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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

歌劇<ル・シッド>

2008年03月25日 | 作品を語る
このところずっとマスネのオペラをシリーズで語ってきているが、その流れに乗って今回は、歌劇<ル・シッド>(1885年)を採りあげてみることにしたい。これは、ピエール・コルネイユが書いた同名の戯曲を原作とする、非常に力強いオペラである。

―歌劇<ル・シッド>のストーリー概要

スペインの若き勇者ロドリーグ(T)と、ゴルマス伯爵(Bar)の娘シメーヌ(S)は恋人同士。これは、双方の父親も互いに認めた間柄である。ところが、その父親同士が、国王から受けた職位を巡って激しい諍(いさか)いを起こしてしまう。ロドリーグの父ドン・ディエグ(B)は、往時こそ一騎当千の勇士として名をはせた人物だったが、寄る年波には勝てず、伯爵に侮辱されたまま屈伏するしかなかった。その父から、「わしの名誉のために、仇を討ってくれ」と頼まれたロドリーグは、倒すべき相手が最愛の人シメーヌの父親と知って驚く。しかし、彼は悩んだ末に結局伯爵に決闘を挑み、そして打ち倒す。

恋人のロドリーグに父親を殺され、シメーヌは激しいショックを受ける。「我が父の仇に、死のお裁きを」と国王に訴え出る彼女だが、心の中ではまだロドリーグを愛している。そんな折、ムーア人たちの軍勢がやって来てスペインに宣戦を布告。ロドリーグは自ら陣頭指揮に立ち、彼らとの戦いに赴く。

何日か後、「ロドリーグは、戦死した」という話を伝えられて、ドン・ディエグは悄然とする。しかし実際にはロドリーグは死んでおらず、それどころか見事戦いに勝利をおさめていた。その後祖国の英雄として戻ってきた彼をどう処分したいかと国王から尋ねられ、シメーヌはひどく困惑する。が、短剣をもって自害することで恋人へのお詫びをしようとするロドリーグを、彼女は押し止める。二人は和解し、一同の喜びの声が響くところで、全曲の終了。

(※ここに書いた筋書きは思いきり簡略化したもので、実際にはもう少し細かいエピソードがあちこちに挿まれてくる。また、上の文章では省いてしまったが、「ロドリーグへの秘められた恋に悩むスペイン王女」というのも、控えめながら大事な登場人物の一人だ。王女(S)は、愛するロドリーグが王家の血筋でないことから、自分とは身分上結ばれないと悩んでいる。その後ムーア軍との戦いに勝ち、そこの敵兵たちから、「シッド(=君主)」と讃えられることになるロドリーグを見て、「彼は今や、ル・シッドと呼ばれる人。もう身分の違いなど、気にすることはないわ」と、新たに恋の悩みを募らせる場面が原作にある。)

(※参考までに、もう一つ。コルネイユの戯曲では、ロドリーグがムーア人たちとの戦いに勝利して帰ってきた後、オペラとはかなり違った展開が見られる。国王が、「ロドリーグは戦いに勝ったが、怪我がもとで死んだそうだ」とうそをつき、動揺するシメーヌの様子を見て彼女の本心を確かめるのである。ロドリーグはちゃんと生きているということが明らかにされた後、シメーヌに思いを寄せる貴族ドン・サンシュという人物が名乗り出てくる。そして、「ロドリーグと一騎打ちをして、もし勝てたら、シメーヌを妻に迎えることができる」という条件で、彼はロドリーグとの決闘に臨むのである。しかし、ストーリーが煩雑になるのを避けるためか、マスネのオペラではこのあたりの流れはすっぽりとカットされている。)

―コルネイユの戯曲『ル・シッド』に見る義務と恋愛の美意識

ロドリーグとシメーヌのそれぞれの行動を支えているメンタリティがどんなものだったのか、現代の感覚ではちょっと分かりにくい部分がある。『欧米文芸・登場人物事典』(大修館)の459~460ページにそのあたりのポイントを手短にまとめた文章が出ているので、ここで一部引用してみることにしたい。

{ 父ドン・ディエグから過敏な名誉心を受け継いだ、若く血気にはやるロドリーグは、恋ゆえに鈍る心と戦い、父の名誉を傷つけたドン・ゴルマスに、それが恋人シメーヌの父親であるにもかかわらず決闘を挑む。そこで悲劇は、武勲とか騎士道の武勇とかいう外的なものから、心情の問題に移行する。父親への服従は「徳ある人の義務」であり、恋愛は相互の敬意に基づいているため、ロドリーグの愛を失いたくなければ、シメーヌは復讐を誓うほかない。 }

上の記述を裏打ちするようなシメーヌのセリフが、以下の通り、原作の第3幕第4場に見られる。

「あのような恥辱を受けた上は、高貴な人なら名誉のためどうするか、それは私とて存じております。あなたは、立派な人としての義務を果たされただけです。ただそのことによって、私の義務が何であるかも教えてくださいました。・・・あなたをお慕いしているからといって、あなたの処罰をしぶるような卑怯を期待なさらないで下さい。私たちの恋があなたのためにどのようなことをささやこうと、私もあなたのご立派な心根にこたえねばなりません。あなたは私の怒りを招くことによって、私に相応しい方であることをお見せになりました。私もあなたの命を奪うことにより、あなたに相応しい女であることをお見せしなければなりません」。(Cf.筑摩世界文学大系18 『古典劇集』 ~189ページ)

