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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

【記録更新】アクセスUU(ip)数951。リハビリ中のおしゃべり(再)

2023年01月16日 | エトセトラ
2023年1月16日(月)。前回、当ブログのアクセスUU数が1月9日(月)に突然跳ね上がったお話をしたが、その後も数値は高値安定。翌日10日(火)は、359UU。11日(水)は、326UU。12日(木)は、311UU。13日(金)は、413UU。・・・だんだん落ち着いてきたなと思っていたら、14日(土)に854UUが出て、376位。おやまあ。1日に850人も!そしてついに昨日15日(日)、新記録となる951UU!順位も全3,142,854ブログのうち、299位というびっくり数字。自分自身がいくつかのページを確認のために見たことや、検索エンジン等の巡回が来ていた分を差し引いてもなお、昨日は900人以上がここを訪れたことになる。まさに、空前の出来事だ。・・で、アクセスが集中している記事はやはり、「心電図検定の合格基準」。

同検定に関するうちの記事は、“ブログ主の受検体験記”ということで、1級と2級についての話だけだが、合格基準を知りたいのは1級から4級までのおそらく全受検者である。それが、この試験シーズンに来て一気にアクセス集中となったのだろう。言い換えれば、4級と1級の試験が行なわれた14日(土)、同じく3級と2級が行なわれた15日(日)が検索のピークで、これからはまた漸減してくると思う。そして、元の「ひっそりとしたクラヲタの隠れ家」に、いずれ戻るというわけだ。ただまあ、1日に950人近い人が訪問してきたという事実は、1つの思い出として残しておきたい。そんな気持ちで、今回の記事を立てたわけである。なお、第8回検定となる今回の1級について、有志の方々が問題の復元を試みておられる様子。そのうち、ブログ主のような一般人でも見られるサイトや動画等が出てきたら是非、拝見させていただきたいなと思う。

―続いての話題は、昨年楽しんだ若き理学療法士Wさん(♀)との、リハビリ中のおしゃべり。先月の記事『2022年回想』の中で、オードリーの春日が話題になった日の事を語ったが、今回は、その後に思い出した話を2件ほど追加しておこう。まずは、これ↓。

【「Tさん、『ONE PIECE』って、御存知ですか?」。あ~、そういう人気漫画があるってことは、知ってる。でも、ワンピースも渦巻きナルトも、読んだことはないねー。・・そう言えば、フランスのマクロン大統領が『ワンピース』の大ファンらしくて、前回日本に来た時、作者からサイン入りの色紙をもらってニッコニコだった。「へえ~、そうなんですか」。うん、その辺の漫画やアニメはもう、人気が世界規模なんだよね。・・・「漫画と言えば、私は最近『スラムダンク』にハマってるんですよ」。ああ、あのバスケの。あれは、ちょっと古い物になるかな。あそこからだと、メガネをかけてて太った先生がよくネットで引用されてるの、見るよね。「あっ、安西先生」。『あきらめたら、そこで試合終了ですよ』とか、『まるで成長していない・・』とか。「そうそう。安西先生って、名セリフが多いんですよー」。・・・私が今の漫画で少し知ってるのは、『鬼滅の刃』かな。「私も、読んでます。登場人物の中では、しのぶさんが好き」。胡蝶しのぶさんね。鬼殺隊の柱の中で、一番弱い人。でも、あの人の最期って、凄いんだよね。「そうそう」。自分自身の体を毒にして、そしてわざと(以下略)。「そうなんですよねー、本当に凄い」。あと柱で女の子って言うと、恋柱(こいばしら)の子。「いましたー、恋柱」。あの子も、死んじゃうんだよね。で、最後は好きな男の子と、・・ええっと、確か白蛇の・・。「そうです。白蛇の(以下略)」。】

<※ブログ主・注 この後も、お話し好きなWさんが次々と持ちだす新しい話題で盛り上がったが、ここでは鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)の名前が出なかった。なので、ラスボスのおしゃれなシャッポ姿がマイケル・ジャクソン風に見えることや、大スター・マイケルの死がプロポフォールによる不慮の安楽死だったみたいなところまでは、話が進まなかった。また、お相手が20代半ばのレディということで、『鬼詰(きつめ)のオメ○』というパロディAVがあることについても、残念ながら口に出せなかった。だって、できるわけない。「鱗滝(うろこだき)さんのお面の鼻が、勃起したペニ○の形をしている」なんて話。w >

