クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

<サロメ>の演奏史(3)~ベーム(映像)、カラヤン、シノーポリ

2005年09月07日 | 作品を語る
<サロメ>の演奏史・第3回である。今回は、1970年代の半ば頃から後半にかけて行なわれた演奏に話を進めてみたい。まずは、前回予告していたベームの映像盤から。

6.ベーム指揮ウィーン・フィルの映像盤(1974年) 【ユニテル】

あのハンブルクでの伝説的ライヴから、4年。ベームはウィーン・フィルと、映像付きで<サロメ>の再録音を行なった。映像の担当はゲッツ・フリードリッヒ。1970年代の映像収録盤ということで、ご多分に漏れずここでも音声は引っ込み気味だが、十分鑑賞出来る水準にある。内容はオーケストラも歌手陣も、そして映像も揃って大変素晴らしいもので、数ある<サロメ>全曲盤の中でも、最も多くの方に推奨できる最高級の名演になっている。

ここでは何と言っても、サロメを演じるテレサ・ストラータスが非常に魅力的だ。演技や風貌といった、ヴィジュアル面での説得力がまず大きい。これが映像収録盤であることに、心から感謝したい。特に独特のキャップをかぶって登場するドラマ前半部分の姿は、もう魅惑の極みである。この声と姿で、「ねえ、ナラボート。あなたなら私の願いをきいてくれるわよね」なんてあんな風に迫られたら、ナラボートならずとも、「王女のご希望だ。預言者を地上に出せ」ぐらいの事なら簡単に言ってしまいそうだ。

しかし、それ以上に賞賛に値するのは、ドラマ後半部分での激しい演技と歌唱だろう。「七つのヴェールの踊り」は振り付け自体がパッとせず、ちょっと観ていて物足りないが、踊った後に始まるやり取りは素晴らしい。ハンス・バイラーが演じる、どこか人のいいオジサンみたいなヘロデに向かって、額に青筋を立てながら執拗にヨカナーンの首を求め続けるところ。ここは映像の威力も加わって、凄い迫力がある。そしてヨカナーンの首を手にした時の、「あなたはキスさせてくれなかったわよね、ヨカナーン」と叫ぶところでも、逃げの発声を使わず真っ向から歌いきったパワーに脱帽する。こんなスリムな体躯から、どうやってこれほどの声が出せたんだろうと思う。録音が完璧なハイ・ファイではなく、やや引っ込み気味だから十分パワフルな声だと感じたのかも知れないが、いずれにしてもこれだけのものが視聴出来たら不満はない。(※彼女には別の作品映像もいくつかあるのだが、この<サロメ>の頃がやはり一番良かった。)

ヨカナーンを演じているのは、ベルント・ヴァイクル。朗々とした響きに、独特の柔らかさがある声の持ち主だ。録音では時として、その柔らかさゆえに生ぬるい歌唱表現に聴こえてしまって損をしている部分がなきにしもあらず、という感じの人だが、映像は彼の強い味方になる。実に堂々たるヨカナーンである。ただ(私の記憶違いでなければ)、飛行機の中で、あるプロレスラーに同業者と勘違いされたというエピソードを持つヴァイクルの雄大な体格は、「やせこけて、白くて、象牙細工みたい」というサロメのセリフを、ちょっと外れたものにしてしまう。とは言うものの、素顔でもそのままやれてしまいそうな風貌を持つ彼のヨカナーンは、しっかり板についたものという印象を与える。

この映像盤では、ヘロディアスを演じているのがアストリッド・ヴァルナイであることも見逃せない。ここでは詳述出来ないが、彼女こそ1950年代のバイロイトを支えた偉大なワグネリアン・ソプラノだった。演出のフリードリッヒも、彼女にかなりの敬意を感じていたように思える。と言うのは、サロメとヘロデのやり取り場面など、必ずしもヘロディアスが出ていなくてもいいような場面でも、ヴァルナイが出てきて、しっかりと画面の真ん中に映るように配置したりしているのだ。ここでの彼女の声は当然ながら、往年の大ワグネリアン時代のものではないが、ヘロディアスの“クソババア”な性格を演じるには、十分である。演技も達者だ。ヘロデがサロメに向かって、「お前の母の席に座ってもよいぞ」と言ったとたん、冗談じゃないわよ、とばかりバタバタと走ってきて自分の座席にどっかりと座るあたり、結構ユーモラスな味も出している。こういう大歌手が、こんな演技を見せてくれるとは・・。

