孤狼の血/白石和彌監督
原作小説があるらしい。今時珍しくなった任侠ヤクザそのもの映画。演出的にはかなり現代風に乾いているので、浪花節に陥らないのがいいのだが、その分血なまぐささは際立ってしまって、観ていてけっこう気持ち悪かった。昭和60年代の広島のやくざの組の抗争を、これまたほとんどヤクザと同じ警察内部の捜査と絡めて描いた作品。
拮抗するヤクザの組同士のつばぜり合いのある地域のようだが、一方の組長が刑務所に入っている間、暗黙の休止状態になっていた。ところがそういう中で闇金業者が殺害される。妙なパワーバランスが崩れかけているらしい。捜査に当たるベテラン刑事は、自らもほとんどヤクザと同化している。組の内情に通じているばかりか、片方の組に対しての肩入れさえしている様子だ。暴行はもちろんユスリやタカリも常態化して行っている。この刑事にコンビとしてつかされているエリート新人刑事は、激しい疑問を抱きながらも、翻弄されながらヤクザ社会になじんでいくのだった。
広島が恐ろしい街(プラス北九州)だというのは、子供のころには定番だった。この映画のようなことが行われていたのかどうかまでは知らなかったが、こんな街にはカタギは住めそうにない。ある意味ではこういう時代を経たからこそ、現代のような法整備が進んで、平和な日常を暮らしていけるのかもしれない。劇中のセリフで、ヤクザが普通の会社などに紛れてしまう方が恐怖のようなことを示唆していたりしたが、とんだ間違いだったと思う。今はもうヤクザ的な人はいないわけではなかろうが、やっぱり食っていけないのでやらないだけのことだと思う。経済論理で生き永らえられる社会だからこそヤクザが存在出来た訳で、今のように厳しい世の中になると、ヤクザのように遊んで暮らしているような人々は生きていけない。要するに、古き良き時代の恐ろしい社会の物語なのである。まあ、いまだにヤクザが生きているような社会も外国にあるらしいが、日本を見習うように!
ということなんだが、映画的には汚かったり怖ろしかったり気持ち悪さ満載のいい映画である。日本のいろんな俳優さんの演技合戦も楽しい趣向であったりする。普段はいい人そうな人たちが恐ろしい顔をしたりして、それなりに様になるので面白いのだろう。