―歌劇<ル・シッド>の音楽

前回語った<エスクラルモンド>は徹底したワグナー流儀で書かれたものだったが、この<ル・シッド>を作曲するにあたってマスネが採用したのは、ヴェルディの様式であった。冒頭の序曲からすでにそう思わせるような設計が見られるし、第1幕でロドリーグがナイトの称号を受ける場面で聴かれる音楽も非常にダイナミックで、ヴェルディ的である。さらに、第2幕第2場。「父の仇に裁きを」と訴え出るシメーヌの力強い登場と、この悲劇が起こるに至った成り行きをドン・ディエグが国王に説明する場面。続いてロドリーグの行動を巡って賛否両論に分かれる人々の反応と、いきなり乗り込んできたムーア人による宣戦布告。これら一連の緊迫したシーンでも、ヴェルディが書きそうな激しいサウンドを聴くことができる。

第3幕第1場でシメーヌが歌う有名なアリア、そして彼女のもとに現れたロドリーグとの二重唱、このあたりの音楽もどことなく、ヴェルディの流儀を感じさせるものになっている。戦地に赴いたロドリーグの祈りの歌が聴かれる第3場と、それに続く第4場の戦闘シーン。これら二つの場面はコルネイユの原作にはないオペラだけのオリジナルだが、ここに出てくるマーチ風のリズムと激しく畳みかけるような音楽にも、やはりヴェルディ的な雰囲気が漂っている。

―歌劇<ル・シッド>の全曲盤

今回参照している演奏は、イヴ・ケラー指揮ニューヨーク・オペラ管弦楽団、他によるカーネギー・ホールでのライヴ録音盤(1976年3月・ソニー)である。CDのジャケットに「世界初録音」と記されているが、ひょっとしたらこれは初録音というにとどまらず、今もなおこのオペラの唯一の全曲盤かもしれない。

ロドリーグ役は、プラシド・ドミンゴ。いつもながら、立派な歌唱である。「血気盛んなスペインの若き英雄」という熱いキャラクターに、彼はよく似合っている。相手役のシメーヌを歌っているのはメゾ・ソプラノのグレース・バンブリーだが、この人も大変素晴らしい。特に第2幕第2場以降の力演たるや、ただもう圧巻と言うしかない。その他の脇役陣では、ドン・ディエグを歌うポール・プリシュカがなかなかの好演を示している。

ところでグレース・バンブリーという黒人歌手は、録音が少ないこともあって今一つなじみが薄いけれども、今回の<ル・シッド>のように、調子が良い時は相当な力を発揮していた人だったようだ。彼女が録音にのこした歌唱で私がまず思い出すのは、若き日のヴォルフガング・サヴァリッシュがバイロイトで振った<タンホイザー>全曲(1962年)でのヴェーヌスである。これはもう30年近くも前、当時大学生だった私が奮発して買った3枚組のLPレコード(Ph盤)で出会ったものだった。タイトル役のヴィントガッセンが、この人にしてはイマイチかなと思われた一方、エリーザベト役のアニア・シリア、そしてヴェーヌス役のバンブリーがともに名演で、非常な聴き応えを感じたものである。いや、それ以上にサヴァリッシュの指揮がとにかくホットで、彼が後年N響との一連の共演で聴かせることになる「立派だけど、全然面白くない演奏」とはまるで別世界の、気迫に満ちた凄い音楽をやっていた。サヴァリッシュのことをひたすらつまらない指揮者とイメージしておられる方は是非とも、彼が若い頃に指揮したバイロイトでのライヴ録音をお聴きいただきたいと思う。

一方、このバンブリーが主役を張った録音としては、若きフリューベック・デ・ブルゴスの指揮によるビゼーの歌劇<カルメン>全曲(1969~70年・EMI)というのが、LP時代からよく知られている。しかし、はっきり言って、これはあまり感心した出来栄えのものではない。バンブリーはここでも一応頑張ってはいるのだが、どうもその歌が板に付かないのである。ドン・ホセ役のジョン・ヴィッカースも魅力薄だし、エスカミーリョ役の何とかパスカリスに至っては、もう完全な二流だ。良かったのは、ミカエラを歌うミレッラ・フレーニの存在感あふれる歌唱と、木の十字架少年合唱団の可愛らしさぐらいだった。w

―今回は、この辺で・・。
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歌劇<エスクラルモンド>(2)

2008年02月27日 | 作品を語る
今回は、マスネの歌劇<エスクラルモンド>の第2回。前回の続きで、第3幕第2場から終曲までの内容。

〔 第3幕第2場 〕

クレオメール王の宮殿の一室。外ではまだ喜び騒ぐ人々の声が聞こえるが、ロランの頭の中は、毎晩やって来る不思議な女性との逢引のことでいっぱいである。そこへ司教が現れ、王女との結婚を拒否した理由をロランに問い質(ただ)す。ロランは、誓いがあるから理由はどうしても話せないと答える。「神の前では、いかなる隠し事も通らない。告白せねば、そなたは永遠に呪われることになろう」と、司教は騎士を脅すように言う。ついに、ロランは自分の体験について語りだす。「私は夜毎、謎の女性と会っている。しかし、その人の顔はヴェールに覆われていて、何者かは分からない」。その話を聞いた司教は恐怖を感じ、神の許しを請うようにと、ロランに強く勧める。

司教がそこを去った後、エスクラルモンドの声が聞こえてくる。彼女への誓いを破ってしまったかもしれないと、不安になるロラン。やがてエスクラルモンドが彼の前に姿を現すが、それと同時にドアが激しい勢いで開けられ、司教と僧侶たち、そして松明を持った人々らが入ってくる。エスクラルモンドを悪魔の創造物と考えた司教は悪魔祓いの儀式を開始し、彼女の顔を覆っていたヴェールを取り去る。

