じベームのドレスデン録音(G)で同役を歌っていたジーン・マデイラの方が素晴らしいが、晩年のヴァルナイが演じたエレクトラの母というのは、その不気味な姿だけでも十分に迫力があり、説得力があった。)

最後になってしまったが、ベームの指揮も素晴らしい。ここではウィーン・フィルの音色を得て、ハンブルク盤にはなかった官能美が聴かれる。特に、弦が艶めかしくて良い。前回ハンブルク・ライヴを語った時にも、いくつか具体的な箇所に触れたが、こちらの再録音の方が指揮者の意図がより良く行き渡っているように思える。という訳で、<サロメ>がどういう作品なのか知りたい、というビギナーの方にも一番にお勧め出来るのが、ベームの映像盤ということである。

7.カラヤン指揮のウィーン・フィル盤(1977~78年) 【EMI】

カラヤン&ウィーン・フィルの<サロメ>は、例によってカラヤン独自の美学による個性的名演だが、これはフレーニが主演した<蝶々夫人>のデッカ録音と一脈合い通ずる世界を形成している。即ち、精妙に磨き上げられた人工美の楽園としての<サロメ>である。良くも悪くも、“スタジオ録音のカラヤン・ワールド”そのものだ。従って、鳴っている音楽の完成度は、もう究極と言っていいぐらいに高い。よくぞここまでオーケストラの音が磨き上げられるものだと、恐れ入ってしまう。ある意味でこれは、<サロメ>演奏史上の一つの到達点にも見える。

この録音でサロメを歌っているヒルデガルト・ベーレンスは、よく練りこまれた完成度の高い歌唱を聴かせる。後年、ワグナーを中心とする激しい役柄を舞台で演じるようになって、彼女の声はどんどん荒れていくことになるのだが、ここでは録音マイクを前にして、ゆとりのある美声を披露している。ただし、この歌唱に感銘を受けるどうかは別問題。私の場合は、感心しただけで終わった。続いては、ヘロディアスを歌うアグネス・バルツァが個性的。ヘロディアスという役を“いい歳いったオバン”とイメージしている方には、バルツァの声と歌唱は若すぎると感じられるだろう。逆に、ヘロディアスはまだまだ若くて色香のある女性だと思う方には、最高の名唱と受け取れることだろう。

録音年代という観点から見れば、これはちょうどアナログ・ステレオの絶頂期にあたるものだ。これより後は、デジタル録音の時代に入る。その意味でもこれは、一つの時代の到達点となる記録と言えそうである。

―ここからは、〔1980~90年代〕である。と言っても、1980年代の記録については、私は何一つ聴いていないので、事実上1990年代の物のみとなる。

8.シノーポリ指揮のベルリン・ドイツ・オペラ盤(1990年) 【G】

シノーポリの<サロメ>は、現在録音で聴ける範囲内で一番刺激的な<サロメ>演奏かも知れない。楽譜の細かいところまで抉り出し、鳴らし切って、鮮烈極まりないサウンドが披露されている。ただ、この聴き疲れのする<サロメ>は、一度聴いたら気が済んでしまうというか、食傷してしまう感がなきにしもあらずである。有名な「七つのヴェールの踊り」では、ねっとりした濃厚な表情を聴かせるが、後半部分の音響はあまりにも派手で外面的なため、私には何だかチンドン屋さんみたいに聴こえてしまった。(※前半部分で聴かれるねっとり感は、往年のサバタがやっていた演奏に少し似ている。イタリア的、と言えるものかも知れない。)

チェリル・ステューダーが歌うサロメには、どことなく知的な印象を受ける。ある意味で、非常に現代的なサロメだ。中音域の声で優しい表情を出す時の彼女の歌は、極めて音楽的で美しい。強靭なフォルテの部分でも健闘している。が、やはり余裕綽々とまではいかないようだ。ヨカナーン役のブリン・ターフェルは非常に豊かな声の持ち主だが、何だかその豊か過ぎる声を持て余しているような感じがする。他の歌手陣は全く印象が薄かった。

次回・第4回で、この<サロメ>シリーズも終了の予定である。あとに残るは、2つ。
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<サロメ>の演奏史(2)~ショルティ、ベーム

2005年09月04日 | 演奏(家)を語る
前回に続き、<サロメ>の演奏史・第2回である。今回は、1960~1970年代のステレオ期に録音された演奏に進んでみたいと思う。なお番号については、前回からの通し番号になっているので、今回は4から始まることになる。