(※ところで、同じベーム&フリードリッヒによる<エレクトラ>の映像にも、ヴァルナイさんはクリテムネストラの役で出演している。声や歌唱について言えば、同じベームのドレスデン録音(G)で同役を歌っていたジーン・マデイラの方が素晴らしいが、晩年のヴァルナイが演じたエレクトラの母というのは、その不気味な姿だけでも十分に迫力があり、説得力があった。)

最後になってしまったが、ベームの指揮も素晴らしい。ここではウィーン・フィルの音色を得て、ハンブルク盤にはなかった官能美が聴かれる。特に、弦が艶めかしくて良い。前回ハンブルク・ライヴを語った時にも、いくつか具体的な箇所に触れたが、こちらの再録音の方が指揮者の意図がより良く行き渡っているように思える。という訳で、<サロメ>がどういう作品なのか知りたい、というビギナーの方にも一番にお勧め出来るのが、ベームの映像盤ということである。

7.カラヤン指揮のウィーン・フィル盤(1977~78年) 【EMI】

カラヤン&ウィーン・フィルの<サロメ>は、例によってカラヤン独自の美学による個性的名演だが、これはフレーニが主演した<蝶々夫人>のデッカ録音と一脈合い通ずる世界を形成している。即ち、精妙に磨き上げられた人工美の楽園としての<サロメ>である。良くも悪くも、“スタジオ録音のカラヤン・ワールド”そのものだ。従って、鳴っている音楽の完成度は、もう究極と言っていいぐらいに高い。よくぞここまでオーケストラの音が磨き上げられるものだと、恐れ入ってしまう。ある意味でこれは、<サロメ>演奏史上の一つの到達点にも見える。

この録音でサロメを歌っているヒルデガルト・ベーレンスは、よく練りこまれた完成度の高い歌唱を聴かせる。後年、ワグナーを中心とする激しい役柄を舞台で演じるようになって、彼女の声はどんどん荒れていくことになるのだが、ここでは録音マイクを前にして、ゆとりのある美声を披露している。ただし、この歌唱に感銘を受けるどうかは別問題。私の場合は、感心しただけで終わった。続いては、ヘロディアスを歌うアグネス・バルツァが個性的。ヘロディアスという役を“いい歳いったオバン”とイメージしている方には、バルツァの声と歌唱は若すぎると感じられるだろう。逆に、ヘロディアスはまだまだ若くて色香のある女性だと思う方には、最高の名唱と受け取れることだろう。

録音年代という観点から見れば、これはちょうどアナログ・ステレオの絶頂期にあたるものだ。これより後は、デジタル録音の時代に入る。その意味でもこれは、一つの時代の到達点となる記録と言えそうである。

―ここからは、〔1980~90年代〕である。と言っても、1980年代の記録については、私は何一つ聴いていないので、事実上1990年代の物のみとなる。

8.シノーポリ指揮のベルリン・ドイツ・オペラ盤(1990年) 【G】

シノーポリの<サロメ>は、現在録音で聴ける範囲内で一番刺激的な<サロメ>演奏かも知れない。楽譜の細かいところまで抉り出し、鳴らし切って、鮮烈極まりないサウンドが披露されている。ただ、この聴き疲れのする<サロメ>は、一度聴いたら気が済んでしまうというか、食傷してしまう感がなきにしもあらずである。有名な「七つのヴェールの踊り」では、ねっとりした濃厚な表情を聴かせるが、後半部分の音響はあまりにも派手で外面的なため、私には何だかチンドン屋さんみたいに聴こえてしまった。(※前半部分で聴かれるねっとり感は、往年のサバタがやっていた演奏に少し似ている。イタリア的、と言えるものかも知れない。)

チェリル・ステューダーが歌うサロメには、どことなく知的な印象を受ける。ある意味で、非常に現代的なサロメだ。中音域の声で優しい表情を出す時の彼女の歌は、極めて音楽的で美しい。強靭なフォルテの部分でも健闘している。が、やはり余裕綽々とまではいかないようだ。ヨカナーン役のブリン・ターフェルは非常に豊かな声の持ち主だが、何だかその豊か過ぎる声を持て余しているような感じがする。他の歌手陣は全く印象が薄かった。

次回・第4回で、この<サロメ>シリーズも終了の予定である。あとに残るは、2つ。
コメント (2)
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