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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

母の転院~小さな奇跡~

2023年04月30日 | エトセトラ
2023年4月30日。素晴らしい晴天となった今月の19日(水)、2ヶ月間お世話になった救急病院から、ちょっと離れた町の療養型病院へと、母は移送された。交通の足としては、高額な料金のかかる民間救急車を使用。「より廉価な介護タクシーでも、大丈夫かもしれない」という病院側スタッフの提案もあったのだが、移送途中の急変で命を落とす患者の例も少なからずあるということで、応急手当の出来る医療者が同乗する民間救急車の方を選んだ。ここで1万か2万のお金を渋ったために、本人が道中で亡くなってしまったら、悔やんでも悔やみきれまいと考えたからである。時間にして、40分ほどの移動。途中高速道路をフル活用したこともあって、目的地到着時に現金払いで29,500円。うちの家計には正直きついが、better safe than sorry ということで悔いはない。

ストレッチャーに横たわった状態で病室から出てきた母の姿を見て、ブログ主は驚いた。この2ヶ月間意識がほとんど戻らず寝たきりで、経鼻経管栄養を受けながら下痢を繰り返していたというにもかかわらず、顔色が随分良い。はだけた寝巻の中から見える体の色つやも、意想外にみずみずしい。「おそらく全身が土気色になっていて、総入れ歯を外した顔は干しかぼちゃみたいにひしゃげているだろう」と覚悟していたら、予想以上に良い状態でびっくり。看護スタッフの皆さんの行き届いたケアのおかげだろうなと、深い感謝の念を抱きつつ、母と救護担当の男性職員ともども車に乗り込む。その途中、眠っている母に声をかける。「K(ブログ主の名前)さんが来たよー」。閉じられた母の瞼が、ピククッと動く。「これからお引っ越しだよ。お引っ越しするの」。再び瞼がピクピクッ。聞こえているのかな・・。

で、そこから移送開始となったのだが、これがちょっとしたアクション映画の体験アトラクション。高速道路を時速90kmで爆走する民間救急車の速度感も凄かった(※超法規的手段としての青サイレンなど、全く使う必要無しだった)が、それをさらなる猛スピードで追い越す長距離トラック。背後から右車線をグゴオォーッという轟音とともに近づいてきて、そのまま抜いて前に出る大型車の恐ろしさ。頭の中で、あのBGMがしきりに繰り返される。

ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ、ンパッパッパッパッ♪
ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ、ンパッパッパッパッ♪

こちらのドライバーは片目を失ったヒーローではなく、男顔負けの度胸と腕を持つ若い女性だ。次々と追い越しをかけてくる大型トラックを操るのは、(モヒカン刈りの暴走族ほどヤバくはないが、)厳しい仕事のノルマに目を吊り上げている殺気立った運転手。こええよ。w いや、ほんと。こちらが載せているのは石油でもなければ、砂でもない。瀕死のおばあちゃんだぞ。間違っても、映画みたいなド派手な横転事故は無しで頼むよ(泣)。(※一応民間救急車側の立場でフォローしておくと、移送途中での死亡は絶対に避けたいので、一刻も早く受け入れ先に到着する事を至上目的に設定していたということ。)

―ということで、期せずして『マッドマックス2』みたいな世界を疑似体験してしまったブログ主だったが、奇跡との遭遇がその後にやって来る。

民間救急車の到着とほぼ同じタイミングで、弟の車も新しい入院先に到着。お互いに片手を上にあげて、「おお~っ、お疲れ」の合図。母の新しい泊まり先の方たちが、入り口でにこやかに出迎えてくれた。ストレッチャーが車から降ろされ、病院の廊下に入ってくる。弟が、母の近くに駆け寄る。すると、それまで2ヶ月もの間意識がほとんどなかった母がはっきりと目を覚まし、弟の顔を見るや、即座に次男との再会を認識したらしく、感激した表情で涙を流し始めた。お、おい、本当かよ、これ・・。そしてさらに、やせて骨ばった手で、弟の手をギュッと握る。長く昏睡状態で寝たきりだったことがちょっと信じられないぐらいの、しっかりした力が感じられる。続いて顔を見せた長男(ブログ主)とも、緩い握手。「これからのリハビリ次第で、サルコペニアは克服できるかもしれない」と、そんな明るい予想を立ててみたくなるような手の感触だった。

