<サロメ>の演奏史・第4回。1990年代に行なわれた2つの上演記録を今回語って、この<サロメ>シリーズも終了である。
9.ダウンズ指揮によるコヴェント・ガーデンでの映像盤 (1992年) 【パイオニア】
サロメを演じるマリア・ユーイングの捨て身の熱演が、音声のみならず映像付きで記録されたことによって、これは尋常ならざるインパクトを持つ全曲盤となった。(※1992年5月30日&6月2日、コヴェント・ガーデンでのライヴ収録。)ここで指揮しているエドワード・ダウンズは、オーケストラをとりあえずちゃんと鳴らす人、というレベルの指揮者だと私は見ている。だから、これをもしCDのような音声だけのメディアで耳にしたら、あまり印象に残らない記録になっていたんじゃないかと思う。その意味では、これは映像の勝利とも言えそうな物である。
まず主役歌手だが、率直に言って、サロメを歌うユーイングには声量が足りない。語りに近い部分での低い声は迫力があるが、強い高音はどうにも力不足。彼女は1970年代に、ベームの指揮による<フィガロの結婚>映像盤に出て、お小姓のケルビーノをやっていた人だ。もともとは、そういう人だった。しかし後年、この<サロメ>のタイトル役や、ショスタコーヴィチの<ムツェンスク郡のマクベス夫人>でのカテリーナ(※少し前に、NHK-FMで吉田秀和氏がやっている番組の中で、全曲を何回かに分けて紹介していたのを聴いた。)など、かなりエグイものをやるようになった。この人も随分変わったんだなあ、と思う。
マイケル・デヴリンという人が演じるヨカナーンは、ふんどし一丁で背中に毛皮をはおっているだけという、ほとんど全裸に近い姿で登場する。そして長い黒髪と、白塗りの全身。ヴィジュアル系のロック歌手にこんな人がいるかも、と思わせるような風貌だ。だから、「この人はやせて、白くて、まるで象牙細工みたい」というサロメのセリフが、非常にピッタリ来る。声に重みや威厳が足りないという不満はあるが、この人のヨカナーンも映像の勝利であろう。
ユーイングは、目線がどこかに飛んでいるような表情によってサロメの狂気をリアルに演じている。これは演技賞ものだ。しかし、何と言ってもこの映像盤、「七つのヴェールの踊り」からが圧倒的な見せ場になる。ベームの映像盤では、この踊りの振り付けが何とも物足りなかったのだが、ユーイングのサロメは、あの有名な音楽に乗せてちゃんと踊りを舞っている。これだけでも、十分素晴らしい。ところが、この踊りの最後に驚天動地の事件(!)が起こるのだ。
台本の設定どおり、このサロメは踊りの最後に、舞台の上で本当に全裸になるのである。下半身は何らかの処理をしているはずだが、身にまとうような物は何もつけていない。そして上半身は間違いなく客席に向かって生の乳房を出している。私がこれを初めて見たのはもう何年も前だが、「何もそこまでしなくても・・」と絶句してしまった記憶がある。舞台演出の担当はピーター・ホールという人だが、ユーイングは彼の実生活上の妻だった。自分の奥さんに、と言うか、奥さんだからこそ、ここまでやらせてしまえたのかなと思う。踊りの後から最後の幕切れまで、ユーイングは涙をボロボロ流しながら演じきった。これは、観ていてちょっと複雑な気持ちになってしまう映像でもある。・・・そういう訳で、<サロメ>演奏史も1990年代に入ってついに、舞台上でサロメを演じる歌手が本当に全裸を見せるまでに至ったのである。
10.ドホナーニ指揮のウィーン・フィル盤 (1994年) 【L】