〔1960~1970年代〕

4.ショルティ指揮のウィーン・フィル盤(1961年) 【L】

クラウス盤から7年、録音技術は革命的な進歩を遂げていた。ステレオ録音の実用化である。この<サロメ>というのはある意味、幸福な作品だと思う。クラウス盤というモノラル期の傑作のみならず、ステレオの最初期にもいきなり、こんな物凄い音の演奏が記録されたのだ。もっと年代の新しいCD群と並べても、全く遜色ないぐらいの鮮烈さとダイナミズムを持った音である。ショルティが鳴らすウィーン・フィルの音は、“音響の飽和状態”を作り出している。ヨカナーンが自ら井戸の中に戻り、やがてヘロデ達が登場して来るまでの間奏曲に当たる部分や、全曲の締めくくり部分などが特にそうだ。

指揮者の性格がよく出ている箇所としては、ユダヤ人たちが論争を始めて大騒ぎになり、ヘロディアスが「この人たち、うるさいったら」としびれを切らして叫ぶまでの場面。ショルティは昔から、いわゆる音の乱れ、あるいはごちゃついた喧騒といったものをとことん嫌う人だったという事がよくわかる。ここでショルティは、ぐっとテンポを落として、ユダヤ人たちの論争を決して蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)にさせない。普通ならやかましい騒ぎになっているはずの場面も、ショルティの指揮のもとにあっては、シンフォニックに整理される。「七つのヴェールの踊り」もやはり、交響的な性格の強い演奏になっている。この盤にあえてケチをつけるとすれば、鳴っている音楽があまりにもあっけらかんと鮮烈で、情念とか官能美とか呼べるような要素が不足していることだろうか。

当ショルティ盤ではビルギット・ニルソン全盛期のサロメが聴けるが、さすがに声の威力は相当なものだ。だが彼女の歌というのは、得てしてその強大な声ゆえに大味になりがちな欠点がある。例えば、ヨカナーンを見たいからとナラボートを篭絡しようとする場面など、もう少しコケットリーが欲しい。しかし、ラスト・シーンは良かった。かなり官能的な息づかいの歌を聴かせて、おおっ、と思わせる。

他の歌手について言えば、ヨカナーンを歌うエバーハルト・ヴェヒターがかなり良い。私の印象としては、この人は典型的な“オヤジ声”の歌手なので、(映像記録に見る演技力は別として)歌唱については気に入ったものが実はほとんどない。感心したものと言えば、ヨゼフ・クリップスの指揮によるスメタナの歌劇<ダリボル>(ウィーン・ライヴ)で歌った国王ヴラジスラフぐらいしか、今は思いつかない。しかし、その国王の名唱と並んで、ここでのヴェヒターも立派な出来を示していると言ってよいと思う。太く、かつ引き締まった声が、若くて堂々としたヨカナーン像を作り出している。シュトルツェのヘロデも(好悪は分かれそうだが)、雄弁な表現力を発揮して強い存在感を示している。また、クメントは私が知っている中で最も逞しいナラボートを聴かせる。

5.ベーム指揮のハンブルク・ライヴ(1970年) 【G】

一言で言えば、一気呵成の熱演。いかにもベームらしい、きりりと引き締まった音による強靭なシュトラウス表現だ。とにかく、聴く者に息を継がせないような緊張感がある。ヨカナーンが井戸に戻ってから、ヘロデ達が登場するまでの間奏曲に当たる部分なども、相当速いテンポで演奏されている。ただ、後述するウィーン・フィルとの映像盤に比べると、ベームの意図が十全に音化されているとは言い難い面もあるようだ。例えば、ユダヤ人たちの論争場面など、舞台上での歌手達は賑やかにやっているが、オーケストラはちょっと引いているような印象を受ける。ウィーン・フィル盤では、オーケストラともども轟然たる喧騒状態を生んでいて効果満点なのだが・・。あるいは、サロメが古井戸に近づいて下の様子を窺おうとする場面も、後のウィーン・フィル盤ほどの迫力が出ていない。「七つのヴェールの踊り」も引き締まってシンフォニックな感じで、何だか交響詩の演奏みたいに聴こえる。(※と言っても、歌劇場でのライヴの最中なのに、まるで交響詩のスタジオ録音みたいにがっちりと「サロメの踊り」を演奏しきってしまうというのは、考えてみたら凄いことではある。)