今自分が体験しているのは、1つの奇跡。いとおしむべき、小さな奇跡。・・・そんな思いが脳裏を巡った。

【追記】

今回の転院先を選ばせてもらった理由は、大きく2つ。1つ目は、毎月の入院費が10万円を少し切るぐらいの見込みで、他の候補地に比べて安かった事。(※実は、それでも大変。母の年金受取額は、1カ月当たり5万円ちょっと。後の不足分は当然、ブログ主の受け持ちとなる。)2つ目の理由は、ロケーションの良さ。弟が住んでいるマンションから車で5分ほどのところにその病院はあり、その気になれば歩いて通えないこともない・・そういう場所なのだ。これは大きなポイントである。ある意味、この2つ目の理由が決定打になったとも言える。
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意識が戻らない母。間に合わなかったプレゼント

2023年03月25日 | エトセトラ
2023年3月25日(土)。5日前に、今何か追加で送るべき物があるかどうかを確認しようと、ブログ主は病院に問い合わせの電話をかけた。受け付けの人を間に挟んで病棟の看護スタッフから来た返答は、「おむつの追加以外では、入浴時に使うボディソ-プとシャンプー、コンディショナーのセットを用意してほしい」というものだった。思わず、電話口の受け付けさんに訊き返す。「えっ、お風呂ですか?あの、タオル清拭(せいしき)じゃなくて」。「そのようです」。・・・近々お風呂に入れるという事は、いよいよ母の意識が戻りだしているのかなと、ちょっと嬉しくなった。電話の後、速攻で近所のドラッグストアに行き、ミニボトルのボディソープとシャンプー&コンディショナーのトラベルセットを購入。そして、おむつともども、ゆうパックで病院宛てに送った。

その3日後、3月23日(木)。主治医から電話が来た。内容は勿論、母の容体(ようだい)。「気管切開後、今は酸素吸入を行いながら呼吸を確保しています」「脳の状態も、安定しています」「肺に溜まっていた水も、徐々に減ってきています」。はい。はい。あ、そうですか。良かった。有り難うございます。

・・・と、良い話は、そこまで。そこから先は、天国から地獄へのnosedive。

「意識が戻らないんですよ。クモ膜下出血にありがちな例の1つとして、このままずっと行ってしまう可能性が高いです。近々、どこかの施設に移ってもらわなければならないんですが、行った先で将来異変が起きた時に、御家族がどこまでの蘇生努力や延命措置を担当スタッフに望むのか、そのあたりの意思をしっかり伝える必要があります。数日以内に当院のケースワーカーから連絡が行きますので、よく御相談の上、結論をお出しください」。呆然とするブログ主の耳に、とどめの言葉が飛びこむ。「自宅に帰る事は、できません」。あ、あの、こちらの希望的な予測として、この後はどこかのリハビリ病院に行って、そこで平日はお世話になって・・で、土日ぐらいにちょっと帰宅して家で過ごさせてやってって、そんな考えを持っていたんですけども・・。「まあ、そうできれば何よりなんですが、現状、帰宅は不可能です」。

(※気管切開後の患者には数時間ごとの痰吸引が必要とされるが、今は素人でも病院の指導を受ければできるものらしい。ただ、それが1年365日続くとなると、家族はどこにも出かけられなくなる。それはさすがに、無理。でも土日ぐらいなら、母のために終日家にいて付き合おうという気持ちは出来ていた。カフ付きのスピーチカニューレを使って、少しでも声が出せる母と言葉を交わしたい。そんなささやかな希望を抱いていたのだが、無念にも崩れ去った。今回の話で何が確定してしまったかと言えば、「次に母が家に帰ってくるときは、魂が天に召された後の悲しい抜け殻になっている」ということだ。・・・駄目だ。もう書けない。)

来月やってくる90歳の誕生日を仮に母が生きて迎えられるとしても、それはどこかの施設のベッドの上。おそらく昏睡状態のまま。間に合わなかったバースデイ・プレゼント。ブログ主が胸にずっと秘めていた卒寿記念の贈り物は、空前の予算をかけた家の大規模改修。水回りの全面的なリフォームだった。母に見せてあげたかった。我が家のお風呂、脱衣所、トイレ(そして、母の合意があればキッチンも)が新しく生まれ変わるところを。
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母の入院に思う事~思考の現実化~

