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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

当ブログの宿題(2024年)

2024年12月31日 | エトセトラ

2024年12月31日(火)。あっという間に、大晦日だ。前回からの続きとしては、ストーマ(人工肛門)生活の話という流れになるのだが、5年も前に経験した苦労など、考えてみたら蒸し返したくもない一件である。よって、中止。気が向かないので。w ただ、いつの日か、ストーマ管理者(オストメイト)になることを余儀なくされた人たちへの助言みたいなものを、何らかの形で提供させてもらえる時が来るかもしれない。WOC(ウオック)さん※1にもできないような、経験者ならではのアドヴァイス、そんな物が求められるような時が来たら、じっくりと語ろう。これはその時までの宿題、というか、ブログ主預かりの保留事項にしたいと思う。

さて、立ち上げ20周年を超えた当ブログには、「話の予告だけして、それっきり放置」という例が複数存在する。上記のような保留事項、あるいは「当ブログの宿題」とも呼べそうな話が、いくつかあるのだ。当然というか何というか、過去20年の全記事を読み直す時間も余力もない状況なので、今思い出せる範囲での列挙という事になるのだが、具体的なラインナップはだいたい以下の通りとなる。

1.ワグナーの<パルシファル>に見る邪教性

ブログ立ち上げの初期に、魔術師クリングゾルについて短い記事を書いたことがあった。その折に、「いつか機会があったら、語ってみたいが」という触れおきだけしていて、以来20年弱に亘って“そのまんま”。<パルシファル>という大作曲家最後の傑作を評して、「ワグナー晩年の、キリスト教に対する深い信仰と傾倒が示された作品」みたいなお決まりの文言を見聞きするたびに、「何を言ってんだよ。あのプロットのどこがキリスト礼賛、イエス礼賛になってるんだよ。そもそもあの作品に出てくる誰が、イエス(の代替人)と見なせるのか、わかってる?」と、いつも小さくはない反発を感じているブログ主なのだが、あの偉大なる邪教の祭典劇は、ちょっと片手間に触れて片づけられるような代物ではない。本当にいつになるか分からないが、いずれ語ってみたいとは思っている。

2.歌劇<ボリス・ゴドゥノフ>の歴史的名演

『ブログ主へのインタビュー』という記事の中で、旧ソ連時代の名バス歌手イワン・ペトロフに言及した。そこで、ちらっと書いた文言。しかし、2009年の大腸がん入院以来、大掛かりな準備が必要なクラシックの記事は書けなくなった。「アクセスが来なくたって、かまうもんか。俺は書きたい事を書く。分かる人だけが、読んでくれればいい」と、逆境もものかはで突っ走るだけの気力、そしてそれを支える体力が無くなってしまったのだ。実は入院前には、ショスタコーヴィチの<ムツェンスク郡のマクベス夫人>から始まって、マニア志向の強い珍品オペラのシリーズを進めることが、青写真としてブログ主の脳裏に描かれていた。・・・が、正直、この路線はもう、無理ぽ。※1 (←あっさり、投げやがった。w )

3.青池保子の『イブの息子たち』に登場するニジンスキーのモデルについて

『青江冬星と、ブルースコルピオ』という、異色の記事の中で言及。老人一人暮らしの忙しさと、指を不自由にしている神経障害によって、実現困難になってしまっているネタの1つ。本当は保留になどせず、サクッと語りたい。話の方向性としては、山岸凉子の初期作品に触れつつ、「宗方コーチとミロノフ先生~その成功と失敗」という独自の観点を世間に披露したいのだった。いつできるか、いつその気になるか、今は何とも言えないが、上述の「ボリスの演奏史」などよりはずっと実現性があると思う。・・っていうか、こんな話、そもそも需要がねえんじゃね?w