これは1970年11月4日のハンブルク劇場に於ける新演出上演の初日とかで、そのせいもあってか、出演歌手達の熱気も凄い。グィネス・ジョーンズのサロメについては、渾身の熱唱である事は評価できるものの、やや一本調子というか、サロメの性格や表現の多様性を十分に表現し切れていないような感じがした。しかし、彼女にとってはこれがサロメ役への初挑戦だったそうなので、それを思えば上々の出来と言うべきかも知れない。特に、ヨカナーンの生首を手にした場面での声は立派だった。

F=ディースカウはディクションの明晰さによって、他の誰よりも言葉に説得力のあるヨカナーンを演じていたが、声質自体がこの役にはどうかな、とも思われた。あと面白かったのは、「第一の兵士」にクルト・モル、「第一のナザレ人」にハンス・ゾーティンといった、「おいおい、凄すぎるんでないかい?」と言いたくなるような超豪華な脇役陣。こういう人たちは脇役に回っても、声に存在感がある。なので、知らずに聴いていても、「あれ、この役歌っている人、いいなあ」という感じで気がつく事が多いのである。

そう言えば、ヘロデを演じたリチャード・キャシリーも忘れてはならない。ステージ上では、サロメが踊りながら脱ぎ捨てた物を手にとって、うっとりと嗅いでみせたりしたらしい。エグイぞ。残念ながら音声だけでは、その異様な姿をうかがう事は出来ないのだが。

しかし、ベームの指揮による<サロメ>としては、このライヴの4年後にウィーン・フィルと映像付きで収録されたものの方が、さらに素晴らしい完成度を誇る。今回の枠ではとても収まりきらないので、そこからのお話は次回ということにしたいと思う。
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<サロメ>の演奏史(1)~カイルベルト、クラウス、ミトロプロス

2005年09月01日 | 演奏(家)を語る
今回から4回に分けて、<サロメ>の演奏史について語ってみたい。もっとも、前回の最後に言及した通り、実体は「演奏史を語る」などというご立派なものではなく、私がこれまでに聴いて(あるいは、視聴して)きた<サロメ>の全曲録音を録音年代順に並べ、それぞれについての感想文を書いていくというものである。まず第1回となる今回は、一番古い1950年代のモノラル録音から始めてみたいと思う。

〔1950年代〕

1.カイルベルト指揮のバイエルン・ライヴ (1951年) 【Orfeo】 

ヨゼフ・カイルベルトの<サロメ>と言えば、1950年前後にクリステル・ゴルツ主演によってドレスデンで行なわれたライヴの録音も存在するのだが、私が聴いたものとしては、若きインゲ・ボルク主演による当バイエルン・ライヴが一番古い物である。実はボルクについては、ブログを立てた初期(2004年11月17日)に一度記事を書いていたのだが、その当時はまだ、このCDについてはカタログ上で存在を知るのみで、聴いていなかった。あれから数ヶ月後にようやく入手して聴いたのだが、そこでちょっと驚いたのである。ボルクの声が後年のそれとはまるで別人のようにみずみずしく、そしてキャピキャピしているのだ。

ここで彼女が聴かせるサロメは“悪魔みたいな子猫チャン”といった感じで、若々しく強靭な声がよく伸びる。ナラボートを篭絡して井戸からヨカナーンを出させる事に成功したサロメが、「あなたの体が好きよ」「髪の毛が好きよ」と絡んでいくあたりの小悪魔的な妖艶さが、まず良い。さらに聴き物なのは、踊ったあとにヨカナーンの生首を執拗に求めるサロメと、うろたえるヘロデのやり取り。続いて、盆に盛られて出てきたヨカナーンの生首に彼女がキスするまでの展開である。「あたし、ヨカナーンの生首が欲しいの」というショッキングな一言を可愛らしく(!)発するところから、「ヨカナーンの首!首がほしいの」「ヨカナーンの首が欲しいんだってば!」と、意固地に言い張り続ける場面での、はすっぱな声の表情が最高だ。マックス・ロレンツが演じるヘロデの激しいうろたえぶりも良い。そして最後、ヨカナーンの生首に向かって、「あなたに口づけしたわ」と陶酔して歌う時の声も、後年の大砲を打ち出すような発声とは違って伸びやかに響く。若き日のボルクは、こんな声を持っていたのだ。数あるサロメ歌手たちの中でも、この若きボルクが私を一番ゾクゾクさせてくれる。