初めて目にする恋人の美貌にロランは感激するが、エスクラルモンドは悲しみに打ちひしがれ、彼の裏切りを非難する。司教の命令で男たちがエスクラルモンドを捕えようとすると、彼女は火の精を呼び、自らの体を炎で包む。ロランは司教と対峙すべくサン・ジョルジュの聖剣を抜くが、その剣はたちまち、彼の手の中で砕け散ってしまう。エスクラルモンドはロランの不実をなじりながら、炎の中に消えていく。

(※この第3幕第2場では、殆ど超人的と言ってもいいような高音がエスクラルモンド役の歌手に要求される。ボニング盤ではジョーン・サザーランドが同役を歌っているが、彼女のコロラトゥーラをもってさえ、ちょっと苦しそうに聞こえる箇所がある。大変な難役だ。今活躍中の歌手なら、ナタリー・デッセイあたりにトライしてもらいたい感じがする。またこの場面では、ロランの不実に傷ついたエスクラルモンドが歌う嘆き節が聴き物で、これは愛に傷ついた女性の人間的な感情が痛切に歌いだされる佳曲だ。サザーランドはしばしば声の見事さとは裏腹に中身の薄い歌唱を示すことのある人だが、この場面での歌いぶりはとても良いと思う。しっかりと、聴く者の気持ちに訴えてくるものがある。)

(※悪魔祓いの儀式を始める司教と、男声合唱による群集の声、これがまた非常にパワフルで威力的。オーケストラも分厚い金管の咆哮が相変わらず凄いが、ここではさらにオルガンも加わっての大音響。)

〔 第4幕 〕

アルデンヌの森。帝位を退いたフォルカスが隠棲している洞穴の前。妖精や精霊たちが踊っている。伝令官(T)たちが馬に乗って通りかかり、「エスクラルモンドの結婚相手を選ぶ競技会が近々、催される」と告げて去っていく。それに続いて、パルセイスとエネアスがすっかり度を失った様子で登場。パルセイスは、エスクラルモンドと騎士ロランのことを包み隠さずフォルカスに話す。「何故、ちゃんと見ていなかったのだ」と先帝はパルセイスを叱るが、彼の怒りの矛先はすぐに娘のエスクラルモンドに向けられた。

(※この第4幕の冒頭シーンでは、森の様子を描く牧歌的な音楽が流れる。激烈な終わり方をする第3幕の後だけに、何だかほっとする。先帝フォルカスが出て来るシーンでは低弦が力強く唸って、いかにも役柄に相応しい貫禄が表現される。で、このあたりもまた、思いっきりワグナー風。フォルカスというのは決して悪役ではないのだが、パルセイスとエネアスの二人を相手にしての三重唱になると、彼はまるで《指環》のフンディングかハーゲンを思わせるような凄みを漂わせるのだ。)

自分の魔力を改めて確認したフォルカスは精霊たちを呼び、エスクラルモンドをここへ連れてくるようにと命じる。やがて、炎に包まれたエスクラルモンドが、稲妻雷鳴とともに登場。フォルカスとお付きの精霊たちが、彼女に厳しく宣告する。「戒めを破ったお前は、魔力と玉座を永遠に失うことになろう。ロランを棄てるのだ。さもなくば、奴は死ぬ」。愛する人を死なせたくないエスクラルモンドは、その命令を受け入れる。ほどなくするとロランが彼女の前に現れるが、「もう私を忘れて」と、エスクラルモンドは彼を拒絶する。

自分のせいでエスクラルモンドが魔法の力を失ったと知ったロランは、一緒に逃げようと彼女に訴えかける。そうしたい気持ちになるエスクラルモンドだったが、そこへフォルカスが現れ、彼女に義務の遂行を迫る。やがて二人の魔法使いは去り、ロランは一人になる。「私はもう、死ぬことしか望まぬ」と、彼はビザンティウムで行なわれる競技会に命を捨てるために参加することを決める。

〔 エピローグ 〕

プロローグと全く同じ、ビザンティウムの聖堂前。玉座に着いたフォルカス皇帝がエスクラルモンドを呼び寄せ、競技会の優勝者、即ち彼女の花婿候補と顔を合わせるように命じる。優勝した騎士は黒い甲冑(かっちゅう)を着込んでいて、その顔は面頬(めんほお)で隠されている。皇帝に名を聞かれた騎士は、「私の名は、絶望。死を求めて、この競技会に出た。褒美はいらぬ」と答える。

(※エピローグも、壮麗なオルガンの響きで始まる。フォルカス皇帝の宣言に続く合唱も勿論、ワグナー風。オーケストラの分厚いサウンドも相変わらずだ。「ああ、これって、ワグナーの曲にありそう」とオペラ・ファンならきっと思い当たりそうなパッセージが、ここでは特に弦楽セクションに聞かれる。)

エスクラルモンドはその声を聞いてすぐに、優勝者の正体を知る。一方、面頬を外して素顔を見せたロランは、結婚相手とされた皇帝の娘が他ならぬエスクラルモンドであると知って喜ぶ。二人は結ばれ、美しい女帝と雄雄しき配偶者を讃えて人々が歓喜の歌を歌う。めでたし、めでたしの大合唱による、絢爛豪華たる幕切れ。

(※マスネのオペラを全部聴いたわけではないので断言は出来ないが、歌劇<エスクラルモンド>はおそらく、マスネが書いた全25作の中でも飛びぬけて壮大・壮麗なヘビー級オペラではないかと思う。これでもか、これでもか、と繰り出される金管の雄叫びを中心とした、オーケストラ・セクションの分厚い響き。これがまず一つの要因になっていることは、もう言わずもがな。しかし、それと同時に、フォルカス皇帝、フランス王クレオメール、そしてブロワの司教といった大事な脇役に重厚な男性低音歌手を配置しているという点も、見過ごせないポイントになっていると思う。今回扱っているボニング盤は、この3人の男性低音陣に良い歌手達を得た。フォルカス皇帝を歌うクリフォード・グラント、フランス王クレオメールを歌うロバート・ロイド、そしてブロワの司教を歌うルイ・キリコ、この3人が皆揃って素晴らしいのである。彼らの好演が、演奏全体に千金の価値を与えている。主役のエスクラルモンドを歌うサザーランドも、彼女の中では出来の良い部類に入るのではないだろうか。ボニングの指揮も、申し分なくダイナミックで絢爛。)