4.映画『ゴジラ・マイナス・ワン』についての感想

今回並べた保留案件の中で、一番力を入れて語りたい題材。記事を書くための参考資料として少し古い映画のDVDをレンタルしたり、関連書物を買い集めたり、結構な下準備をしてきたにもかかわらず、結局未だに文章の形にできないまま。この大ヒット映画についてはYouTubeを中心に国内外の映画ファン、ないしはゴジラ・ファンたちが縦横に語ってきているが、当ブログ主も怪獣映画・特撮映画への思い入れについては人後に落ちない人間であるとの自負を持っている。従って、他の誰にも指摘されなかった話、あるいは新しい知見みたいな物を、きっと提示させていただけるものと確信している。・・ただ、やっぱり腰が重いんだよなあ。こういう力の入った記事に取り組むのは。せめて指の状態が良ければなあ、とか思ったりする昨今である。

 

※1 WOCウオック=皮膚排泄ケア認定看護師。ストーマ(人工肛門、人工膀胱)と、デクビ(=「横たわった」を意味するラテン語のデクビトゥスから、床ずれのこと)を担当するエクスパート。Wound(創傷)Ostomy(人工肛門、人工膀胱)、Continence(便・尿の失禁)という3語の頭文字を並べた、一種のacronym。

※2 無理ぽ=「無理っぽい、無理みたい」を意味するネット・スラング。類例に「ダメぽ」があるが、これは「うちに警察の人が来た。もうダメぽ」に由来する。何かをやらかした2階ヒッキーの若者が、「下の階に警察が来ている様子だ。もうダメっぽい」と書いた絶筆が話題になったところから。これらの「ぽ」の意味は、意外と若い人も知らないみたいな希ガス※3。ちなみに「ぬるぽ」「ガッ!」は、「ヌルポインター・イグゼンプションが出たら、これからは『ぬるぽ』と略そうぜ」とスレ立てをした人が、「1ぬるぽ」と書いたのに対し、次の2の人がいきなり「ガッ!」と1を殴りつけたのが始まり。

※3 希ガス=元素周期表の、一番右の縦列。「変なネエちゃん、ある時狂ってエックス乱交」という素晴らしい語呂合わせがあることを高校時代に知っていたらと、60代半ばになった老人が今さらのように悔やんでいる楽しい化け学。具体的には、He-Ne-Ar-Kr-Xe-Rn(ヘリウム、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノン、ラドン)。

―もう間もなく、新年。皆様、どうぞ良いお年を。

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病院通いの経過(2019年~2024年)

2024年12月21日 | エトセトラ

2024年12月21日。前回からの続き。

そういう訳で、ダ・ヴィンチのロボットアームを使った前立腺摘出手術を受け、ブログ主は一命を取りとめた。射精能力がなくなったのはもう、仕方ない。もとより、そんなことを嘆きあう相手もいない。手術の麻酔から目覚めた後、なんていうのだろう、これも一種の賢者タイム?なのかな。「はあ~、なーんにも経験しないうちに俺、終わっちゃったなあ」なんて、泣く気も怒る気もなく、ただ脱力して病室の天井を眺めたな。・・・そして、自分が射精だけでなく勃起もしなくなったのに気付いたのは、退院後だいぶ日にちが経ってから。AV(アダルトビデオ)のサイトを見ながら、股間をいじる。普通に、気持ちいい。気持ちはいいのだが、固くならない。フニャフニャのまま。ああ、そうなっちゃったんだ・・。

当時はしかし、そんな呑気な快楽と失望感に浸っているどころではなかった。次の課題が待っている。いよいよ異物感と痛みが度を超す物になってきた、肛門内部の腫瘍。これに対応しなければならない。かつて大腸がんでお世話になった病院へ何年ぶりかで赴き、CF(大腸内視鏡検査)。セデーション付きの一泊入院。・・げに恐るべきは、結果診察の日に見せてもらったカラー画像。肛門近くにできている大きな腫瘍に、びっくり仰天。何、このでかい腫れもの。「内視鏡でポリペクトミーをやれるようなサイズではないので、今回は見ただけ。超音波内視鏡検査をやっている大きな病院で、改めて生検を受けてほしい」との話。