このCDを手にした時は、先入観を持たないように解説などは見ず、演奏だけをまず聴き通した。その段階での感想を言えば、あまり良い物とは思わなかった。ここでサロメを歌っているキャサリン・マルフィターノの声と歌唱が、まず私には全くいただけない。前半部のヨカナーンとのやり取りの中で彼女がしばしば発する高音のフォルテは、私の耳に不快な痛みを与える。ヨカナーンを地上に出してほしくてナラボートを篭絡しようとする場面での表現にも、さっぱりコケットリーがない。ヨカナーンの首を執拗に求める場面での表情の変化も稚拙、ラストの「あなたに口づけしたわ」にも官能が感じられない。実につまらない。
ヨカナーンは、ここでもブリン・ターフェル。シノーポリ盤の時より年数を積んでいる分、少しは板についた歌唱とも言えそうだが、やはり聴いていて感じ入るものは特になかった。
ここに出演している歌手達の中では、ヘロディアス役のハンナ・シュヴァルツが私には一番印象的だった。彼女は1974年のベームの映像盤に「ナラボートを慕う小姓」の役で出ていて、そのナラボートに突き飛ばされて地面に転がったり、サロメに鼻先で命令されて使いっ走りをさせられたりしていた。しかし、あれから20年の風雪に耐え(?)、ついにヘロデ王の妻に収まったのを見ると、ああ、長生きした甲斐があったねって。w 冗談はさておき、ここでのシュヴァルツがヴェテラン芸で聴かせるヘロディアスは、かなり古典的な“ババア”イメージのヘロディアス像を打ち出しているように感じられた。ひょっとしたら、ベームの映像盤でヘロディアスを演じていたバイロイトの大歌手の芸が、当時端役で共演していたシュヴァルツさんの脳裏に残っていたのだろうか。
指揮者ドホナーニについて言えば、ダイナミズムよりはむしろ、譜読みの細かさをうかがわせる表現に特徴を感じた。確かに、ヨカナーンとサロメの最初のやり取りが終わるところ、あるいは全曲を締めくくる終曲部分などは、いかにもデジタル録音時代を象徴するようなダイナミック・サウンドが聴かれる。しかし、むしろ「七つのヴェールの踊り」などに見られる神経質なまでに細かく配列された音のパレット、人によっては、マニエリスムの臭いを嗅ぎ取ってしまいそうな細部へのこだわり、そういった部分にこそ、この指揮者の特性が見出せるような気がしたのであった。(※そう言えば、この「七つのヴェールの踊り」の後半部分に、チェレスタと思われる楽器の音がキラキラと散りばめられていたが、あれは何だろう?もともとの楽器編成に、確かチェレスタはないはずなので・・。)
そうやって一通り聴き通してから、解説ブックを読んだ。その結果、ああ、そういう事かと頷ける点があった。この録音のもととなったザルツブルクでの舞台演出が、室内劇になっていたらしいのだ。舞台写真を見ると、何だか刑事ドラマで見るような警察の取調室みたいな空間に、小さな机とイスが置いてある。そこにヘロデ一家の三人がいる、という図だ。登場人物はシャツにズボン、あるいはドレスといった、現代風の装いをしている。ドホナーニは、そういうコンセプトの舞台に合わせたオーケストラ・サウンドを作っていたようなのだ。<サロメ>演奏にしては随分神経質に感じられたソノリティは、実はこんな室内劇をやっている上演に合わせたものだったからのようである。と、そうは言っても、この演奏は私にはあまり感じ入る要素はなかったと言わざるを得ない。そして正直言って、そんな前衛的演出の舞台にも興味がない。観たいとも思わない。
これで、私が語れる<サロメ>の演奏史、と言うか、感想文シリーズはおしまいである。4回にわたって、合計10種の全曲盤&ビデオを年代順に並べてきたが、少し前の記憶や印象で語っているものも少なくない。だから、今また聴き直したら、違った感じ方をするものもおそらくあると思う。また、私がまだ聴けていないものの中に優れた演奏の記録が含まれている可能性も十分ある。それやこれやで、この4回で<サロメ>演奏史のすべてが語れている訳ではないのだが、どの部分かでも、お読みになった方々に参考にしていただけるところがあったら幸いである。