もう1つは、ブログ主の左腕を(プロレスのアームロックみたいな体勢で)牽引してほぐすというリハビリを、Wさんがしてくれていた時の話。グッ、グッ、と腕を根元から伸ばしてもらうこの治療は、ブログ主にとって、全プログラムの中でも最高に心地良いひと時をもたらしてくれる逸品(?)だった。ある日、その並々ならぬ気持ち良さに、「あ~、このために(ここへ)来てるなあ」としみじみした口調で言ったら、Wさんが笑いだした。「おっ、このネタ、知ってるみたいだな」と察したブログ主は・・・。

【「このために生きてるなあ」ってセリフを初めてギャグにしたのは、とんねるずの石橋。「えっ、そうなんですか?」。うん、たぶん間違いない。昔『みなさんのおかげです』か何かでコントをやってたんだけど、石橋が演じるサラリーマンみたいな男が家に帰ってきて、冷たいビールをキュッとやるわけ。で、その直後に、少しきりっとした表情をして、「あ~、このために生きてるなあ」って、しみじみとつぶやくんだ。それが居合わせた番組スタッフに大受けしちゃって、スタジオ中に笑い声。・・それからずっと後になって、『エヴァンゲリオン』(TVアニメ第1シリーズ)のミサトさんが、同じセリフを真似したんだね。家に帰ってきて冷たいビールをグッと飲んだ後、「プハ~ッ!このために生きてるなあ~」って。そこから、有名なネタになったみたいなんだよね、これ。でも、広めたのはミサトさんかもしれないけど、最初にやったのは石橋。「へ~、そうだったんですかー」。】

<※ブログ主・注 補足を、1つ。ブログ主の記憶に残るところだと、石橋がそのセリフを口にしたのはおそらく、その場で思いついたアドリブ。昔『お笑いスター誕生』に挑戦していた頃、「あなたたちにはね、芸が感じられないの」と、審査員の一人であった鳳啓助(おおとり けいすけ)氏から厳しい評価を受けていた、若き日のとんねるず。しかし、「大物芸人に認められるような芸は無くても、業界のトップクラスに到達するまでの能力は、しっかり持っていた」ということが、彼らのその後の成功ぶりによって証明されている。>

最後に、今この記事を書いていて、ふと連想した話を1つ。西洋の絵画は、「絵の中で光を表現するために、キャンバスを真っ黒にして暗闇を描く」という逆説的なやり方を選んだ。この流儀で特に有名な画家はレンブラントだが、彼はそれを始めた人ではなく、完成させた人。キアロスクーロ(明暗法)と呼ばれるこの方法論を創始したのは、カラヴァッジョである。 Cf.西岡文彦著『絵画の読み方』(JICC出版局 1992年)~106ページ以降>(←って、何?この木に竹をつないだような、唐突で脈絡のない展開。w )
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2022年回想~心電図検定、年金受給、安倍元総理、リハビリ通院

2022年12月25日 | エトセトラ
2022年12月25日(日)。間もなく、1年が終わる。早いものだ。前回予告していた漫画の話は次回以降に延期ということにして、今回は、今年1年間を個人的に振り返ってみる記事にしたい。

昨(2021)年に続いて、今年も心電図検定の受検生としてお正月を迎えたが、結果は首尾よく合格。医療従事者にとっては検定合格など1つの里程標に過ぎず、むしろそこからが本番というか、“蔗(しょ)を食(は)む境地”に入っていくのだろうけれど、ブログ主のような素人は、1級合格を以て一応のゴールインとして良いように思う。これ以上のレベルアップを求めずとも、今の力が維持できれば十分だろう。・・・ともあれ、自分なりに“ちょっと本気を出した”勉強が実を結んで、めでたし、めでたしだったというのが、今年1月から3月のお話。(※1月に試験があって、3月に合格証&記念バッジが届いたということで。)

2月は何といっても、年金繰り上げ受給の開始。昨年11月の手続きで減額率が確定し、この2月に最初の振り込みという流れだった。経済面で大きいのは、受給それ自体よりもむしろ、年金という安定収入を後ろ盾に、クレジットカードが持てるようになったこと。スマートフォンと併せて、クレカは今の時代を生きる上で必須のアイテムである。この2つを持っているかいないかで、日常生活の便利さに大きな差がつく。