このライヴではまた、当時昇竜の勢いにあったハンス・ホッターのヨカナーンが聴けるのもうれしい。非常に立派な歌唱である。声も申し分なく逞しいが、何よりもこの人が歌うと、言葉に説得力が出る。まさに洗礼者ヨハネの貫禄だ。ヨカナーンというのは結構大事な役である割になかなか名唱に出会えないので、ホッターさんの出演記録は貴重である。

一方、残念に思われるのは、録音の貧弱さだ。聴きづらいノイズとかは無いのだが、記録された音自体がとにかく貧しくて、全然伸びてこないのである。年代からしてやむをえない部分もあるが、アンプのボリュームをかなり大きめにして聴くことになる。カイルベルトはいかにも練達の劇場指揮者らしく、骨太にオーケストラを鳴らしている。「七つのヴェールの踊り」などは、今の感覚で聴くと粗くて稚拙だが、作品全体をしっかりと把握した指揮ぶりである。ここ一番のところで聴かせるパワーも凄い。このCDは録音の貧しさを気にしなくてもいいように、ミニコンポでの再生がお勧め。

2.クラウス指揮のウィーン・フィル盤(1953年) 【L】

クレメンス・クラウス&ウィーン・フィルの<サロメ>は、モノラル期の決定的名演だった。その最たる要因は、クラウスの優れた指揮にある。昔何かの本で読んだのだが、この録音は当時のウィーン・フィルのメンバー達が、「我々の一番の傑作」とお気に入りだったらしい。なるほどと、頷けるものがある。これは<サロメ>演奏史上、スタジオ収録で完成された世界初の全曲盤だったと思うが、これほどの名演がいきなり最初に作られてしまったというのは、つくづく凄いことである。「七つのヴェールの踊り」など、音彩といい、テンポといい、表情といい、今の感覚で聴いても最高級の名演だ。本当にモノラル録音であることなど忘れて、聞き惚れてしまう。また、ヨカナーンがサロメに対して、「お前は呪われておる」と厳しい言葉を吐きつけるところなども見事な迫力。

クリステル・ゴルツのサロメは当時最高と絶賛されたものだが、聴く人によって、評価の差が出そうな気がする。私の個人的な好みとしては、上で語った若き日のボルクの方に軍配を挙げたい。当クラウス盤の歌手陣の中では、むしろユリウス・パツァークのヘロデが強い印象を残す。この人は、例のワルター&ウィーン・フィルによるマーラーの<大地の歌>(L)でのテノール独唱者としてよく知られているが、世紀末的な頽廃臭を漂わせる独特の声と歌唱が、ヘロデのキャラクターによく合っているようだ。

3.ミトロプロスのメトロポリタン・ライヴ(1958年) 【Living Stage】

ここでもインゲ・ボルクのサロメが聴けるが、上記のカイルベルト盤から7年後のライヴということになる。しかし、この7年という年月は彼女の声に大きな変化をもたらしていた。サロメよりはエレクトラ向きの、太い響きを持った強靭な声になっているのだ。ベームの<エレクトラ>ドレスデン録音(G)などで聴かれる、あの声に近い。従ってここでは、’51年盤のような“蠱惑(こわく)的”サロメは聴けない。その重量感ある強靭な声ゆえに、より大人になったサロメという感じになっている。残念ながら、’51年のサロメを知ってしまった現在、私はこの録音にはあまり惹かれるものがない。

ここでヘロデを歌っているのはオテロ歌手として知られるラモン・ヴィナイで、何とも異色のキャスティングである。サロメが踊ったあとに始まるヘロデとのやり取りはキングコング対ゴジラ、じゃなくてエレクトラ対オテロみたいになる。(※もっとも、こういう珍妙な取り合わせが面白い、というマニアの方もおられるような気がするが。)他の歌手陣には、パッとした印象が無い。特にヨカナーンを歌う無名歌手は、およそ録音で聴き得る限り、最低の部類に属するシロモノである。

ミトロプロスの指揮についても、私個人的にはうなずけない部分が多い。ヨカナーンが自ら井戸に戻ってからヘロデ達が登場してくるまでの、ちょうど間奏曲に当たる部分。変だ・・。そして有名な「七つのヴェールの踊り」。もっと変だ・・。困ったな・・。サウンドもフレージングも、ちょっと個性的に過ぎるのだ。音質は、カイルベルト盤よりもずっと豊かではあるが・・。

次回は、<サロメ>演奏史の第2回。1960~70年代のアナログ・ステレオ期の全曲録音に目を向けてみたい。
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