紹介状を出してもらって、地元の大きな病院へ。まず、消化器内科の診察。「組織の切り取りをやるので、検査後の様子見が必要になります。何日か入院になりますが、大丈夫ですか」「はい。毎日もう、自由日なので」ということで、検査入院。1週間弱だったかな。病棟5階。ナースさんたち、医師団、そしてクラークさん、皆さんが概ねフレンドリーだったことで、基本的に心地良く過ごさせてもらえた。・・・退院後の外来診察で、結果を聞く。診断は、悪性の粘膜下腫瘍。内部に芯らしきものが出来ているらしく、もはや腫瘍(tumor)ではなく腫瘤(mass)になっていると。悪性確定。大きさの点でも、3センチ・ルールを軽く超えている。手術、待ったなし。「すぐに、消化器外科の診察を受けてください。今、院内の紹介状を書きますから。でも、よくこれだけの早期で見つかったと思っていただいて、すぐに外科の診察を受けてください」。

普通この腫瘍は胃にできやすいものらしく、全く無症状のまま成長する。で、異変を感じて検査する頃には、手術しても取り切れない程に巨大化した後。結局、その後は薬でどれぐらい延命できそうかを考える段階になるという。つまり、余命(あるいは、人生の終点)がおおよそ見えてしまうという、恐ろしい話だ。ブログ主の場合、「長時間座ってばかりの生活だったから、痔になっちゃったんだろうな」と思って最初に肛門科のクリニックへ行ったぐらい、それは肛門直近に出来ていた。だから、すぐに分かった。早期発見が出来た。そして、その段階で手術を受けられたから、助かった。これが、5年前に我が身に起こったある種の幸運(というより、不幸中の幸い)。・・・次回は、幸いでなかった側面の、ちょっとつらい話。予告しておこう。人工肛門。ストーマ生活の始まりである。

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消化器外科の通院終了

2024年11月30日 | エトセトラ
2024年11月30日。5年間に亘る消化器外科の検査通院が今月、ついに終わった。ホッとするような解放感と、新たに始まる自己責任による健康管理。複雑な気持ちだ。
 
この5年間、いろいろあったな。PCに向かって座っている時間が、異常に長い日々。体に良くないなあと悩みつつも、生活のためにと、不健康な姿で過ごす毎日が何年も続いた。・・今から7年ほど前になるか、市のメタボ健診で尿潜血が++と出たのがきっかけとなって、泌尿器科通院開始。1年半ぐらい、通ったか。数ヶ月おきにPSA検査を行うも、結果は常に4・いくつ。何とも微妙な、イヤな数字。で、いよいよ「経過観察はもう、無理だろう」という話になって、針生検。より大きな泌尿器科クリニックへ。検査結果は最悪。8本の針のうち、2本が陽性コア。carcinoma陽性。つまり、がん確認。sedentaryな生活が長く続いていたことから、前立腺の肥大は覚悟していた。いずれ手術だろうなとは思いつつも、それに対する恐怖はなかった。大腸の1/3を切り取られる大手術を経験していたブログ主にとって、太った分泌器官の一部削り取り(または、くり抜き)の手術など、かなり低侵襲な物に思えたから。しかし、降りかかった現実は、がん。そうなると、事態はずっと深刻。それに加えて、看護師さんの「肛門の近くに何か腫れものがあるので、それについても消化器系の病院で診てもらった方がいいですよ」という言葉。
 
そして今から5年前の夏、住居から遥かに離れた町の専門病院に入院して、前立腺摘出手術。知る人ぞ知る、手術支援ロボットのダ・ヴィンチ。この強力な助っ人を得たオペで、しっかりと病巣が取り除かれた。高齢の男性以外にはあまり縁がないがんなので、これは知られざる事実かもしれない。胃がんや肝がんなどと違って、前立腺がんの手術治療は、たとえ初期であっても問答無用で臓器全摘出だ。で、前立腺には精嚢がペタンとくっついていて、それも一緒に取られてしまう。なので、手術後の患者は例外なく、それこそ100人中100人全員が、射精能力を失う。ただ、勃起能力については、神経組織を傷つけずに上手く摘出できれば温存される。つまり、もはや精子は発射できないけれど、立つことは立つので、性器の交接は可能。配偶者や性交渉の相手がいる男性は、お相手とよく相談して決めてねという話になる。そんな相手もいないブログ主は、全く迷うことなく手術治療を選んだ。「自分の場合、前立腺肥大が既に指摘されているから、いずれ、そのための手術が必要になる。がんが見つかった今、迷う理由など何もない。手術で全部取ってしまった方が、後腐れがなくてすっきりする」と。
 