2023年03月14日 | エトセトラ
2023年3月14日(火)。もう10何年も前になるが、大腸がんの手術入院から帰ってきて以来、しばらくスピリチュアル系の本を渉猟していた時期があった。その中には、もう書名も著者名も思い出せない物がいくつかある。そのうちの1冊、何かの教祖様みたいな人が書いた本の中に、こんな↓一節があった。

{ 学校の先生をやっている女の人には切迫流産になる人が多いんだけどね、これにはちゃんと理由があるの。あの人たちは女性に負わされる責務とか負担とかに強い不満を持っていて、日頃から女性の権利がどう、平等がどうって、しきりに叫んでいる。そこへもって、子どもが出来たらどうなりますか。自分の思想信条に反する、我慢ならない事態になってしまうでしょ。だから、先生の切迫流産っていうのは、「子どもを産んだら後が大変だから、やめようね」って、体がその人の心に対して素直に反応した結果なの。  }

この説の当否については、読者諸氏の御判断にゆだねる。しかし何故、今回の記事を上のような話から始めたか。それは、母の緊急入院も「本人の思考に対して、体が素直に反応してしまった結果」なんじゃないかと、そんな風に思えてしまう節(ふし)があるからだ。

この1~2年、高齢から来る体の不調に、母は愚痴を並べる事が多くなっていた。曰く「今日はこっちの脚が痛い」「今日は反対側の脚が痛い」「腰が痛い」「背中が痛い」「洗濯物を吊るそうとして顔を上に向けたら、めまいがして気持ちが悪くなった」「とにかく苦労で仕方がない」等等。雨で外に出られず家の中にいるときなどは、一層機嫌が悪かった。嫌気を起こしたような深いため息をつきながら、「はあ~あ~、いつまでこうしているんだかなあ」と。そんな時はさすがにブログ主も、「そういうため息は、あんまりつくもんじゃねえぞ。縁起が悪いって言うか、運気が落ちるから」と、母に苦言を呈したものだった。今になって思いつくのは、そのような母の愚痴り癖や嫌気のため息に対して、体が反応しちゃったんじゃないかという、いささかオカルトじみた可能性である。つまり、「そんなに毎日がつらくて嫌なら、(生きることを)もう終わりにしようか」と。

同居の息子として1つ断言できるのは、母には確かに健康上の不満や愚痴が多かったけれども、「もう死にたい」などとは絶対に思っていなかったということだ。根拠はまず、ごく近い未来に大きな楽しみが控えている事。あっちの街にスーパー、こっちの街にドラッグストアといった感じで、4~5月にオープン予定のお店が今、絶賛建設中なのである。「あの辺までなら、おばあもまだ歩けるから、始まったら見に行くだあ」と、去年あたりから、それらの開店を母は楽しみにしていた。もう1つは、この4月に来る誕生日。そこでいよいよ、母は満90歳。卒寿を迎える。で、その記念すべき節目に、ブログ主は特大のプレゼントを考えていて、その事を母に伝えてあるのだ。具体的な内容は誕生日当日に話す予定で、まだ中身までは伝えていないのだが、ひょっとしたら内心、こちらの胸の内を察していたかもしれない。このポンコツ息子に結婚が“無理ぽ”なのは、母も承知。となれば、空前の予算をかけたビッグ・プレゼントが何かと言えば、母ならもう分かっていそうだ。・・・それと、裏庭の小さな畑(家庭菜園)。母は既に今年の準備も始めていて、「花と野菜の培養土」が6袋ほど家の壁際に並んで、まかれる順番を待っていた。・・・これで早く死にたいなんて、そんな事考えているわけないだろう。母はまだまだ体の利く範囲で、人生を楽しもうとしていたのだ。であればこそ、「破れた動脈瘤の穴を、自力で作った血のりで塞ぐ」などという、ある意味“超常的な”芸当ができたのだ。「もういいだろ。おじいのところへ行ってやろうぜ」と母の手を引く死神と、「あたしはまだ、この世にいるんだ。楽しみたい事があるんだよ」と抗(あらが)う母の生への意志が今、ぎりぎりの境界線上で戦っているのだと思う。