続いて、4月~5月。上記心電図検定の体験談シリーズをブログに載せていた頃、手指の神経に異常が発生。右手は書痙(しょけい)で文字がまともに書けず、左手はキーボード操作のたびに硬直を起こすようになった。後者は特にひどいもので、それこそほうきの柄を持ったり歯ブラシを握ったりしただけで、ガチガチに手が固まって動かなくなるような状況だった。姿勢はこごみがちとなり、小刻みな歩幅で歩く癖も出てきた。これは冗談でなく本当に、パーキンソン病の発症が疑われる事態である。その後、少し回り道をする形となったが、地元の整形外科医に診察してもらい、他院の神経科医が懸念していた「動作特異性ジストニア」の線はrule outできそうな気配となった。これが8月上旬のこと。そこから、リハビリ治療の開始となる。

その話の前に、7月。安倍元総理が選挙演説中、凶弾に斃(たお)れた。これは、今年日本に起きた事件の中でも最悪の一件である。日本国民の生活にとって、安倍氏の経済政策理念は極めて正しく、プラスになるものだった。自民党の有能な若手以外で、それこそ派閥領袖レベルの大物政治家の中で、「増税ではなく、今は積極財政を打ち出すべき」と言ってくれていた人は、殆ど安倍氏一人だった。失ったものが大きすぎる。また国際政治にとっても、安倍氏の時ならぬ死去はとてつもない損失となった。世界は有能且つ重要な(リーダーではなく)コーディネーターを失ってしまったのだ。再来年(2024年)のアメリカ大統領選挙で誰が勝つかは全く未知数だが、仮にトランプ氏が返り咲いた場合、何だか不安な予感を持たずにはいられない。理由は明白。当時政界の素人だった同氏と深い友情を結んだ上で、いろいろな助言ができた最高のmentorが、今度はいないからである。

宗教がらみで頭がおかしくなる奴は、いつの時代にも、どこの世界にもいる。それ自体はある意味、どうしようもない面がある。ブログ主が心底許せないのは、当日の警護に当たっていた奈良県警のボンクラ警官と、警視庁の能無しSPどもである。今回の件でどんな処分がそいつらに下されたかは分からないが、当人たちが自ら辞職願を出すぐらいのことはしただろうな。だって、そうだろう。どの面下げて、その仕事が続けられるんだ。一部の日教組教師みたいに、反日思想むき出しで散々ふざけまくっていながら、「定年後も、俺たちを再雇用しろ。しないのは思想による差別だ」などとほざいて裁判まで起こすような国賊集団じゃあるまいし、警察官には“恥”ってもんがあるだろう。

8月半ば、整形外科医の指示で、3ヵ月のリハビリ治療開始。テーマは、猫背の矯正。・・で、これが実に楽しかった。リハビリ卒業後の12月上旬、担当してくれた理学療法士のWさん(♀)に、お礼挨拶の手紙を送った。ブログ主は過去何回かの手術入院を複数の病院で経験してきたが、実はその都度、お世話になったナースさん、あるいはナースさんたちに、お礼の言葉と退院後の近況報告などを手紙に書いて送っていたのだった。いずれも返事が来ることはなく、こちらも「まあ、そうだよなあ」と、寂しいながらも当然のこととして受け止めていた。それが何とまあ、今回初めて、送った相手の方(かた)から返事が届いたのだった。きゃぴーん。うれぴー!にっきにっき、ちゃっぷちゃっぷ、ぴーやん。おめでとー!(←って、何言ってるの?)

手紙の内容は、ごくありきたりなものである。「今年8月半ばから11月まで、リハビリ治療でお世話になりましたTです。・・・楽しい時間を、ありがとうございました」という当方からの文言を受けて、「Tさんとのリハビリは毎回とても楽しく、元気をいただいていました」との返答。そのぐらいの話。でも、うれしい。

以下に記すのは、2人が交わしたある日のやり取り。

【「こういう感じで、歩くように」って、ドクターが実演しながら示してくれた姿が、こんな風に上体をそり返らせて、両手を後ろの方に持っていって、まるでオードリーの春日だったんだよね。「あ。私も今それ、言おうと思ってました。春日ですよね、その格好はまさに」。ところで、春日は筋トレをガチでやってて、少し前にボディビルのコンテストに出場して、何位だったか、入賞したらしいんだけど。知ってた?「え、そうなんですか」。でね、ステージでポーズを取ってる最中に、例の般若みたいな顔をやって。「あ、鬼がわら」。そっか、般若じゃなくて、鬼がわらか。それでウケた観客もいたんだけど、まじめな人たちは「ふざけるな」って、怒ってたらしい。「へえ~、そうなんですか。でも、あの人ならやりそうですね」。うん。その時の変な顔のポーズがネットニュースで流れてるの、見たよ。・・・「じゃ、今度は実際に歩く姿のチェックをしましょう」。了解です。つまり、こうやって上体をふんぞり返らせて歩くわけね。ガボッ、ガボッと。「Tさん、歩き方まで春日になってますよー」。で、ここで鬼がわらっ(変な顔ムニュッ)!「キャハハ」。】

