カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

そんなに工夫があるわけじゃないが…

2011-04-15 | 音楽
Rihanna - Love The Way You Lie (Part 2) Ft. Eminem


 なんか違うな、とは思ってたんだけど、二番目の男の子が出てくるまで本当には気づかなかった。最近はこんな風にして多様化するのかもしれないですね。これはこれで楽しいです。
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神の手を失いかねない

2011-04-14 | 時事
手術ミス、「神の手」医師に一億円賠償求め提訴

 亡くなられた側のことを考えると大変にお気の毒だとは思うものの、医療ミスでのこのような訴訟は法律というのものの根本的な欠陥のような気がしてならない。何故なら、人の命を助けようという医療行為において、あえてリスクをおかしてまで取り組もうとする意志を阻害してしまうからだ。そのままでは命にかかわることであっても、あえて手を下さない医師の方が正しい社会というのは、根本的に歪んでしまっている。
 もちろん医療ミスにもさまざまなものがあろうから、確実にやらなくてよいものを余分に行ってしまったなどを法の場で明らかにしていこうという考えも分からないではない。確かにそのあたりの線引きは大変に難しい判断なのかもしれない。
 しかしながらたとえそうであったとしても、医療ミスに対する過剰な法の介入による損失の方が、はるかに大きくなることは間違いあるまい。この裁判次第では、今後救われる可能性のある命が確実に減っていくことになるだろう。
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地図は塗り替わるか(後半戦)

2011-04-13 | 時事
鞍替えか、辛坊氏擁立か

 どこかの番組の延長みたいになってきた。
 国がだめなら地方から(といっても大都市だけど)、という流れは今の唯一の面白い期待なのかもしれない。そして結局は勝たなければ力は育たない。そういうところに脆さも強さもあるわけだが…。
 それにしても橋下さん、今までの政治家よりずっと政治力に長けているわけで、三宅さんは喜んでいるんでしょうね。それはひょっとすると今までの政治家には政治ができない世の中になっているということも考えられるわけで、さて、そういう人たちが本気になって参戦してくると、色々と地図が塗り変わっていくんじゃないでしょうか。
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奨励花見酒

2011-04-12 | culture

 僕は酒飲みのくせに昼酒を飲むのがそんなに好きではない。先日も法事で昼から飲んだのだけど、夕方から夜にかけて記憶がないし具合は悪いし閉口した。ま、飲んでいるときはそれなりにハッピーになれるが、その後の睡眠が中途半端になるというか、酔いざめが気持ち悪いというか。だいたい後ろめたい人生を歩んでいるので、暗くならないと落ち着かないのかもしれない。
 酔いざめといえば、渓流釣りの名人とやらが、沢で釣りをしながらちびちびやるのが最高だということを読んだことがある。そうして釣りの方が忙しくなると段々の酔いがさめていって、それが心地よいのだということだった。僕にはその境地がいま一つ分からないのだが、雰囲気としてはそんなもんですかね、とは考えたりする。
 もうだいぶ散ってはしまったけれど、花見の季節だといっていいだろう。仕事があるから夜桜ということが多いのだけれど(寒いのは困るので移動したくなるけど)、花見というのは昼に堂々と飲んでいいという愉快な風習で、これはなかなか雰囲気としては良いものである。僕はサクラがものすごく嫌いというのではないが、ソメイヨシノは嫌いで、花なんか観なくても別段どうでもいいのだが、昼にゴザやらブルーシートを広げてワイワイ飲んでいるのは絵としては気分がいいことは確かである。僕の子供のころはまだまだガラや行儀の悪い大人が多くて、花見といえば(または運動会とかが昼酒の名物でした)何処かで喧嘩が始まって大変な喧騒だったのだけど、僕が大人になる頃から日本人も段々と大人しくなってきて、若者は一気飲みだの騒々しい割にはゲロを吐いたら解散する程度のことはあるにせよ、めったに喧嘩を見なくなってしまった。別段それで大変によろしいのだが、たまに「コノヤロウ」とか威勢のいいのが居るな、と見てみると、たいてい爺さんであって、そういう意味ではさみしいと言えなくはない。
 花見の季節でいいな、と思うのは、女の人が酒を飲んでいるということは言えるかもしれない。飲み屋さんで酒を飲むのは普通のことだからあんまり意識しないが、昼間っから女の人が酒を飲むというのはまだまだはばかられるところがあるのか、花見の時くらいしか見ることがない。ある時公園の桜の木の下でボーっと遠くを見ていたら、30くらい(僕は女の人の年齢はよく分からないのだけど、とりあえずそれくらいのような気がした)の女の人がギコギコ自転車こいでやってきて、適当な石の上にバスケットを乗っけて、ワンカップの日本酒らしいものをチビチビ飲みながらパンだかチーズだかをつまんで飲んで、そうしてまた自転車こいで帰って行ったのを目撃したことがある。まさに「おぬし、できるのう」という気分になって愉快だった。ああいう昼酒の飲み方なら、もっと奨励されてもよさそうなものだ(ま、自転車は飲酒運転だ、とやかましい世の中だろうけど)。
 実を言うとサクラといえば僕は断然葉桜派なのである。緑の眩しい葉桜の下でなら酒を飲むのはさぞ楽しかろうと思うのだが、そう思わない人が多いらしくて誘っても誰も応じてはくれない。繰り返すが昼酒は苦手なので、夜になって居酒屋でいい季節になりましたね、と言いながら飲んでいる方がいいのだから、それはそれでかまいはしないのだけれど…。自粛なんて野暮なことを言う人は何処かに閉じ込めておいて、花見と言いながら集まって、温かい部屋の中で酒を飲みたいものだと思う。何よりその方がめぐりめぐって日本の為になるらしい。堂々と飲めるというのは本当にしあわせで愉快なことである。
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自らを助く