現在の母の状況。先日気管切開の手術を受け、ようやく人工呼吸器から解放された。その後ICU(集中治療室)から移動して、今はHCU(高度治療室)で治療中。まだ肺に溜まった水が抜けないので、完全な自律呼吸はできない。が、それでも人工呼吸器で生かされつつ全身麻酔で眠っている状態よりは、遥かに良くなった。担当医によると、「肺の水を抜こうとして無理に利尿剤を使うより、自然に血管に吸収されてから排尿される形の方が良い」とのことで、経過観察中らしい。実際の話、肺という臓器の作りからして、心タンポに対応する時みたいな緊急ドレーンなど土台から無理なわけだし・・。

家族からの具体的な要望ということで、「もし母の体の状態で適用可能でしたら、将来的には、カフの付いたスピーチカニューレを使ってください」と、主治医の先生に依頼した。医師の答えて曰く、「お母さんに言葉をしゃべらせてあげたいという気持ちは、よく分かります。でもまずは、ご本人の意識が戻ってからですね」。なお、WOC(ウォック)さんが介入した話はまだ無いようなので、デクビは今のところ発現していない様子。(したら、大変だが。)あとは、既に3週間を超えた“寝たきり状態”がもたらす、サルコペニア。これが心配。リハビリが効くだろうか。それやこれやで、今のところ、幸い一命は取り留めてくれているものの、まだまだ前途多難な状況である。とりあえず、最もハイリスクとされる発症後の14日間は、(死線をさ迷いながらも)何とか乗り越えたところ。

―さて実を言うと、今回のテーマである「思考の現実化」というのは、他でもない、このブログ主自身にも当てはまる事がある。おおよそ以下の如く。

「俗世間の下劣な喧騒から離れ、隠者になって、ひっそりと暮らしたい」。
「自分のような異端の人間は、自分一代で滅びるべき」。

ブログ主が若い頃に抱えていたこの2つの思考は現在、どちらも(残酷なぐらい)見事に現実化している。特に、後者。子どもどころか、結婚どころか、相思相愛の恋愛さえただの1度もしたことがないまま年を取り、ついには前立腺をがんで全摘出されて、男性機能を失った。より詳しく言うと、ブログ主の場合、射精だけでなく勃起もしなくなった。つまり、完全に男終了。何一つ、経験しないうちに。(※腕に定評ある名医がダ・ヴィンチのロボットアームを使って万全に仕上げてくださったのだが、それでも駄目だった。)

思考の現実化もこういうレベルになると、(自分のことながら)空恐ろしいものを感じる。「寂しい男の余生に寄り添ってくれる、素敵なパートナーが見つかる」みたいな、そういう切実な思いこそ現実になってほしいんだけどなあ・・。
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母の緊急入院。悲しい予感

2023年02月27日 | エトセトラ
2023年2月27日(月)。先週20日の月曜日、あまりにも突然、それはやって来た。

これから起こる悲劇など神ならぬ身の知る由もなく、いつもの通りのルーティーン。午後3時過ぎから内臓のリハビリと目の休息、さらに運動不足の解消と気分転換も兼ねた散歩に出る。そして、これまたいつもの通り、帰り道の途中にあるドラッグストアとスーパーに寄って、食料品の買い出し。不器用で料理が苦手なため、簡単な調理を母に頼み、その日の献立を考えて材料を買って帰るのが、ブログ主の役目。3月が近づき、そろそろ懐中電灯みたいなものがいらない明るさになってきた午後5時少し前、普通に帰宅。「行ってきたよ~」というこちらの声を受け、「はいよー」という母の返事。(※時には家の外、道路際まで出てきて息子の帰りを待っていた母。「おみゃあさんがいつ帰って来るかと、さっきから出たり入ったりしてたよ」「岸壁の母じゃなくて、“通りっぱたの母”だな。w 心配しなくても、この息子は毎日ちゃんと帰ってくるから」なんてやり取りも、随分やった。夏もさることながら、暗くて寒い冬の夕方、肩をすぼめながら道路際に立っていた母の姿を思い出すと、涙が出てくる・・。)