―さて、間もなく始まる2023年。これから何に取り組んでみようかと、今あれこれ思案中。ひょっとしたら、今回のリハビリがきっかけで、“体の若返りを目指す筋トレ”が新しいテーマの1〈中古待ち〉。がんによって全身が骸骨の標本みたいになり、それから少し肉が付いた現在でも、見るからに高齢者っぽい萎(しな)びた体になってしまっているブログ主だが、「こういうのを続けていれば、昔のような筋肉が戻るかな」と、腹筋ローラーで“立ちコロ”をしながら考える毎日が、実はもう始まっている。

―良いお年を。
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ブログ18周年。青江冬星とブルースコルピオ

2022年11月26日 | エトセトラ
2022年11月26日。ブログ立ち上げ18周年記念(成人祝い)の特別記事、第2弾。

いささかマニアックな作品になるが、昭和時代の漫画の1つに、こんな↓主人公が出てくる短編がある。

【大富豪の青年実業家。女性嫌いとして知られる、クールなイケメン。しかし、その内面には熱い情熱が秘められており、決して異性とのロマンスを厭う男ではない。その美貌と財力、そして何より愛する人に対する誠実さから、求めるタイプの女性を間違いなく手中にできそうなのに、彼の一途な恋は常に破局をもって終了する。相手の人がいつも最後に、彼のもとを去って行ってしまうのである。】

前回話題にしたアントニオ猪木が全盛期を謳歌した1970年代後半、ブログ主がTVアニメから入って原作読破へと進んだ漫画の1つに、『はいからさんが通る』がある。これは大和和紀(やまと わき)氏のペンにより、1975~77年に「週刊少女フレンド」に連載された人気漫画で、後に実写ドラマも作られ、さらに宝塚の演目にもなった。実はその当時から、「この登場人物は大和さんのオリジナルではなく、元ネタというか、モデルとなっているキャラクターが他にいるだろう」と、ブログ主がずっと考え続けてきたキャラクターがいる。

その名は、青江冬星(あおえ とうせい)。銀行家という太い実家を持ちながら、独立して小さな雑誌社を営むクールなイケメン。ちょっと触っただけで体に蕁麻疹が出るほどの、女性嫌い。しかし、ヒロインの花村紅緒(はなむら べにお)との出会いと交流を通じ、その内面に秘められた熱い情熱が炎となって燃え上がる。そして様々な経緯を経て、ついに愛する人との華燭にまで至るものの、式当日に未曽有の大震災に見舞われ、事態は大混乱。結局、新妻になるはずだった女性は彼から離れ、元々相思相愛だった別の男(伊集院少尉)のもとへと去っていく。

―いかがだろう。この青江なる人物、冒頭に掲げたある短編の主人公とそっくりではないか。で、その短編だが、タイトルは『ブルースコルピオ』という。これは里中満智子氏が書いた3話からなるシリーズ漫画で、現在「別冊フレンド・コミックス」になっている作品である。(※ブログ主は昔、何だったか女性週刊誌の短期連載でこれを読んだように記憶していたのだが、どうも覚え違いをしていたらしい。)

冷徹な性格とクールな風貌、そしてグループ企業の全てに共通して使われるロゴマークから、ブルースコルピオ(青いサソリ)と呼ばれる男。この魅惑的な主人公が、それぞれに事情を抱えた3人の女性と次々に関わり合い、恋路を歩む。しかし、それらはどれも決して実ることがない。(最後の第3話のみ、ちょっと様子が違うけれども)、相手の女性が去っていくのである。特に第2話「エルケ」では、あろうことか、マスコミへの結婚発表の当日に花嫁に逃げられてしまう。彼には何の落ち度もないのに・・。