(※最後の付け足しみたいになってしまうが、当ディスクで騎士ロランを歌っているのは、スペインのテノール歌手ジャコモ・アラガルである。録音が少ないこともあってか、知名度はあまり高くないが、なかなかの実力派だ。ここでも力強い歌唱を聴かせてくれている。

ちなみにアラガルは、この録音の後、再びボニング&サザーランドの夫婦コンビと共演して、ドニゼッティの歌劇<ルクレツィア・ボルジア>の全曲録音にも参加している。歌っているのは、主人公ルクレツィアの息子ジェンナーロの役である。ルネッサンス期のイタリアに実在した女性(※イタリア語の発音にもっと近づけた表記をするなら、ルクレーツィア・ボールジャ)をモデルにしたこのオペラは、数多いドニゼッティ歌劇の中でも屈指の名作に数えられるものだ。数奇な運命で、母親の家と対立する一派に属することになった若者ジェンナーロ。彼は第1幕で、Borgia(ボルジア)家の表札からBの文字を切り取ってorgia(乱交パーティー、淫蕩の宴)にして貶すような事をする。怒れるアルフォンソ公の罠で毒を飲まされるも、彼をわが子と知ったルクレツィアの解毒剤によって、命を救われる。しかし、彼が友人オルシーニの誘いで出かけたパーティーの席には、過去の出来事への仕返しを企むルクレツィアの罠が仕掛けられていた。まさか息子がそこに来ているとは知らなかったルクレツィアは、来客達に飲ませた毒薬の解毒剤を飲むよう必死になって彼に勧め、「母の頼みを聞いて。あなたもボルジア家の人間なのよ」とジェンナーロの本当の身分を明かす。思いもかけない自分の出自に驚きながらも、彼は「仲間を裏切って、自分だけ助かるような真似はしたくない」と、解毒剤を拒否。そのまま息絶える。

アラガルが演じるジェンナーロの主な聴かせどころと言えば、第1幕エンディングでのルクレツィアとの二重唱、第2幕冒頭でのアリア「女性の姿をした天使よ」、それと第2幕後半でのオルシーニとの『友情の二重唱』といったあたりになろうか。とりわけ第2幕冒頭のアリアで、アラガル氏は大変な熱唱を聴かせる。このボニング盤<ルクレツィア・ボルジア>は指揮者もタイトル役も好調だし、脇役陣も総じて優秀だ。オルシーニ役のマリリン・ホーン、ルクレツィアの密偵グベッタを演じるリチャード・ヴァン・アラン、そしてジェンナーロの仲間の一人ヴィテロッツォ役のピエロ・デ・パルマ、皆それぞれに好演。この録音は一聴の価値あり、である。)

―次回も、マスネのオペラ。
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歌劇<エスクラルモンド>(1)

2008年02月17日 | 作品を語る
当ブログではこのところ、<エロディアド><タイス><ナヴァラの娘><マノン>と、ひたすらマスネのオペラを語り続けてきた。というわけで、せっかくだからもう少し、この流れで進めてみようかと思う。今回は作曲家全盛期の大作、<エスクラルモンド>(1889年・初演)である。ストーリーは一種のおとぎ話だが、その筋書きを読むだけでもなかなか楽しいので、この作品についてはじっくりと話の中身を追っていくことにしたい。ちなみに参照演奏は、リチャード・ボニング指揮ナショナル・フィル、他によるデッカの全曲録音である。

―歌劇<エスクラルモンド>のあらすじ

〔 プロローグ 〕

国の統治者であり魔法使いでもあるフォルカス皇帝(B)が、娘のエスクラルモンド(S)に地位を譲り、退位することとなった。その場に立ち会うため、廷臣達が今ビザンティウムの聖堂に集まっている。フォルカスは魔力を娘に伝え、彼女に帝位を譲ることを宣言するが、同時に条件も課す。「我が娘エスクラルモンドがその魔力と玉座を維持するためには、20歳になるまで、絶対に世の男たちにその顔を見せてはならない。そして、将来行なわれる競技会の優勝者が、娘と結婚できることになる」。やがて、顔をヴェールで覆い、豪華な衣装に身を包んだエスクラルモンドが登場。彼女の妹であるパルセイス(Ms)、その他お付きの者たちも一緒である。フォルカスはパルセイスに、「エスクラルモンドを、よく守ってやるのだぞ」と命じる。人々の賛辞の声に包まれながら、エスクラルモンドが帝位を継承する。

(※歌劇<エスクラルモンド>は、マスネが臆面もなく、遠慮のかけらもなく、w 思いっきりワグナー流儀に則って書き上げた大作である。その音楽的特徴は早くもこのプロローグから出ており、開幕からいきなりド迫力の金管とオルガンの大音響が響き渡る。威風堂々と登場するフォルカス皇帝の宣言、そしてそれに続く大合唱の威力も、ただただもう圧倒的と言うしかない。この10分弱のプロローグを聴いただけでも、まるで独立したオペラ作品を丸ごと一つ聴き終えたような気分になってしまうほどである。)