9.ダウンズ指揮によるコヴェント・ガーデンでの映像盤 (1992年) 【パイオニア】
サロメを演じるマリア・ユーイングの捨て身の熱演が、音声のみならず映像付きで記録されたことによって、これは尋常ならざるインパクトを持つ全曲盤となった。(※1992年5月30日&6月2日、コヴェント・ガーデンでのライヴ収録。)ここで指揮しているエドワード・ダウンズは、オーケストラをとりあえずちゃんと鳴らす人、というレベルの指揮者だと私は見ている。だから、これをもしCDのような音声だけのメディアで耳にしたら、あまり印象に残らない記録になっていたんじゃないかと思う。その意味では、これは映像の勝利とも言えそうな物である。
まず主役歌手だが、率直に言って、サロメを歌うユーイングには声量が足りない。語りに近い部分での低い声は迫力があるが、強い高音はどうにも力不足。彼女は1970年代に、ベームの指揮による<フィガロの結婚>映像盤に出て、お小姓のケルビーノをやっていた人だ。もともとは、そういう人だった。しかし後年、この<サロメ>のタイトル役や、ショスタコーヴィチの<ムツェンスク郡のマクベス夫人>でのカテリーナ(※少し前に、NHK-FMで吉田秀和氏がやっている番組の中で、全曲を何回かに分けて紹介していたのを聴いた。)など、かなりエグイものをやるようになった。この人も随分変わったんだなあ、と思う。
マイケル・デヴリンという人が演じるヨカナーンは、ふんどし一丁で背中に毛皮をはおっているだけという、ほとんど全裸に近い姿で登場する。そして長い黒髪と、白塗りの全身。ヴィジュアル系のロック歌手にこんな人がいるかも、と思わせるような風貌だ。だから、「この人はやせて、白くて、まるで象牙細工みたい」というサロメのセリフが、非常にピッタリ来る。声に重みや威厳が足りないという不満はあるが、この人のヨカナーンも映像の勝利であろう。
ユーイングは、目線がどこかに飛んでいるような表情によってサロメの狂気をリアルに演じている。これは演技賞ものだ。しかし、何と言ってもこの映像盤、「七つのヴェールの踊り」からが圧倒的な見せ場になる。ベームの映像盤では、この踊りの振り付けが何とも物足りなかったのだが、ユーイングのサロメは、あの有名な音楽に乗せてちゃんと踊りを舞っている。これだけでも、十分素晴らしい。ところが、この踊りの最後に驚天動地の事件(!)が起こるのだ。
台本の設定どおり、このサロメは踊りの最後に、舞台の上で本当に全裸になるのである。下半身は何らかの処理をしているはずだが、身にまとうような物は何もつけていない。そして上半身は間違いなく客席に向かって生の乳房を出している。私がこれを初めて見たのはもう何年も前だが、「何もそこまでしなくても・・」と絶句してしまった記憶がある。舞台演出の担当はピーター・ホールという人だが、ユーイングは彼の実生活上の妻だった。自分の奥さんに、と言うか、奥さんだからこそ、ここまでやらせてしまえたのかなと思う。踊りの後から最後の幕切れまで、ユーイングは涙をボロボロ流しながら演じきった。これは、観ていてちょっと複雑な気持ちになってしまう映像でもある。・・・そういう訳で、<サロメ>演奏史も1990年代に入ってついに、舞台上でサロメを演じる歌手が本当に全裸を見せるまでに至ったのである。
10.ドホナーニ指揮のウィーン・フィル盤 (1994年) 【L】