ブルースコルピオ(青いサソリ)の青と、青江の青。名前に共通項。サソリ座が冬の星座でないのは残念だが、この2人のイケメンに与えられた運命(あるいは、役割)には赤の他人として片づけられないほどの親近性がある。・・・そんなこんなで、ブログ主は高校時代からずっと、「青江冬星のモデルは、里中満智子のブルースコルピオだろ、舌苔」なんて思い続けてきたのである。

―で、ここで結論めいたことを書いておくと、多分、この両者の間に特別な縁(えにし)は無い。ひょっとしたら日本でただ1人(当ブログ主)だけが訝(いぶか)っているに過ぎない、他人の空似という可能性の方が高い。それでも、今回自分にとっては嬉しい流れが来たと、内心喜んでいる。40数年にも及ぶこの“しょうもない思い(笑)”を、インターネットという大勢の目に触れる場で打ち明けることができたから。

1つはっきり言えることは、「青江冬星の原型は、大和氏自身の若書きの作『ラブパック』に出てくる二枚目キャラクター<夜盗の疾風(かぜ)>である」というのが事実上、作者公認になっていることだろう。そのように思わせる具体的な箇所が、『はいからさんが通る 豪華愛蔵版』の658ページにある。冬星の母親が紅緒を初めて目にする場面で、なぜか黒装束になっている息子にさり気なく尋ねる言葉・・。

「ところで、どうしたの?そんな疾風(かぜ)のようなスタイルをして」。

―ということで、『はいからさんが通る 豪華愛蔵版』【2020年3月】。ブログ主が懐かしい気持ちで数ヶ月前に買ったこの分厚い1冊には、本編全ストーリーのほか、「花の番外編」全4話も収録されている。・・で、その番外編第1話『はいからさんが こけた』では、奇妙なパラレルワールド(平行世界)で、ギャグ化・パロディ化されたお馴染みのキャラクターたちが大暴れ。この一篇、同い年の僚友・青池保子氏の『イブの息子たち』に対するオマージュ(敬意表明)であろうか。続く第2話『鷺草(さぎそう)物語』では、紅緒の親友・環(たまき)が想い人・鬼島を追って大陸へ渡った後の展開が語られ、第3話『蘭丸さま純情詩集』では紅緒の幼馴染・蘭丸が無事結婚するまでの話がコメディタッチで描かれる。そして最後の第4話『霧の朝 パリで』でついに、我らが(?)青江冬星の御登場となる。

本編でめでたく好きな人と結ばれる紅緒、番外編で想いを実らせる環(※物語の冒頭、「で、どうしようってんだ、おれを見つけ出して」と突っぱる鬼島に対して、「押しかけ女房にと・・・思って」と澄んだ表情でしれっと答える彼女、最高!)、そして本性が紅緒そのものの淑女(笑)を妻に迎えて“ぴえ~ん”の蘭丸。三者三様に幸福なエンディングを迎えるなか、一人青江の後日談だけは、他の3篇とは一線を画するような独自の光彩を放っている。

仕事でパリを訪れた彼は、そこで忘れがたき人・紅緒にそっくりな男の子と出会い、不思議な縁で結ばれる。観光客からあの手この手で金をだまし取って暮らす貧しい少年が最後、実はやむごとなき家柄の後継ぎであると判明。青江も安心して帰国の途につこうとするのだが、件(くだん)の美少年は自(みずか)らその裕福な地位を捨て、青江の胸に飛び込む(※両目を閉じたその瞬間の青江の表情には、この上ない安らぎと幸福感がにじみ出る)。少年は青江の養子となって日本に帰化し、春星(しゅんせい)という名を得る。その後、冬星は38歳で世を去るらしいのだが、養子の春星が青江の家名を継承していく。

作者・大和氏の当初からの計画によって、青江冬星は『イノック・アーデン』のフィリップ・レイになることができず、ブルースコルピオになるしかなかった。本家のイブ・スコルピオがそれでも、最終第3話でヒロイン・曜子の意中の人になっていそうな「新しい恋の予感」を期待させるのに対し、もう1人の青いサソリはついに女性と結ばれることなく、友愛と性愛、そして親子愛までも一身に孕(はら)んだような「普遍愛」を獲得した後(のち)、38年という短い生涯を終えるのである。

―次回予告。今回語った青江冬星とは違って、作者自身が「このキャラクターのモデルは、○○です」と、はっきり明言している例を1つ、取り上げてみることにしたい。取っ掛かりは、上で言及した青池保子の長編『イブの息子たち』(←この漫画も懐)。青池氏自身が元ネタを白状している、個性鮮烈なパロディ・キャラである。さらに、その話からのつながりで、山岸凉子の作品にも少し触れてみる予定。