〔 第1幕 〕

宮殿のテラス。エスクラルモンドは、以前一目見て好きになってしまったある男性のことを想っている。「父のあの命令は、私を孤独に追いやる」と、彼女はパルセイスにつらい胸中を打ちあける。エスクラルモンドの恋する男性がロラン(T)という名のフランス人騎士だと知ったパルセイスは、「魔法を使えば、その方を呼び寄せることができましょう」と進言する。そこへ、パルセイスの婚約者である騎士エネアス(T)がやってくるが、彼はロランのことを知っていた。「ロランは、戦闘で私を圧倒した唯一の男です。彼は間もなく、フランス王クレオメールの娘と結婚するようですね」。

この話を聞いて、エスクラルモンドの心は乱れる。エネアスがその場を去った後、彼女は魔法を使い、空気と水と火の精霊たちを呼び出す。「私がロランと会えるように、魔法の島へ彼を導きなさい」。エスクラルモンドはパルセイスに別れを告げ、二頭のグリフォンが引っ張るチャリオットに乗って出発する。

(※この第1幕でも、やはりワグナー風のサウンドが全開。波打つような弦、ブバアァーッ!と吹き鳴らされる分厚い金管。そして、最後にエスクラルモンドがチャリオットで出発するシーンでは、何やらワルキューレみたいな掛け声が出たりもする。w )

〔 第2幕第1場 〕

魔法の島。精霊たちがロランの周りで踊りながら、彼を花々の咲き乱れる土手へと導く。そこで眠りに落ちるロラン。やがてエスクラルモンドが現れ、彼をキスで目覚めさせる。彼女はロランに、魔法を使って彼をここまで呼び寄せたこと、そしてずっと彼を思い慕っていたことを打ちあける。「私の愛に応えてくれたら、あらゆる幸福と栄光をあなたに約束するわ。でも、私の顔を覆うこのヴェールは取れません。私の正体を知ろうとはしないで下さいね」。ロランはたちまちエスクラルモンドに魅了され、彼女の言葉に従うことを誓う。

(※この場面はまず、木管楽器のゆらめくパッセージが、いかにも魔法の園らしい雰囲気を醸し出す。細やかな弦の表情、そして女声合唱による精霊たちの歌声。まさに、音で描かれたおとぎの国である。続いて出て来るハープのソロも、大変印象的だ。ところで、この精霊たちの笑い声はどことなくラインの乙女たちを想起させるのだが、マスネはそのあたりを意識していたのだろうか?また、この場を締めくくるエスクラルモンドとロランの二重唱は、音楽がうねりながら盛り上がって、これまたワグナー風。)

〔 第2幕第2場 〕

島にある魔法の宮殿の一室。この出会いのことはずっと秘密にすると、ロランは顔も分からぬ不思議な女性に改めて誓う。「さあ、フランスにお戻りなさい。野蛮な指導者サルウェグルに率いられたサラセン軍が、フランス王の都ブロワを包囲してしまったわ」とエスクラルモンドはロランに告げ、「あなたがいつどこにいても、私は必ず毎晩会いに行きます」と彼に約束する。そして、「私との誓いを破らない限り、あなたはこの剣とともに無敵です」とサン・ジョルジュの聖剣をロランに渡し、エスクラルモンドは出発する彼を見送る。

(※ここは何と言っても、エンディングの音楽が凄い。恐ろしいほどの金管の咆哮、さらに、ご本家のワグナーもそこまではやってなかったでしょ、と言いたくなるような “ぶっ叩き”ティンパニー。いやはやもう、唖然とするばかり。)

〔 第3幕第1場 〕

戦闘で荒廃したブロワの町の広場。絶望した人々が、クレオメール王(B)に助けを求める。しかし、王はそれに応えてやれる力がなく、敵の頭領サルウェグルが送り出した使者の到着を待つばかり。残忍なサラセンの指導者は、貢物(みつぎもの)として百人の処女を差し出すよう、王に求めていた。

(※第3幕も、金管の咆哮で荒々しく開始される。続いてクレオメール王と民衆の嘆きの合唱が聴かれるが、ここでの音楽がまた凄い。まるで荒れ狂う嵐のようである。その轟きわたる大音響にひたすら圧倒されているうちに、「キリエ・エレイソン」と歌う子供たちの静かな祈りの声が聞こえてきて、聴き手はようやくほっとできるのだ。)

ブロワの司教(Bar)が登場して神への信仰を人々に説いているところへ、サラセンの使者が到着。クレオメール王は敵の要求に応える用意をしていたが、群集の中からロランが進み出て来る。勇敢な騎士は、敵将サルウェグルとの一騎打ちを要求し、それを実現。

その後、司教とともに人々が祈っている間、舞台裏でロランとサルウェグルの決闘が行なわれる。やがて、戦いに勝ったロランが帰還。勝利を喜ぶ人々。王は騎士への褒美として、自分の娘との結婚を認める。しかし、あろうことか、ロランはその話を断り、人々を困惑させる。しかも彼は、その理由さえ言おうとしない。王は寛大な心でそんな騎士の態度を許すことにするが、司教の方はおさまらず、「この不遜な若者がどんな秘密を抱えているのか、必ず突き止めてやる」と決意する。

―この第3幕で初めて登場するブロワの司教というのは、かなり重要な役どころだ。ロランとエスクラルモンドの秘密の逢瀬は、他でもない、この司教によって破られるからである。間近に迫った二人の破局と、その後の意外な展開については、次回・・。
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歌劇<マノン>

2008年02月06日 | 作品を語る
今回のトピックは、マスネの歌劇<マノン>。プッチーニ若書きのオペラと同様、このマスネ・オペラもまたアベ・プレヴォーが書いた『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』を原作にしているが、やはりと言うか、台本には少なからず変更が施されている。オペラの方のストーリー展開はおおよそ、以下の通りである。