2011-04-12 | 時事
TPPは日本を排除せず

 こういうのを読むと、日本ってすごいんだなあ、と改めて思う。結局日ごろの凄さが自ら自分を助けるわけだ。TPPは農業のことばっかりピックアップしててうんざりだったけど、日本の希望にもなっているということは知っておいた方がいいと思います。
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10年後であろうとも

2011-04-11 | 時事
放射線の影響、広島長崎からわかったこと

 日本は被爆体験のデータが悲しいことにそれなりにあるわけだ。そのうえでいっぺんに被爆した原爆ということと、微量ながら放射線を浴びつづける影響の違いなどのデータでの勘案が必要となってくるのだろう。また、当時の人も何か食べていたわけで、被爆した食料の比較などができるとさらに考える材料になると思われる。しかしながら被爆した結果の違いが出てくるだろう10年後に、国はどのような保証の判断をするのかというのは、2次的3次的な不安材料として残っている事は間違いない。長崎の被爆者の認定においても、いまだにもめている事はそのことの難しさを表している。多少の間違い(規定外)を含めた保障の拡充を考えた上で、対策を練る必要があるのではなかろうか。
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事件は現場で起きている

2011-04-10 | 雑記
白骨死体がこの下にあり、メモ

 なんとなくミステリアスな感じのするこのような事件を見て、なんだか日常を取り戻すような不思議な感覚がある。いろいろあるけど、変なこともその影で端然と行われているような…。うまくいえないが、世の中はそのようなものを内包したまま進行しているという感じだろうか。
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コケコッコー