【追記】

―『はいからさんが通る』には、当時(1970年代後半)の流行や時代の風潮みたいなものが、ギャグとして採用される形で、ふんだんに取り入れられている。以下、その中から、ほんの数例を。

●伊集院家当主の「死、死刑~」【愛蔵版 216ページ】 ・・・「週刊少年チャンピオン」に連載中だった山上たつひこのヒット作『がきデカ』の主人公、こまわり君が得意にしていたギャグ。「んがっ」「死刑」。

●牢名主・羅鈍(らどん)のお定【愛蔵版 872ページから登場】 ・・・「週刊漫画アクション」に連載され、映画にもなった人気漫画『嗚呼、花の応援団』(どおくまん作)の主人公・青田赤道がモデル。その恐ろしい顔といい、881ページでの狂乱ぶりといい、これで叫び声が「クエ~ッ、クエッ、クエッ」だったらもう、完全に青田そのもの。

●車屋・牛五郎の「ちかれたびー」【愛蔵版 423ページ】 ・・・栄養ドリンクのTVCM。2人のおじさんが、何か作業中。1人が「あー、ちかれたなやあ(疲れたなあ)」と声をかけ、もう1人が「ちかれたびー(疲れたねえ)」と応える。言葉の面白い響きが受けて、当時の流行語になった。(※その後、2匹目のドジョウを狙った「がんばんべー」は、不発。)

●青江冬星が踊る「くーろは つよいぞ♪」【愛蔵版 658ページ】 ・・・人気アイドル3人組のキャンディーズが出演した、新製品テレビのCM。セールス・ポイントは、「この新しいテレビは何と、チャンネル切り替えや音量の調節を、リモコンで操作できるんです」。『はいからさんが通る』のリアルタイム、1970年代後半とは、そういう時代だったのだ。
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ブログ18周年。アントニオ猪木~その栄光と死因~

2022年10月23日 | エトセトラ
2022年10月23日(日)。当ブログは今月31日に、満18歳の誕生日を迎える。現行法でいけば、人間なら成人の仲間入りだ。・・で、それを機に何を書こうかと考えたのだが、「自分が18歳前後の年齢だった頃、何に夢中になっていたか」を、ここで振り返ってみるのも面白そうだなと、今回の結論を出すに至った。(※具体的には1970年代後半の、ちょっと古いお話になる)。

直接のきっかけは、この10月1日(土)に流れたアントニオ猪木の訃報である。高校時代のブログ主が熱狂的なほどにハマり込んでいた趣味、それはTVのプロレス観戦だった。自分自身がチビ、短足、童顔で、おまけに病弱という情けない体に生まれついたことへの反動。恵まれた体を持つ男たちの活力みなぎる肉弾戦に、それこそ血沸き肉躍るような快感を味わっていたのだった。中でも当時全盛期にあったアントニオ猪木の異種格闘技戦シリーズは、最高の“御馳走”だった。毎日毎日、鬱な日々を送りがちだった当時の自分にとって、それは本当にかけがえのない心の栄養だった。

当時「格闘技世界一決定戦」と銘打って放送された試合については、40年以上経った今でも、相当数思い出すことができる。内容的には玉石混交だった同シリーズの中から、観ていてめちゃくちゃ燃え上がった名勝負はまず、柔道王ウィレム・ルスカとの最初の対戦、アメリカン・マーシャルアーツの王者モンスターマン・エヴェレット・エディとの最初の対戦、そしてプロボクサーのチャック・ウェッブナーとの対戦。職業格闘家ではない一般人の強者からは、レフトフック・デイトンと極真空手のウィリー・ウィリアムズ。・・・これが、ベスト5。モハメッド・アリやレオン・スピンクスといった超一流ボクサーとの試合がdud(不発)に終わった理由は、明らかである。どちらも事前の台本作りがどうにも折り合わず、話がまとまらないまま本番を迎えてしまったことが原因だ。逆に好試合となったウェップナー戦では、名のあるランキング・ボクサーが猪木側の提案に快く乗ってくれて、試合前に一緒にリングに上がり、リハーサルにまで付き合ってくれた。これが、成功の要因である。