―歌劇<マノン>のストーリー概要

〔 第1幕 〕

アミアンのとある宿屋の前。駅馬車でやって来た乗客の一人に、美しい娘マノン・レスコーがいる。彼女は日頃の不行状をとがめられ、修道院に入れられることになっていた。従兄のレスコー(Bar)が、彼女を迎える。その後、マノンがしばらく一人になったところへ、馬車に乗り遅れてしまったシュヴァリエ・デ・グリュー(T)が登場。出会った二人はたちまち惹かれ合い、一緒になってその場を去って行く。

〔 第2幕 〕

デ・グリューとマノンが暮らすパリのアパートの一室。デ・グリューがマノンとの結婚を認めてもらおうと、父親宛てに手紙を書いている。そこへ、二人の居場所をつきとめたレスコーと、連れあいの貴族ブレティニー(Bar)がやって来る。マノンへの愛を語るデ・グリューの熱烈さに、レスコーは引き下がる。その一方、ブレティニーはマノンに言い寄り、贅沢な暮らしへと彼女を誘う。マノンは悩む。その後、デ・グリューは突然アパートを訪れてきた屈強な男たちによって、父親の元に腕ずくで連れ戻されてしまう。

〔 第3幕・第1場 〕

放蕩者の老貴族ギヨー(T)やブレティニーらのもとで、マノンは享楽の日々を送っている。ある日、騎士デ・グリューの父親である伯爵(B)がそこに現われ、「私の息子はもはやシュヴァリエ(=騎士)ではなく、アベ(=聖職者、神父)になった」と語る。マノンの心に再びかつての愛が甦り、彼女はデ・グリューに会うため教会へ向かう。

〔 第3幕・第2場 〕

サン・スュルピスの教会。デ・グリューは最初、「昔のことはもう、忘れた」と、会いに来たマノンを拒否する。が、かつての恋人からの熱い訴えには抵抗しきれず、彼はまたマノンと一緒に暮らそうと決意する。

〔 第4幕 〕

パリの賭博場。マノンのためにデ・グリューは老貴族ギヨーを相手に賭け事をし、見事に勝ち続ける。お金を手にしたマノンは大喜びするが、そこへ警官隊が乗り込んで来る。

〔 第5幕 〕

父親のとりなしでデ・グリューは釈放されたが、一方のマノンは国外追放となる。デ・グリューとレスコーの二人はマノンを取り戻そうと、彼女を乗せた護送車が通ることになっている街道で待ち伏せをしている。その後、デ・グリューは護送車の役人をうまく買収し、マノンを救い出すことに成功。しかし、すでに病で憔悴しきっていた彼女は、デ・グリューとの思い出を振り返りながら、静かに息を引き取る。

―歌劇<マノン>の全曲録音から

マスネの代表作の一つということもあってか、このオペラにはLP時代から相当数の全曲盤が存在する。私が以前持っていたのは、ピエール・モントゥーの指揮でヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスが主演したEMIのモノラル盤だったが、それはもう10年以上も前に中古売却してしまった。もし今でも手元に残してあれば、今回もっと充実した記事が書けただろうにと、ちょっと残念な思いがしている。現在私が持っている全曲録音は、そういう訳で、2種類のみ。まず、先頃語ったマゼール盤<タイス>に出ていた二人、ビヴァリー・シルズとニコライ・ゲッダが主演したユリウス・ルーデルの指揮による1970年・EMI録音のCD。それともう一つは、今をときめくナタリー・デッセイとロランド・ヴィラゾン(ビリャソン?)の主演による2007年6月・バルセロナでのライヴ映像DVDである。

前者ルーデル盤では、かなりの名演奏を聴くことができる。ルーデルの指揮がまず、ダイナミックで絢爛。出演歌手達も、皆揃って素晴らしい。主役のマノンは華やかな技巧と非常な高音が要求される難役だが、ここでのシルズはほぼベスト・コンディションを示していると言ってよいと思う。デッセイの方が技術的にはより楽々と至難な高音をこなしているようにも思えるが、マノンらしいコケティッシュな歌の表情づけはむしろ、シルズの方が上を行っているように感じられる。デ・グリューを歌うゲッダも、大変優秀。第3幕第2場で歌うアリアなど、驚くほどにパワフルで情熱的。

(※ただし、有名な第2幕の『デ・グリューの夢の歌』については、モントゥー盤で歌っていたアンリ・ルゲーの方がさらに好ましかったような気がする。マスネならではの、「皮膚感覚に心地よい、羽二重のような柔らかさ」が最高度に発揮されたこの曲の魅力を十全に歌いだせるのは、いわゆる“優男(やさおとこ)”をイメージさせるリリコ・レッジェーロの声を持った歌手であるように思えるからだ。そのあたりを勘案すると、マスネ・オペラに於けるデ・グリューは、プッチーニ作品での同役と違って、ちょっと一筋縄でいかない難しさがあるようだ。)

マノンの従兄に設定されているレスコーも大事な役どころだが、ルーデル盤で同役を演じているのは、ジェラール・スゼー。これは貴重である。生前のスゼーはどちらかと言えばリサイタル歌手としての活躍が中心で、オペラ全曲の録音というのは少なかった。だから、このような記録があるというだけでも十分に有り難い。そしてまた、ここでの性格的な歌唱には、それを単なる資料的価値にはとどまらせない中身がある。とりわけ、第3幕第1場で歌うアリアが見事。デ・グリューの父親である伯爵を演じているのは、ガブリエル・バキエ。聴かせどころと言えば、「わしらのファミリーにふさわしい、良い娘さんと結婚してくれ」と優しい調子で息子のデ・グリューに語りかける第3幕第2場のアリアだが、さすがにバキエ氏は貫禄の名唱を聴かせてくれる。