結果、大正解だった。手術で取った組織を生検に出した結果を、退院後の初外来時に、担当医から聞いた。ゾッとした。「思ったよりもがんが進んでいて、転移が始まる寸前だったみたいですね。でも、先日の手術でこれらを全部取ってしまったので、もう問題ないです」。ステージT1cの初期がんで、CTにも写ってこないほどの微小ながんだったはずなのに、実は臓器全体に悪性腫瘍は広がっていて、間もなく外へ浸潤・転移を始める直前だったと。こわっ。ブログ主の場合、放射線治療なんか選んでいたら、まず今頃生きてはいないよな。それは確信する。
 
―長い話になりそうだ。分けよう。続きは、次回・・。
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ブログ20周年。ついて来ない体

2024年10月30日 | エトセトラ
2024年10月30日(水)。めっきり肌寒くなってきた。そろそろ暖房器具の出番だな。例年、今頃はもう石油ストーブを使い始めている時期なのだが、今年はまだこれから。8月の断熱二重窓工事が、効果を発揮しつつあるのかも。・・まあ、よろしくたのんます。お金かかってるし。w

明日10月31日は、当ブログの誕生日。うちもこれで、満20歳になる。開始当時よく見に行っていた同業の(?)クラシック系ブログは、月日の経過とともに次々と消えていった。寂しいね。ブログ主自身の興味の対象も、初期の頃からすると随分変わった。家族の状態を含め、身の回りの人々や生活の様子も、まるで変わった。英語で言うと、 The only thing that is constant in life is change. って、ところかな。「この世で常に変わらない事、それは何でもいつかは変わってしまうということだ」って。

去年の11月末にスタートした、スマホのお勉強アプリ。間もなく1周年を迎える今も、コツコツと継続中。その成果を目に見える形にできるのは、まだまだ当分先になる。が、いつかは(かつての心電図検定同様)、世間に公表できる時が来ると思う。で、それはまあいいのだが、この6月以来取り組んできた筋トレ。こちらがどうも、おもわしくない展開。昨年頓挫した理由は、コロナ感染が強く疑われる発熱と咳。これで、トレーニングの中断を余儀なくされた。そして回復した後も気力が失せ、そのままポシャッ・・。

今回は違う。具体的な目標がある。「体重に占める筋肉の割合(特に、脚点)を高めて、体内年齢を若返らせる」というものだ。・・で、今そこで何が問題なのかというと、「気持ちとは裏腹に、体がついて来ない」という老年期に“あるある”の現象。これは悲しい。とりあえず脚の筋力回復にと、例のごとくスクワット運動を採り入れた。若い頃みたいにバーベルやダンベルを使う本格的なトレーニングはきついので、この夏にウェイト・ヴェストを購入。1個1kgの重りをポケットに詰めて、自分に合った重量に設定する。で、それを着た状態で、しゃがんでは立ち、しゃがんでは立ちを繰り返すわけである。無理のないように、最初は前面に4個、背中側に4個の重りを詰めて、計8kgちょっと。軽い、軽い。これでスクワット開始。基本的に10回×3セット。・・楽チンだ。その数日後に5個+5個、さらに数日後6個+6個と、順調に重量をアップ。

異変が起きたのは、8個+8個の16kgでいつもの“しゃがみ立ち”を始めてから。両ひざの関節に、鋭い痛み。ビキッ、ズキーン!脚の開き方や膝の向きを変えて継続を試みるも、ひざの悲鳴はやまない。「もう駄目だよ。止めてよ。痛いよ」。・・で、動作中止。それ以来、ウェイトを使ったスクワットは一切やらず(というか、できない)。手ぶらのヒンズーもやらず。チューブを使った負荷運動に切り替えた。でもいまだに、膝のズキビキは引かない。困ったことに、その痛みが筋トレそのものへの取り組み意欲を削いでしまう。・・・教訓。筋肉は自分が若くて強かった頃の姿を覚えているので、年を取ってからでもトレーニングを再開すると、かつての雄姿に戻ろうと動き始める(所謂マッスル・メモリー)。しかし、関節は違う。若い頃のような潤滑油は既に、なくなっている。高齢者の筋トレには、関節の老化という思わぬ落とし穴がある。どの部位であれ、やたら筋肉を追い込むトレーニングは、時に危険だ。世のシニア・トレイニー諸氏は、心に銘記されたし。
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顔の怪我の通院終了。屋根工事開始