新日本プロレスで長年レフェリーを務めていたミスター高橋(本名・高橋輝男)の本『流血の魔術 最強の演技』を発売時(2001年)に読み、さすがにブログ主も大人になっている(笑)ので、今はこういう言い方が普通にできるのだが、アントニオ猪木の栄光というのは、「プロレス・ファンがナイーヴ(つまり、世間知らず)で、ある種の幻想に酔えていた時代に、レスラーとしての黄金期を謳歌することができた」という、その幸運に拠るところが大きい。あの頃は「プロレスこそ最強の格闘技だ」「いや、極真空手だよ」とか、「ジャイアント馬場は八百長だが、猪木はガチ」などと、全くしょうもない事を皆真顔で論じ合っていたのである。

高橋氏がきれいにバラしてくれたとおり、プロレスの試合はすべてショー。台本のあるエンターテインメントなのだ。彼らの戦いがすべて非日常的な舞台でのお芝居・演技であると承知した上で、敢えてそれに乗る。時には自らが“推(お)し”とするレスラーを応援し、興奮し、そして感激して、浮世の憂さをしばし忘れるほどのカタルシスを味わう。それが、プロレス観戦の醍醐味であろう。そこに求めるべきはK-1のような本物の真剣勝負ではなく、肉体的エリートたちが演じるパフォーマンスの完成度なのだ。趣のまるで違う世界ではあるけれども、これはあの宝塚歌劇と一脈相通ずるものがあるように、ブログ主には思える。

ちなみに、「アントニオ猪木」というリングネームを考えた名付け親は、大相撲出身の怪力レスラー・豊登(とよのぼり)である。力道山が世を去り、ジャイアント馬場がその後を継げるレスラーに育つまでの谷間の時代に、日本のプロレス界を支えた功労者だ。その豊登道春がまだ現役でリングに上がり、パコーン!パコーン!と闊背(かっぱい=今の言い方だと、広背筋)を鳴らすパフォーマンスを見せていた、昭和40年代初頭。当時子供だったブログ主は、その頃からプロレスのファンだった。・・・それも大学に入学したあたりから徐々に疎遠となり、やがてフェイドアウトするようにお別れとなる。

時代は、1980年代。「おおーっと、藤波!ここでまさかの逆サソリ!おきて破りの逆サソリー!」「今夜も見られるのでありましょうか、人間イグゾセミサイルの・・」といった古館節が炸裂し始めた頃、ブログ主はプロレス(そして、アニメや漫画)から卒業し、クラシック音楽のマニアックな世界に入って行ったのである。

―アントニオ猪木の死因

医療従事者でも何でもない素人のブログ主ではあるが、2年ぐらい前に猪木氏が「自分は、心アミロイドーシスであると診断されました」と世間に公表した時は、思わず表情が曇ってしまうのを止められなかった。「猪木さん・・その病気か」と。心電図の勉強を始めてから数ヶ月経った頃、ちょうど心エコー読影の基礎をかじった直後ぐらいに触れたニュースだったので、その病名が何を意味するのかが分かってしまったのだ。以下に記すのは、この場で即座に書き出せる範囲での、ブログ主が持つ同疾患に関する知見である。

●ラボデータ・・・ベンス=ジョ-ンズなどの怪しげな蛋白、M蛋白の検出。
●ありがちな心電図所見・・・肢誘導の低電位と、胸部誘導のQSパターン。
●ありがちな心エコー所見・・・心室壁の瀰漫的(びまん)的肥厚。左室駆出率の著明な低下。左室流入速波形におけるE波とA波の異常なバランス(※偽正常型~拘束型)。
●心筋生検・・・コンゴ・レッドまたはダイレクト・ファスト・スカーレットによる染色で確認される、赤橙色のアミロイド。診断の確定。
●タイプ分類・・・複数存在。基本的には、予後が良くない物ばかりと認知されている難病。

かつては糖尿病さえ克服した“燃える闘魂”も、心臓から始まった老人性の全身性アミロイドーシスには勝てなかった。

―必ずしも明るいものとは言い切れなかったブログ主の青春に、しばしば生きる喜びの時間を与えてくれた不世出の名レスラー・アントニオ猪木。その冥福を心より祈って、合掌。

【参考文献】 ※下記6冊とも、著者はすべて元新日本プロレスのレフェリー・ミスター高橋。

(1)『プロレスラーをめざして夢を勝ち取る方法』(1998年・三一書房)
(2)『プロレス、至近距離の真実』(1998年・講談社)
(3)『流血の魔術 最強の演技』(2001年・講談社)
(4)『プロレスの聖書-キング オブ エンターテイメント-』(2003年・ゼニスプランニング)
(5)『プロレスラー「肉体」の真実』(2007年・宝島社)
(6)『流血の魔術 第2幕』(2010年・講談社)