2011-04-09 | 散歩
 散歩中つれあいに電話していたら、散歩道沿いのお宅の鶏が鳴いたらしい。「コケコッコー」とつれあいは言って笑った。不思議なことにそう言われて僕は、はじめて鶏が鳴いていることに気付いた。いや、気づいてないことは無いはずなのだが、気にしたことがなかったというか。かなりの音量なので相手先の電話でもしっかり聞こえるというのに。
 職場のご近所は日本を代表するような過疎の山間部である。おそらくこの地区の人口の半分以上は僕の職場関係者である。つまり人が住んでいない。ちょっと前にご近所で火事(ボヤ)があって、その時はじめてそれなりに人が住んでいることに気付いたくらいである。職場の前の道路は一時間に5台くらいしか交通量が無い。いや、それでも見栄を張っていると言われるかもしれない。
 そんなようなわけで、耳を澄ますと鳥たちのさえずりがやかましいくらい聞こえる。鳥に詳しくないから名前まではよく分からないけど、ピーピー、ピーチクやら、キーキーやらクエーっというようなものも今聞こえる。キジとか目白とかモズなんかなんじゃなかろうか。スズメもいるがむしろ少数派で、里の鳥より比較的野性的なんでなかろうかと思うのだが、まあ、よく分からない。木の幹をつつく音も聞こえるし、落ち葉をカサカサ歩く様な音もたくさん聞こえる。恐竜は絶滅してしまったらしいが、その子孫である鳥たちは大変に元気がいいのである。
 世は選挙中だが、この地区は無投票で県議候補が決まってしまった。その後町議選があるのだが、ここまで選挙カーが登ってくることはまれだ。また全候補者が回ってくることも無いようである。地方とはあんまり関係が無い話かもしれないが、今のような非常時になってみると、本当に政治家って何やってるんだろうなあと呆れることが多すぎるのだが、しかしそれは確かに国民のレベルなのであって、どの道そのような人たちしか選ばれないのであるから今があるんだな、と思うだけである。おそらくこの国はしばらくの間かなりの苦難の中で地道にやるより無くなったようなのだけど、それでも選挙は変わりがない。今だからこそ無責任で無い希望を語れるとか、もっと言うべきことを言いたいという状態の方が自然のように感じるが、世論の出方にアンテナを張ることはあっても主張の無い政治家に、何かを託す方が無理である。
 気が付けば山桜も赤茶けた葉の方が多くなっておおかた散っている。少し前まで黄緑色の可憐な小さい花をつけていたアオモジも見当たらなくなってしまった。銀杏も青い葉っぱがつき始めている。間もなく新緑の季節なのだ。
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オール電化の自滅か…

2011-04-08 | 時事
オール電化に対抗不要

 追い風を受けて宣伝不要でもガスの需要が増えるという見込みのため逆に人員が不要ということらしい。宣伝より実務の人員を拡充するのかもしれないが…。いろんな影響の出方があるもんですね。現実はシビアだ。
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散髪中に洗顔するらしい

2011-04-07 | 雑記
関西の理髪店では自分で洗顔するらしい

 こういうのを見ると、改めて日本って広いもんだなあ、と思う。僕はきょうだいや親せきが関西にいるにもかかわらず、このような風俗はまったく知らなかった。顔を洗えと言われたらさぞかしギョッとしたんじゃなかろうか。
 テレビのケンミンショーというのも同じような驚きだと思うが(東京という地方に偏重しすぎることと、食いものにばかり執着する編集方針は気に食わないが)、日本の文化というのは驚くほど多様な風習の違いがあるようだ。これでもかなり均質化してしまったものとは想像できるが、何気ない常識的な所作の中にも、今でも大きな違いが残っているものだろう。
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犬がたくさんいるらしい

2011-04-05 | 時事
 話題になっていて知っている人も多いだろうだろうけど、逃げてない人もいるようです。

http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1411.html

 なんで逃げないんだろうと長崎にいると思っちゃうんだけど、おそらく諸外国の人も日本人全体についてそう思っているのかもしれない。それに放射能というのはただちに死ぬレベルで無ければ動いて回れるので、逃げてなくても今のところなんとかなるということが、さらに逃げなくていいような感覚にもなるのかもしれない。
 人がある場所に住んでいるというのはこのような問題を含んでいると考えられる。たとえ悲惨な状況でも、その場所で暮らしていた以上、よその場所に移動する気になれない人もいて当然だろう。逃げたくても逃げられない場合もあるとは思うが、たとえば難民問題なんかもそのようにも感じる。ただちに身の危険がある場合だと命からがらとにかく逃げるということになるんだろうけど、一定の人は逃げずにとどまるという選択をしているはずだ。また、逃げた後どうするということも、よく考えてもよくわからない場合も多いだろう。生活の拠点にしている場所を離れて、一体自分は何ができるのだろう。また、自分が動ける体であるのに人のお世話になることが忍びないという人も多いのではないだろうか。ご好意自体はありがたいとは思っても、受けたくないというのもそれは人情的に理解できることだ。逃げていないことは奇矯行動に見えて、しかし、それなりに選択にはなってしまったのかもしれない。
 他にも逃げてない人がそれなりにいるようだし、犬たちがウロウロしているという状況でもあるらしい。逃げていないことは痛々しさを感じるものの、今後この人たちがどうなるのかというのは、それなりに追跡して将来明らかになっていくことが大切になっては来るだろう。今後も近況を配信し続けてほしいです。
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ザカリーに捧ぐ