さて、ナタリー・デッセイとロランド・ヴィラゾン(ビリャソン?)の共演によるバルセロナ・ライヴの映像盤だが、実を言うと、私がこれをちゃんと全曲通して視聴したのは、たった1回だけである。繰り返し観てみたい、という気持ちになれないからだ。理由はいくつかあるのだが、そのうち出演者に対して感じた不満については、ここでは省略しようと思う。それよりも、今回はプレヴォーの原作が持っている文学作品としての重要側面に触れる話をちょっとしてみたい。

マノン・レスコーという典型的なファム・ファタール(=自分に関わった男を破滅に導く宿命を持つ女)の魅力というのは勿論、その複雑にして蠱惑(こわく)的な性格に由来する部分もある。が、その一方、彼女の容姿に関する記述が作者によって殆どなされていない点、別言すれば、「読み手の一人ひとりに、その美貌に関する具体的なイメージが委ねられている」という点も、看過できない重要ファクターであるということだ。私がプレヴォーの原作を日本語版で読んだのは高校時代のことだが、当時新鮮に感じたのは、マノンの妖しげな魅力以上に、「どんな美人かは、あなたが好きなように想像してね」と読者に下駄を預けるような作家のやり口であった。

だから、『マノン・レスコー』が持つ重要な美質の一つは、オペラに限らず演劇や映画、あるいはアニメ等、どんな表現手段を使ったとしても、そこに視覚映像が伴う限り、たいていの場合損なわれてしまうものなのである。実際にマノンを演じる女優、あるいは歌手の顔や声が、そのままマノンのイメージとして限定的に決められてしまうからだ。私がシルズ主演のCDを楽しみ、デッセイ主演のDVDを楽しめない理由の一つは、どうやらそこにある。音声だけのCDなら、マノンを演じる歌手の声と歌唱だけが提示されるから、ビジュアル面は全く気にしないでいられる。しかし映像付きとなると、そうはいかない。このあたりで、鑑賞する側の許容力、あるいは感性の柔軟さみたいなものが試されることになるわけである。デッセイとヴィラゾン(ビリャソン?)の舞台を鑑賞しながら、あれやこれやと不満を感じる私は、おそらく度量の狭い男なのだろう。w 

(※そう言えば、故ジュゼッペ・シノーポリが昔コヴェント・ガーデンでやったプッチーニの<マノン・レスコー>全曲ライヴの映像を観たときも、私はマノン役の歌手に随分がっかりさせられたのだった。ドミンゴのデ・グリューも、トマス・アレンのレスコーも、それぞれに私を納得させてくれた。が、マノン役のキリ・テ・カナワにはひどくげんなりさせられてしまったのである。彼女の風貌は私が思い描くマノン像を思いっきりぶち壊している上に、その声も歌唱も、まるでほめられるようなシロモノではなかったのだ。)

しかし、考えてみたら、キャラクター・イメージを巡るこの種の問題というのは、何もマノン・レスコーに限らず、他の様々なジャンルの登場人物についても当てはまってくる話かも知れない。卑近にして古めかしい例になるけれども、日本のアニメで言えば、例えば『ドラえもん』や『うる星やつら』がそうだった。これらがTVアニメ化されると聞いた時は私もちょっと興味を持ったのだが、果たせるかな、どちらの主人公の声も、私がそれまでに原作を読みながら抱いていたイメージを著しく損ねるものだった。で、結局それらをTVで見ることは、全くと言っていいぐらい無かったのである。あ、そう言えば、『ルパン三世』の第1シリーズ(昭和46年)で峰不二子の声をやっていた二階堂有希子さんって、まだご存命なのだろうか?もうこの方こそ、本物の峰不二子でした。イメージ、どんピシャでした。担当者が替わった第2シリーズから先は、もうダメダメ。

―と、話がなんだか変な方に向いてきたので、今回はこの辺で・・。
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歌劇<ナヴァラの娘>

2008年01月27日 | 作品を語る
前回語った歌劇<タイス>からの連想で、今回のトピックは同じマスネの歌劇<ナヴァラの娘>(1894年)。参照演奏は、ヘンリー・ルイス指揮ロンドン交響楽団、他による1975年のRCA録音である。

―歌劇<ナヴァラの娘>のあらすじ

〔 第1幕 〕

1870年代のはじめ、内戦下のスペイン。政府軍を指揮するガリード将軍(Bar)が、不利な戦況を嘆いている。やがて、軍隊が激しい戦闘から帰還。アニータ(SまたはMs)は、その行進の中から恋人アラクィル(T)の姿をやっとの思いで見つけ出す。2年前の出会いから永遠の愛を誓い合っている二人だが、アラクィルの父親(B)はナヴァラ出身という“よそ者”のアニータが気に入らず、「わしの息子と結婚したいなら、2000ドゥロスの持参金を用意しろ」と過酷な要求を突きつける。そのような金を、孤児のアニータに用意出来るはずもない。

(※全曲の演奏時間が約48分というこの短いオペラは、当時イタリアでもてはやされていたヴェリズモ・オペラの流儀を使って書かれたものだ。そのことは、冒頭の前奏曲からすぐに分かる。いかにも一大悲劇の開始を告げるような、重厚にして悲壮感漂う音楽が流れるのだ。聴きながら、「おおっ、いきなり最初から来るか」と思わずニンマリ。)

(※第1幕前半部で音楽的に面白いのは、出会った時のことを回想するアニータとアラクィルの二重唱で、その背後に流れるオーケストラ伴奏。これはスペイン情緒が巧みに醸し出された、実に味わいのある音楽になっている。マスネ先生は、こういうのが本当に上手である。この二重唱の後、アラクィルの父親が加わってのやり取りとなるのだが、その三重唱では再びイタリア・ヴェリズモ風の“どべぐしょーっ!”サウンドが炸裂する。w )