ブログ主が最初に読んだ上記(3)を中心に、高橋氏は著作の中でプロレス界の内幕を惜しげもなく暴露している。例えば・・・(※注意 以下の引用文は原本そのままではなく、当ブログ用に一部修正した物。)

「ルスカ、ウェップナー、モンスターマン・エディなど、本当に強い相手とやる時、猪木さんは非常に慎重だった。※この3名の他、柔道家ショータ・チョチョシビリとの入念なリハーサルについても言及。(3)の79~81ページ」「プロレス界では、試合で流す血をジュースと呼ぶ。・・・レスラーの額から出るジュースは、カミソリの刃でサッと切り裂いて出すものだ。ジュースのある試合では、いつも私(高橋)はカミソリの刃を短くカットし、指先につけてテープで巻いていた。・・・鉄柱や相手の凶器でやられたように見せかけて、実は私が持っているカミソリの刃で切っていたわけだ」「猪木さんはジュースの出し方も抜群に上手かった。タイガー・ジェット・シンのコブラクローで猪木さんが喉から出血したことがある。・・・シンの手を自分の喉元からふりほどくようなふりをして、猪木さんは自分で持っていたカミソリで喉を切った。後でテレビの録画を見たら、まさにシンの指が喉に刺さっているように見えた。・・・自分の身を切り裂いてまで、徹底的に相手の凄みを引き出していく猪木さんの執念と上手さは、見ていて身震いするほどだった」「初来日したスタン・ハンセンのウェスタン・ラリアートをファンに強く印象付けるため、ジャブ(負け役)を引き受けた坂口征二が一言。『今日、私、血を吐きますから』。その後坂口自身の腕ではルートが取れなかったため、私は他の外人レスラーから控室で採血させてもらい、その血をコンドームに入れた。・・(中略)・・そして、ハンセンのラリアートをもろに受けたところで口の中の袋を噛み破り、坂口はゲボッと血を吐いた。※以上、(3)より、147~159ページ」等等・・・。

★次回予告

ブログ立ち上げ18周年記念(成人祝い)の、第2弾。前回の記事に出てきた四字熟語「紆余曲折」、そして今回出てきた「1970年代後半」「宝塚」「逆サソリ」。これらの言葉をすべてつなげる往年の人気漫画が、次回のトピックである。当時17~18歳だったブログ主が楽しんでいた、懐かしいコミックの1つだ。・・・「1970年代後半の人気漫画で、宝塚の演目にもなっている。そして、紆余曲折のストーリー」というところから、既にその作品名を突き止めてしまった名探偵(?)がおられるかもしれない。w ・・・でも、「逆サソリ」って?何が、サソリ?

―その種明かしは、次回。
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整形外科のリハビリ通い

2022年09月25日 | エトセトラ
2022年9月25日。左手指の硬直と鈍い痛みが、相変わらず悩ましい。細かい経緯については省略するが、紆余曲折を経て最後に行き着いた所は、腕に定評のある整形外科医がいる病院。2回目の診察時に、このような↓言葉をいただいた。

「う~ん、ジストニアじゃないね。猫背の姿勢が悪過ぎて、腕の付け根から神経が圧迫されている。それが、今の症状を起こしているみたいだな」。

解決に向けて一筋の光明が見えてきたような、うれしい診断。これがどういう点で“朗報”なのかと言えば、別の神経科医が懸念していた「パーキンソン症候群」の可能性を、うまくいけばrule out(除外)できるように思えること。

それやこれやで、先月から始まったのが、整形外科のリハビリ通い。担当は20代半ば前後の、うら若い理学療法士。医師に指示された通院期間は、3ヵ月。週に1~2回のペースで、親子以上に年の離れた女性と、やりがいのある治療に臨むこととなった。

―で、この担当のおねえちゃんが何とも気さくで、明るい人。「まずこうやってマーメイド(人魚)になってから、片方の足を前に出して立てます」みたいな面白い表現を一緒に笑って楽しみつつ、“猫背矯正”というテーマを追って、様々なエクササイズに取り組んでいる。

さて、3ヵ月という限られた期間で、どこまで治ってくれるか・・。
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