2011-04-04 | 映画
『ザカリーに捧ぐ 』予告編


ザカリーに捧ぐ/カート・クエンネ監督

 酷い気分になる映画だとは聞かされていたが、かなり落ち込んでしまった。いったい何の救いがあるということか。また、これがドキュメンタリーであることが追い打ちをかけて人を落ち込ませる。いや、分かってはいたんだが、ひょっとすると最後はそうなってしまうんじゃないかと脅えてはいたんだが、実際に物語はそのように展開し、時間が元に戻らないことだけを恨むより仕方がない。逆恨みかもしれないが、米国より少しはまともかもしれないと勝手に思っていたカナダという国自体にも、激しい失望を覚えずにいられない。じゃあ一体何がまともなんだ? それくらいの価値観の転換まで味あわされてしまう。
 視点は監督である友人だから仕方が無いのだが、僕は同時に疑問には思っていた。何故そこまで孫に対して執着するんだろう。僕は法の現実を知らないのだけれど、日本など女性の犯罪者が刑務所内で出産するなどすると、おそらく一定期間は育児のために母親から子供を離すことは無いのではないか。これは日本的な母子関係を考慮したものだと思うが、カナダや米国なら違うということなのだろうか。殺す目的を果たしたんだから保釈されるという理屈はよく分からないのだが、刑務所の外で育児をするべきだという考え方があるのだとしたら、そのことが保釈されることの理由なのではないか。さらに生まれてきた孫を息子を殺した女から取り上げたいということが、ただでさえ不安定なこの女をさらに危険にした可能性は無いのか。
 しかしながら、やはり結果的にいい方向へは流れていかなかったことのみが事実だ。観ているだけで、ある意味地獄のような日々を想像できて、さらに奈落の底へと落されていく。人間関係をここまで破壊する殺人という罪について、当事者でなくとも考えていく必要はあるだろう。そして社会生活の中の人権というものは、安易に利用するととんでもないことにもなりかねないことを。
 おそらくこの事件とこのドキュメンタリーを契機として、後の保釈には影響があるのではなかろうかと考えられる。もしそうでなければカナダはかなり頑固な国かもしれない。しかしながら同時にそのような社会運動のためにドキュメンタリーが作られていくことは、少し危なっかしいものを含んでいる気がしないではない。正しい事だからどんどんやっていいというのは、きわめて西洋的な合理主義の匂いがするのであった。そのようなこと含めて、やはりどうにも後味が悪すぎる。そうではあるが、やはり観ておかなくてはならない映画として、残る作品ではあるだろう。
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リアル現場前線

2011-04-03 | 時事
東電社員の語る現場の様子

 まさに戦地である。大変な状況にありながらどこかシュールな感じも、津波という災害の現実なのかもしれない。車が建屋の壁に刺さり大きな魚やサメが転がっているなんて、ちょっと変である。
 自分自身も危険な状態にあることは十分承知しながら、やらなければならないという使命感だけで作業をしていたんだろう。
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ヒーローショー