2024年09月23日 | エトセトラ
2024年9月23日(月)。秋分の日。天気は晴れたり、曇ったり。強い雨が降った昨夜は、何十日ぶりかで、ランニングの上に半袖シャツを着て過ごすことになった。妙に肌寒かったから。今日は雨もあがり、太陽が顔を見せる時間も出てきているが、それとて、つい先日までの暑い日差しではない。涼しげな風を伴う、爽やかな秋晴れだ。「暑さ寒さも彼岸まで」という昔ながらの言葉が、改めて実感される陽気である。

顔を見せると言えば、ブログ主自身の顔の怪我。3月の転倒以来半年が経ち、先日の通院を以て一応の終了となった。眼窩底骨折による顔半分と上唇の強い痺れは、ほぼ収まった。首のむち打ち症状も、無くなった。まだ残っているのは、左の目頭から頬にかけての引きつり。ちょうどクモの巣が顔にかかった時に感じる、あの糸がくっついて引っ張られるようなピリピリ感だ。そんな話を伝えると、若い医師はブログ主の目頭から鼻のあたりを触診し、「ああ、まだ少し、この辺が固いですね」と所見を述べた後、「これは、年単位で治りますから」と回答。『年単位か。2年後とか、3年後とかってか。・・気の長い話になるなあ』と、軽い鬱を感じつつ、「治りますか、これ。良かった」と、こちらも返答。続いて、「通院は、今回で終了にしましょう」「あ、助かります。うちからこちらの病院まで出てくるのって、本当、遠くて大変なので」「(『まあ、確かに』といった表情で微笑を浮かべつつ)今後また何か違和感が出てきたりしたら、御連絡下さい」といったやり取りを経て、通院終了が決まった。肩の荷が一つ下りたような、何とも言えない安堵感。事故当初のブラックジャック傷は、(少なくとも他人の目には)全く気付かれない程度にまで消滅。全体的な爛れや腫れも収まって、“人の顔”レベルに戻った。台風一過、みたいなところか。

さて、我が家の家計にドシンとのしかかる屋根の全面改修。去る18日(水)に足場が組まれ、翌19日から工事開始となった。・・・しかしまあ、その最初の瓦撤去の凄かったこと。若い職人さん達が5人くらい集まって、1枚1枚がやけに重い三州瓦をガンガン剥がしてバキバキ砕いて、ドガドガドガッ!とトラックの荷台に落とし込んで行く。その音と振動、そして時折襲来するドカン、ドスンという衝撃。いや、まいりました。御近所への事前あいさつ回りを丁寧に行なっていた業者さんの真意が、じゅうじゅう分かり申した。w 長い付き合いですっかりお馴染みのK社さんなので、工事の質に不安はない。せっかく家の周り中に足場を組んでいるという事で、雨どいの点検補修や、雨どいにかぶさる植木の枝打ち等、今回ついでにお願いできる事もサービスの範囲内でやってもらっている。ありがたいです、本当に。ついでの話ながら、新しく載るのはいわゆるスレート屋根。横暖ルーフαS(よこだんるーふ・アルファーエス)という素材で、ネットで調べた範囲でいうと、屋根業者さんの間でもかなり評価の高い商品のようだ。あと1、2軒分だけK社さんに在庫があるということで、「10月からの材料費高騰を前に、最後の“材料費無料サービス”を受けられるチャンスですよ」と、社長さんに勧められた。10月以降、高くなった材料を買い付けるところからの工事費を考えたら、今やるのがベストだろうなと。そんな流れでの、土壇場決断だった。・・・あとは、そのお金。でも、10月末期限の支払いには、ようやく目途が立ってきている。大変な事ではあるけれども、悔いはない。お金を出す運気にある時は、しっかり吐き出すのが正解だから。
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