家に上がって、買ってきた物を母に渡す。「夕方用に、みいちゃんの好きな素甘(すあま)とコロネパン、買ってきた。値引きシールが出たんだわ。あと、夕食は、かつおのたたき。今日の日替わり特価ね。今夜は手間いらずで、みいさんも楽だんべ」「そうだな。助かるよ」。「じゃ、上で着替えてくるわ」と、2階へ上る。午後5時を10分ぐらい回った頃か、着替え中のブログ主の耳に、下の階から悲鳴に近いような苦悶の声が聞こえてきた。「おお~い、来てくれよ~。おかしいんだよ~。急におかしくなっちゃったよ~」。バタバタと階段を駆け下りて下へ行くと、母がベッドに突っ伏して呻(うめ)いている。「頭が痛い、頭が痛い。どの向きになって、どこを押さえたらいいのか、わからない。ああっ、痛いよ」。とっさに思い浮かんだ事を、母に訊く。「吐き気は?吐き気はあるか」「吐き気は・・ないよ」。ちょっと安堵する。しかし、苦しみ方が尋常ではない。「これから、救急車を呼ぶからね」。

―119番に電話してから10分経ったかどうかぐらいの時間で、ピーポーピーポー・・・。「良かったね、みいさん。もう来てくれたよ」。救い主の来訪を告げる7度4度の音が、うちの前で止まった。

夕方の渋滞時間にぶつかって、発進しては止まり、止まってはまた急発進を繰り返す救急車のラフな運転に内心閉口しつつ、長座席に並んで座った隊員の一人に訊く。「さっきのモニター心電図ですが、出ていたのは、サイナス・タキぐらいでしたか」「う~ん、まあねえ。でも、血圧が240超っていう方がね」「大きな陰性T波は、なかったですか」「あ、それはない」。思ったよりもずっと早く駆けつけてくれた隊員さんたちの問いかけに、ベッドに横たわりながら、しっかり答えていた母。自分の名前はもちろん、生年月日もちゃんと言えた。見当識に、大きな障害はなさそうだった。「本人の意識は、かなり清明。吐き気・嘔吐もなし。心電図に巨大陰性T波もない。・・どうやら最悪のあれではなさそうで、良かったかも。何より、俺が家にいてすぐ対応できて、本当に良かった」と、ブログ主は何とか事態の良い側面、希望が持てる側面ばかりを見ようと必死になっていた。

やがてサイレンが止まり、救急車も停車。着いたのは、ブログ主自身も消化器外科で現在お世話になっている市内の大きな病院。救急車に乗ってから嘔吐を繰り返すようになった母が、ストレッチャーで救急救命室に運び込まれる。「ご家族の方は、そちらの廊下でお待ち下さい。これから検査に入ります」。

それから、どれぐらいの時間が経ったろうか。その日の当直医らしき人に呼ばれて、説明を聞く。「脳の血管の枝分かれした部分、ここにお母さんは動脈瘤っていう瘤(こぶ)が出来ているんだけど」「はい。そのこと自体は、本人ともども知っています。3年ぐらい前になりますか、母が一度意識障害を起こしてK病院に搬送され、そこで脳のMRIをやりまして・・」。「で、今その瘤が破れて出血しているという状況です。診断は、くも膜下出血」。・・・ブログ主が今回一番除外したかった、最悪のあれ・・・。激しい鬱。抑えられない心の震え。「まさか・・そんな」。

離れた町で暮らす弟に電話。「こんな状況だ。病院まで来てもらえないか」「ん、わかった」。・・・夜の9時を回った頃、兄弟そろって緊急手術前の説明を聞く。ここでは詳述しないが、話のポイントは2つ。まず、この疾患は予後が非常に悪い物なので、家族は色々と覚悟が必要であるという事。そして、うちの母の場合、発生した場所と動脈瘤の形状の点で、手術の難儀が予想されるという事。しかし、その一方で、出血量自体はそんなにひどいものではなく、ある意味、軽傷(?)で済んでいるようにも思えた。動脈瘤が破裂して血がspout(噴き出)しているというより、瘤に穴があいて血がじわじわとooze out(滲み出)して広がっている・・・そんな印象を受ける画像だった(※注 素人に脳の造影CTなど分かるわけがないので、これはあくまで患者の家族としての希望が反映された身勝手な読影である)。医師の説明によると、「最初に出た血がその後血のりとなって穴をふさぎ、自力で止血した形になっている」ようだった。そして勿論、それは一時的なもので、いずれは決壊すると。

夜9時半頃、手術開始。果たせるかな、非常に長いものとなった。終わったのは、夜中の2時半。廊下で待ち続けること、実に5時間。「ひょっとして、駄目なのか」と、一時は強い不安感に襲われたりもしたが、「手術は無事に終わりました」という執刀医の言葉を聞いて、ほっとする。その後入院手続きを済ませ、弟の車で帰途につく。家に帰り着いたのは結局、午前3時50分過ぎ。まさに眠れぬ一夜となった。