2011-04-02 | 映画
ヒーローショー/井筒和幸監督

 武のアウトレイジを観た後に観たにもかかわらず、その衝撃度は衰えが無かった。こんなに恐ろしい暴力はそうそう描けないのではないか。もちろん映画としてもよく出来ており、激しく感情を揺さぶられる。演技も良く、それぞれ本気にしか見えない。登場人物達が悩むように、観る者も一緒になって深く悩みに陥ってしまう。これほどの映画はそう簡単にあらわれるものではない。楽しい映画では無いが、本当の映画の力を知りたいものには必見の映画として語り継がれることになることは間違いなかろう。ただし、人によっては日常の生活にも支障が出るかもしれない。もちろんいい映画とはそういうものなのだが…。
 まとまりに欠けるといえばその通りだし、確かに欠点めいたものも散見されはする。意味深ながら、実はそうでも無かったり。
 そうではあっても、この映画はある意味で本当に暴力が持っている行き場の無い取り返しのつかない現実を見事に描き出している。これまでの映画が大量に生産してきた、娯楽としての消費される暴力への強力なアンチテーゼである。もちろん、映画を観て楽しい気分になってもらうことは、娯楽の方向として実に真っ当なことであるから、それ自体を否定してしまっているわけではあるまい。しかし、暴力が持っている、その暴力にかかわる人を巻き込む現実とは、このような強烈な居心地の悪さそのものである。誰もそう簡単に殺人を犯す体験をするわけにはいかないのだけれど、この映画を観た人は、かなりその嫌な体験に近いものを味わうことになるのではないか。それこそが、映画の持っている力であると知ることは、おそらくまったくの無意味ではなかろう。
 もちろん、この嫌な感じからむしろこの映画を全否定してしまう人も出てくるだろうとは考えられるのだが、たとえそうであったとしても、無謀にも観てしまった人たちを巻き込んで強引に嫌な時間と体験を強要してしまうこの映画こそ、やはりいい映画であるという、不思議な感動を醸し出してしまうのではなかろうか。
 好きな映画とは言いにくくても、忘れ難い名作だと思うのは別段嘘ではない。お勧めであると笑顔で言えないまでも、是非観て欲しい映画である。
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アウトレイジ

2011-04-02 | 映画
アウトレイジ/北野武監督

 この映画はヤクザは頭がいいのか、という問題を抱えているような気がする。暴力をふるうのは駆け引きで、その駆け引きのための最大の材料だ。筋道をつけるというが、これはヤクザに限らず堅気でも変わらない。実はこの映画を観て感じたのは、堅気の社会とそんなに変わらないヤクザ社会ということなのではなかったか。
 とはいえ、その暴力のルールは金と密接に絡んでいる。暴力以外の解決は、おそらく金である。だから彼らは商売をしており、商才があるかないか、という問題も密接に絡んでいる。最終的には取り分交渉がヤクザ的であり、めちゃくちゃなら不正が働く。ただそれだけのことであろう。
 お話はそのようなスジ通りに運ばれる。極めて論理的で、ヤクザの仁義など知らなくても画面を追うだけで理解できる話ばかりだ。意外なのはその暴力の加減で、そこまでやると取り返しがつかないということを印象付けている。つまり落とし前がつかないのなら話は終わらない。暴力は連鎖するので、行くところまで行くより無い。つまりそれは人の死だ。国と国が戦争をするのもおそらく同じ道理で、ヤクザ社会はつまりはその縮図である。
 過激な暴力は気持ちが悪いし、罵声ばかりなのも多少うるさい。しかしながらその緊張感はなかなかのもので、暴力をふるう狂気の迫力はかなり強烈だ。ヤクザの持っている人間的な迫力も、その背後にある圧倒的な力があってのもので、個人がとてもあらがえるものではあるまい。つまり暴力に屈するより無いわけで、嫌なら戦うか逃げるより無い。そして逃げたとしても組織から逃げられるものでもないらしい。まあ、実社会なら本来は蛇の道に入らなければ関係ないのだけれど。
 もちろん映画は映画である。いまどきのヤクザはこのような暴力で生き延びているわけではないだろう。そういう意味でもヤクザはヤクザらしく生きにくい世の中のなっているのではなかろうか。ふと、そんなことも感じたのだった。
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