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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

歌劇<マノン>

2008年02月06日 | 作品を語る
今回のトピックは、マスネの歌劇<マノン>。プッチーニ若書きのオペラと同様、このマスネ・オペラもまたアベ・プレヴォーが書いた『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』を原作にしているが、やはりと言うか、台本には少なからず変更が施されている。オペラの方のストーリー展開はおおよそ、以下の通りである。

―歌劇<マノン>のストーリー概要

〔 第1幕 〕

アミアンのとある宿屋の前。駅馬車でやって来た乗客の一人に、美しい娘マノン・レスコーがいる。彼女は日頃の不行状をとがめられ、修道院に入れられることになっていた。従兄のレスコー(Bar)が、彼女を迎える。その後、マノンがしばらく一人になったところへ、馬車に乗り遅れてしまったシュヴァリエ・デ・グリュー(T)が登場。出会った二人はたちまち惹かれ合い、一緒になってその場を去って行く。

〔 第2幕 〕

デ・グリューとマノンが暮らすパリのアパートの一室。デ・グリューがマノンとの結婚を認めてもらおうと、父親宛てに手紙を書いている。そこへ、二人の居場所をつきとめたレスコーと、連れあいの貴族ブレティニー(Bar)がやって来る。マノンへの愛を語るデ・グリューの熱烈さに、レスコーは引き下がる。その一方、ブレティニーはマノンに言い寄り、贅沢な暮らしへと彼女を誘う。マノンは悩む。その後、デ・グリューは突然アパートを訪れてきた屈強な男たちによって、父親の元に腕ずくで連れ戻されてしまう。

〔 第3幕・第1場 〕

放蕩者の老貴族ギヨー(T)やブレティニーらのもとで、マノンは享楽の日々を送っている。ある日、騎士デ・グリューの父親である伯爵(B)がそこに現われ、「私の息子はもはやシュヴァリエ(=騎士)ではなく、アベ(=聖職者、神父)になった」と語る。マノンの心に再びかつての愛が甦り、彼女はデ・グリューに会うため教会へ向かう。

〔 第3幕・第2場 〕

サン・スュルピスの教会。デ・グリューは最初、「昔のことはもう、忘れた」と、会いに来たマノンを拒否する。が、かつての恋人からの熱い訴えには抵抗しきれず、彼はまたマノンと一緒に暮らそうと決意する。

〔 第4幕 〕

パリの賭博場。マノンのためにデ・グリューは老貴族ギヨーを相手に賭け事をし、見事に勝ち続ける。お金を手にしたマノンは大喜びするが、そこへ警官隊が乗り込んで来る。

〔 第5幕 〕

父親のとりなしでデ・グリューは釈放されたが、一方のマノンは国外追放となる。デ・グリューとレスコーの二人はマノンを取り戻そうと、彼女を乗せた護送車が通ることになっている街道で待ち伏せをしている。その後、デ・グリューは護送車の役人をうまく買収し、マノンを救い出すことに成功。しかし、すでに病で憔悴しきっていた彼女は、デ・グリューとの思い出を振り返りながら、静かに息を引き取る。

―歌劇<マノン>の全曲録音から

マスネの代表作の一つということもあってか、このオペラにはLP時代から相当数の全曲盤が存在する。私が以前持っていたのは、ピエール・モントゥーの指揮でヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスが主演したEMIのモノラル盤だったが、それはもう10年以上も前に中古売却してしまった。もし今でも手元に残してあれば、今回もっと充実した記事が書けただろうにと、ちょっと残念な思いがしている。現在私が持っている全曲録音は、そういう訳で、2種類のみ。まず、先頃語ったマゼール盤<タイス>に出ていた二人、ビヴァリー・シルズとニコライ・ゲッダが主演したユリウス・ルーデルの指揮による1970年・EMI録音のCD。それともう一つは、今をときめくナタリー・デッセイとロランド・ヴィラゾン(ビリャソン?)の主演による2007年6月・バルセロナでのライヴ映像DVDである。

前者ルーデル盤では、かなりの名演奏を聴くことができる。ルーデルの指揮がまず、ダイナミックで絢爛。出演歌手達も、皆揃って素晴らしい。主役のマノンは華やかな技巧と非常な高音が要求される難役だが、ここでのシルズはほぼベスト・コンディションを示していると言ってよいと思う。デッセイの方が技術的にはより楽々と至難な高音をこなしているようにも思えるが、マノンらしいコケティッシュな歌の表情づけはむしろ、シルズの方が上を行っているように感じられる。デ・グリューを歌うゲッダも、大変優秀。第3幕第2場で歌うアリアなど、驚くほどにパワフルで情熱的。

(※ただし、有名な第2幕の『デ・グリューの夢の歌』については、モントゥー盤で歌っていたアンリ・ルゲーの方がさらに好ましかったような気がする。マスネならではの、「皮膚感覚に心地よい、羽二重のような柔らかさ」が最高度に発揮されたこの曲の魅力を十全に歌いだせるのは、いわゆる“優男(やさおとこ)”をイメージさせるリリコ・レッジェーロの声を持った歌手であるように思えるからだ。そのあたりを勘案すると、マスネ・オペラに於けるデ・グリューは、プッチーニ作品での同役と違って、ちょっと一筋縄でいかない難しさがあるようだ。)