親友の戦死を知って打ちひしがれたガリード将軍は、「敵軍の指導者ツッカラーガを倒した者には、金と名誉をいくらでも与えよう」と口にする。何とかして結婚の持参金を作りたいアニータは、その役目を引き受けようと名乗り出る。そして、この契約を秘密にすることを、将軍に約束させる。アニータが出発した後、彼女を探すアラクィルは同僚のラモン(T)から思いがけない話を聞かされて、驚く。「アニータは、ツッカラーガに会いに行ったそうだ」。不安と疑いの念に苛(さいな)まれるアラクィル。「彼女は、敵のスパイだったのか?それとも、まさか・・」。

(※上記のような展開の後、兵士たちが酒を飲みながら陽気に騒ぐ場面となる。これは、一種のディヴェルティスマン・シーンと言ってよいものだろう。男声合唱を中心にした景気の良い音楽が、オペラの舞台に華を添える。弦のピチカートが刻むリズム、そして手拍子を間に挟んだ意気の良いコーラスが、いかにもスペインらしい雰囲気を作り出し、聴く者を楽しませる。ちなみに、今回参照しているルイス盤では、この場面だけで活躍する下士官ブスタメンテの役を、ガブリエル・バキエが演じている。なかなか贅沢なキャスティングだ。)

〔 第2幕 〕

女と思って気を許したツッカラーガを、見事に刺し殺したアニータ。帰還してその報告をする彼女にガリードは賞金を与え、「約束どおり、このことは俺が死ぬまで秘密にしておいてやるよ」と、アニータに改めて誓う。「これで、私にも幸せが・・」と喜ぶアニータだったが、そこへ瀕死の重傷を負ったアラクィルが運び込まれてくる。彼はアニータがツッカラーガの情婦になったものと思い込み、彼女を連れ戻そうと敵地に乗り込んでいたのだった。そこで撃たれたのである。

アニータが大金を持っているのを見るや、アラクィルはますます疑念を深め、彼女をののしる。「お前は、ツッカラーガに身を売ったんだな」。そうじゃないわ、と必死に否定するアニータだが、アラクィルの疑念は晴れない。やがて、遠くから弔いの鐘が聞こえてくる。ラモンがやってきて、「ツッカラーガが、暗殺されたぞ」と皆に伝える。その時、アラクィルはアニータの手が血で赤く染まっていることに気づき、事の真相を悟る。「そうか、その金は・・・。なんと恐ろしいことを」とうめきながら、アラクィルは息絶える。アニータは愛する人の亡骸にすがり、「アラクィル、お金は用意したわ。教会へ急ぎましょう。幸せはすぐそこよ」と言って、すすり泣く。しかし、その様子を見ていたガリード将軍は、彼女の精神状態がもはや普通ではなくなっていることに気付く。不幸なナヴァラ娘がやがてゲラゲラと狂い笑いを始めるところで、全曲の終了。

(※前回語った<タイス>から、今回の<ナヴァラの娘>が連想された理由は、まさにこのラスト・シーンにある。タイスは第2幕第1場のエンディングで、まるで狂ったように笑い出した。一方、ナヴァラの娘は、ドラマの最後に本当に狂って笑い出すのである。)

(※今回参照しているルイス盤では、主人公のアニータをメゾ・ソプラノのマリリン・ホーンが歌っている。彼女は肉太でアクの強い声の持ち主だが、逆にそうであるからこそ、この不幸な娘の役にはドンピシャの歌手であると言ってよいように思う。オペラの全編にわたって役になりきった熱演が聴かれるが、特にラスト・シーンでの笑い声、これはもう真に迫って怖いほどである。恋人アラクィルの役は、若き日のプラシド・ドミンゴ。ここでも見事な出来栄えを見せる。この人のフランス物は、その声質から暑苦しい印象を与えることが少なくないのだが、ヴェリズモ・タッチで書かれたこのようなオペラには非常によく似合う。ガリード将軍は、シェリル・ミルンズ。いつものことながら、まあまあの出来。)

(※指揮者のヘンリー・ルイスも、非常に良い仕事をしていると思う。ロンドン響という、日頃オペラとはあまり縁のないイギリスのコンサート・オーケストラから、こってりした濃厚なヴェリズモ・サウンドを引き出すことに成功している。先頃ちょっと本で調べてみて分かったのだが、この人はアメリカの黒人指揮者だそうだ。元々はロサンゼルス・フィルのコントラバス奏者としてキャリアをスタートし、1955年に兵役に就く。そこでシュトゥットガルトの第七陸軍楽団の音楽監督を務め、名指揮者ベイヌムに認められて、教えを受けた。除隊後ロサンゼルスに復帰し、急病となったマルケヴィッチの代役で指揮をして成功を収める。そこからボストン響、ニューヨーク・フィル、さらにはメトロポリタン歌劇場などへと活躍の場を広げていったらしい。ただ、録音には恵まれず、LP時代から一般に流布していたのは、今回採りあげた<ナヴァラの娘>全曲ぐらいしかなかったようである。デッカにR・シュトラウスの<ツァラトゥストラ>などの録音もしていたそうなのだが、すぐにカタログから消えたようだ。ちなみに、この<ナヴァラの娘>で主演しているマリリン・ホーンは、彼の奥様であるとのこと。)

―という訳で、次回もマスネのオペラ。前回語ったマゼール盤<タイス>に出ていたビヴァリー・シルズとニコライ・ゲッダの共演による別の全曲CDを中心材料にして、マスネの代表作の一つを採りあげてみることにしたい。
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