翌2月21日(火)の午後4時頃、入院時に指示されていた物(はくタイプではないおむつ、本人の入れ歯、プラスチックコップ、マスク、ティッシュペーパー等)を持って、一人で病院へ。応対の看護師さんから、良い経過報告を聞く。「今日はCTをやりました。異常なかったですよ。もう御自分で呼吸ができる状態になっています」。ああ、良かった・・。

しかし、その2日後、事態が暗転する。電話の繋がり方の関係で先に弟に伝えられる形となった病院からの連絡は、“耐え難い別れ”がやってくるかもしれないという、悲しい予感をブログ主に抱かせる物だった。
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記録的な低室温、記録的な高体温。筋トレの頓挫

2023年02月11日 | エトセトラ
2023年2月11日(土)。先月後半は、大変だった。21日(土)に、我が家も築40年超ということで、古くなった電気のブレイカーを新しくすべく、電気屋さんに依頼して分電盤の交換工事をやってもらった。(ついでに、いくつかの壁コンセントも)。リフォームに関する過去の失敗からの反省に基づき、今回は3つの業者さんから事前の見積りを取った。そして、内容と価格がベストのところを選択。結果は、大満足。めでたし、めでたし。良い新年のスタートになったなと、ニコニコしていたのだが・・・

その日の夜、体に異変が起きた。妙に咳が出て、何だかだるい。熱を測って、びっくり仰天。38・4℃!何、これ?自分がまだ勤めに出ていた頃は、毎日毎日精神の拷問で打ちひしがれていて、ちょっとの風邪でも必ず重症化していたものだったが、それでも、こんな数字まではめったに出なかった。そして20数年前に世間から身を引かせてもらって以来、風邪をひくことなど殆ど無くなっていた。今回のはまさに、記録的な高体温だ。で、また、そういうときに限って、マーフィーの法則みたいなものが発動して、翌朝の2階の温度が2・7℃を記録する。北国にお住まいの方には、「それが、何?」レベルだとは思うが、東京で、室内(それも、板張りではない畳の和室)の温度が2℃台というのは、かなり異常である。作りが古い拙宅でさえ、ちょっと前例が思いつかないほどの、記録的な低室温だ。そんな厳寒の中、38℃を超える熱発が続いたのである。ヒドス。何、この「降れば、どしゃ降り。悲しみはいつも、相続人を連れてやって来る」状態。ふと脳裏をよぎる、嫌な言葉。コロナ感染。”Chances are I’ve got corona virus. Ugh!”

実際、コロナだったのかもしれない。幸いというか何というか、ブログ主にはそれを克服するだけの体力があったようで、21日(土)の夜から22日(日)にかけては38・4~38・6℃を出したものの、3日目となる23日(月)には36℃台に下がった。そしてそれ以後はずっと、36℃台を維持。咳で声が荒れたりはしたけれども、熱はすっかり正常化した。市販薬のパブロンと、もともと神経の痛み対策として整形外科でもらっていたカロナール。この2つで、乗り切った。「ウイルス感染とかいうのも、最後は本人の体力だよな」と、改めて思った。23日(月)の通院予約は勿論、キャンセル。本音の話、病院側でも、こんな患者に来られたら困るだろうし。

病に伏せっていると、(筋肉と言わず、関節と言わず)体のあちこちが痛くなってくる。特に、腰がつらくなる。このあたりのことは過去の入院時に幾度となく経験していたが、久しぶりに自宅でその苦悩を追体験することになった。やれやれ・・。で、2月に入ってだいぶ体も回復してきてはいるのだが、昨年末から取り組んできた筋トレは、完全に頓挫している。レッグレイズ、ヒンズースクワットから始めて、腹筋ローラーの“立ちコロ”。それからチューブ等を使った脚の筋肉のトレーニングと、アイソメトリクス器具による上半身の鍛錬。最後に、全身のストレッチ。こんなコースで毎晩入浴前に頑張っていたのだが、今は中止状態。体の痛みはなくなっていても、気力の方が萎えてしまったのだ。この「物事にやる気がなくなる」というのが実は、ブログ主のような“気ばかり若い老人”にとって一番怖い病気かもしれない。

―とりあえずは、この寒い季節が早く終わってほしい。お天気の神様、お願いします。
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