マノンの従兄に設定されているレスコーも大事な役どころだが、ルーデル盤で同役を演じているのは、ジェラール・スゼー。これは貴重である。生前のスゼーはどちらかと言えばリサイタル歌手としての活躍が中心で、オペラ全曲の録音というのは少なかった。だから、このような記録があるというだけでも十分に有り難い。そしてまた、ここでの性格的な歌唱には、それを単なる資料的価値にはとどまらせない中身がある。とりわけ、第3幕第1場で歌うアリアが見事。デ・グリューの父親である伯爵を演じているのは、ガブリエル・バキエ。聴かせどころと言えば、「わしらのファミリーにふさわしい、良い娘さんと結婚してくれ」と優しい調子で息子のデ・グリューに語りかける第3幕第2場のアリアだが、さすがにバキエ氏は貫禄の名唱を聴かせてくれる。

さて、ナタリー・デッセイとロランド・ヴィラゾン(ビリャソン?)の共演によるバルセロナ・ライヴの映像盤だが、実を言うと、私がこれをちゃんと全曲通して視聴したのは、たった1回だけである。繰り返し観てみたい、という気持ちになれないからだ。理由はいくつかあるのだが、そのうち出演者に対して感じた不満については、ここでは省略しようと思う。それよりも、今回はプレヴォーの原作が持っている文学作品としての重要側面に触れる話をちょっとしてみたい。

マノン・レスコーという典型的なファム・ファタール(=自分に関わった男を破滅に導く宿命を持つ女)の魅力というのは勿論、その複雑にして蠱惑(こわく)的な性格に由来する部分もある。が、その一方、彼女の容姿に関する記述が作者によって殆どなされていない点、別言すれば、「読み手の一人ひとりに、その美貌に関する具体的なイメージが委ねられている」という点も、看過できない重要ファクターであるということだ。私がプレヴォーの原作を日本語版で読んだのは高校時代のことだが、当時新鮮に感じたのは、マノンの妖しげな魅力以上に、「どんな美人かは、あなたが好きなように想像してね」と読者に下駄を預けるような作家のやり口であった。

だから、『マノン・レスコー』が持つ重要な美質の一つは、オペラに限らず演劇や映画、あるいはアニメ等、どんな表現手段を使ったとしても、そこに視覚映像が伴う限り、たいていの場合損なわれてしまうものなのである。実際にマノンを演じる女優、あるいは歌手の顔や声が、そのままマノンのイメージとして限定的に決められてしまうからだ。私がシルズ主演のCDを楽しみ、デッセイ主演のDVDを楽しめない理由の一つは、どうやらそこにある。音声だけのCDなら、マノンを演じる歌手の声と歌唱だけが提示されるから、ビジュアル面は全く気にしないでいられる。しかし映像付きとなると、そうはいかない。このあたりで、鑑賞する側の許容力、あるいは感性の柔軟さみたいなものが試されることになるわけである。デッセイとヴィラゾン(ビリャソン?)の舞台を鑑賞しながら、あれやこれやと不満を感じる私は、おそらく度量の狭い男なのだろう。w 

(※そう言えば、故ジュゼッペ・シノーポリが昔コヴェント・ガーデンでやったプッチーニの<マノン・レスコー>全曲ライヴの映像を観たときも、私はマノン役の歌手に随分がっかりさせられたのだった。ドミンゴのデ・グリューも、トマス・アレンのレスコーも、それぞれに私を納得させてくれた。が、マノン役のキリ・テ・カナワにはひどくげんなりさせられてしまったのである。彼女の風貌は私が思い描くマノン像を思いっきりぶち壊している上に、その声も歌唱も、まるでほめられるようなシロモノではなかったのだ。)

しかし、考えてみたら、キャラクター・イメージを巡るこの種の問題というのは、何もマノン・レスコーに限らず、他の様々なジャンルの登場人物についても当てはまってくる話かも知れない。卑近にして古めかしい例になるけれども、日本のアニメで言えば、例えば『ドラえもん』や『うる星やつら』がそうだった。これらがTVアニメ化されると聞いた時は私もちょっと興味を持ったのだが、果たせるかな、どちらの主人公の声も、私がそれまでに原作を読みながら抱いていたイメージを著しく損ねるものだった。で、結局それらをTVで見ることは、全くと言っていいぐらい無かったのである。あ、そう言えば、『ルパン三世』の第1シリーズ(昭和46年)で峰不二子の声をやっていた二階堂有希子さんって、まだご存命なのだろうか?もうこの方こそ、本物の峰不二子でした。イメージ、どんピシャでした。担当者が替わった第2シリーズから先は、もうダメダメ。

―と、話がなんだか変な方に向いてきたので、今回はこの辺で・・。

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