このCDを手にした時は、先入観を持たないように解説などは見ず、演奏だけをまず聴き通した。その段階での感想を言えば、あまり良い物とは思わなかった。ここでサロメを歌っているキャサリン・マルフィターノの声と歌唱が、まず私には全くいただけない。前半部のヨカナーンとのやり取りの中で彼女がしばしば発する高音のフォルテは、私の耳に不快な痛みを与える。ヨカナーンを地上に出してほしくてナラボートを篭絡しようとする場面での表現にも、さっぱりコケットリーがない。ヨカナーンの首を執拗に求める場面での表情の変化も稚拙、ラストの「あなたに口づけしたわ」にも官能が感じられない。実につまらない。
ヨカナーンは、ここでもブリン・ターフェル。シノーポリ盤の時より年数を積んでいる分、少しは板についた歌唱とも言えそうだが、やはり聴いていて感じ入るものは特になかった。
ここに出演している歌手達の中では、ヘロディアス役のハンナ・シュヴァルツが私には一番印象的だった。彼女は1974年のベームの映像盤に「ナラボートを慕う小姓」の役で出ていて、そのナラボートに突き飛ばされて地面に転がったり、サロメに鼻先で命令されて使いっ走りをさせられたりしていた。しかし、あれから20年の風雪に耐え(?)、ついにヘロデ王の妻に収まったのを見ると、ああ、長生きした甲斐があったねって。w 冗談はさておき、ここでのシュヴァルツがヴェテラン芸で聴かせるヘロディアスは、かなり古典的な“ババア”イメージのヘロディアス像を打ち出しているように感じられた。ひょっとしたら、ベームの映像盤でヘロディアスを演じていたバイロイトの大歌手の芸が、当時端役で共演していたシュヴァルツさんの脳裏に残っていたのだろうか。
指揮者ドホナーニについて言えば、ダイナミズムよりはむしろ、譜読みの細かさをうかがわせる表現に特徴を感じた。確かに、ヨカナーンとサロメの最初のやり取りが終わるところ、あるいは全曲を締めくくる終曲部分などは、いかにもデジタル録音時代を象徴するようなダイナミック・サウンドが聴かれる。しかし、むしろ「七つのヴェールの踊り」などに見られる神経質なまでに細かく配列された音のパレット、人によっては、マニエリスムの臭いを嗅ぎ取ってしまいそうな細部へのこだわり、そういった部分にこそ、この指揮者の特性が見出せるような気がしたのであった。(※そう言えば、この「七つのヴェールの踊り」の後半部分に、チェレスタと思われる楽器の音がキラキラと散りばめられていたが、あれは何だろう?もともとの楽器編成に、確かチェレスタはないはずなので・・。)
そうやって一通り聴き通してから、解説ブックを読んだ。その結果、ああ、そういう事かと頷ける点があった。この録音のもととなったザルツブルクでの舞台演出が、室内劇になっていたらしいのだ。舞台写真を見ると、何だか刑事ドラマで見るような警察の取調室みたいな空間に、小さな机とイスが置いてある。そこにヘロデ一家の三人がいる、という図だ。登場人物はシャツにズボン、あるいはドレスといった、現代風の装いをしている。ドホナーニは、そういうコンセプトの舞台に合わせたオーケストラ・サウンドを作っていたようなのだ。<サロメ>演奏にしては随分神経質に感じられたソノリティは、実はこんな室内劇をやっている上演に合わせたものだったからのようである。と、そうは言っても、この演奏は私にはあまり感じ入る要素はなかったと言わざるを得ない。そして正直言って、そんな前衛的演出の舞台にも興味がない。観たいとも思わない。
これで、私が語れる<サロメ>の演奏史、と言うか、感想文シリーズはおしまいである。4回にわたって、合計10種の全曲盤&ビデオを年代順に並べてきたが、少し前の記憶や印象で語っているものも少なくない。だから、今また聴き直したら、違った感じ方をするものもおそらくあると思う。また、私がまだ聴けていないものの中に優れた演奏の記録が含まれている可能性も十分ある。それやこれやで、この4回で<サロメ>演奏史のすべてが語れている訳ではないのだが、どの部分かでも、お読みになった方々に参考にしていただけるところがあったら幸いである。