カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ヒーローショー

2011-04-02 | 映画
ヒーローショー/井筒和幸監督

 武のアウトレイジを観た後に観たにもかかわらず、その衝撃度は衰えが無かった。こんなに恐ろしい暴力はそうそう描けないのではないか。もちろん映画としてもよく出来ており、激しく感情を揺さぶられる。演技も良く、それぞれ本気にしか見えない。登場人物達が悩むように、観る者も一緒になって深く悩みに陥ってしまう。これほどの映画はそう簡単にあらわれるものではない。楽しい映画では無いが、本当の映画の力を知りたいものには必見の映画として語り継がれることになることは間違いなかろう。ただし、人によっては日常の生活にも支障が出るかもしれない。もちろんいい映画とはそういうものなのだが…。
 まとまりに欠けるといえばその通りだし、確かに欠点めいたものも散見されはする。意味深ながら、実はそうでも無かったり。
 そうではあっても、この映画はある意味で本当に暴力が持っている行き場の無い取り返しのつかない現実を見事に描き出している。これまでの映画が大量に生産してきた、娯楽としての消費される暴力への強力なアンチテーゼである。もちろん、映画を観て楽しい気分になってもらうことは、娯楽の方向として実に真っ当なことであるから、それ自体を否定してしまっているわけではあるまい。しかし、暴力が持っている、その暴力にかかわる人を巻き込む現実とは、このような強烈な居心地の悪さそのものである。誰もそう簡単に殺人を犯す体験をするわけにはいかないのだけれど、この映画を観た人は、かなりその嫌な体験に近いものを味わうことになるのではないか。それこそが、映画の持っている力であると知ることは、おそらくまったくの無意味ではなかろう。
 もちろん、この嫌な感じからむしろこの映画を全否定してしまう人も出てくるだろうとは考えられるのだが、たとえそうであったとしても、無謀にも観てしまった人たちを巻き込んで強引に嫌な時間と体験を強要してしまうこの映画こそ、やはりいい映画であるという、不思議な感動を醸し出してしまうのではなかろうか。
 好きな映画とは言いにくくても、忘れ難い名作だと思うのは別段嘘ではない。お勧めであると笑顔で言えないまでも、是非観て欲しい映画である。
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アウトレイジ

2011-04-02 | 映画
アウトレイジ/北野武監督

 この映画はヤクザは頭がいいのか、という問題を抱えているような気がする。暴力をふるうのは駆け引きで、その駆け引きのための最大の材料だ。筋道をつけるというが、これはヤクザに限らず堅気でも変わらない。実はこの映画を観て感じたのは、堅気の社会とそんなに変わらないヤクザ社会ということなのではなかったか。
 とはいえ、その暴力のルールは金と密接に絡んでいる。暴力以外の解決は、おそらく金である。だから彼らは商売をしており、商才があるかないか、という問題も密接に絡んでいる。最終的には取り分交渉がヤクザ的であり、めちゃくちゃなら不正が働く。ただそれだけのことであろう。
 お話はそのようなスジ通りに運ばれる。極めて論理的で、ヤクザの仁義など知らなくても画面を追うだけで理解できる話ばかりだ。意外なのはその暴力の加減で、そこまでやると取り返しがつかないということを印象付けている。つまり落とし前がつかないのなら話は終わらない。暴力は連鎖するので、行くところまで行くより無い。つまりそれは人の死だ。国と国が戦争をするのもおそらく同じ道理で、ヤクザ社会はつまりはその縮図である。
 過激な暴力は気持ちが悪いし、罵声ばかりなのも多少うるさい。しかしながらその緊張感はなかなかのもので、暴力をふるう狂気の迫力はかなり強烈だ。ヤクザの持っている人間的な迫力も、その背後にある圧倒的な力があってのもので、個人がとてもあらがえるものではあるまい。つまり暴力に屈するより無いわけで、嫌なら戦うか逃げるより無い。そして逃げたとしても組織から逃げられるものでもないらしい。まあ、実社会なら本来は蛇の道に入らなければ関係ないのだけれど。
 もちろん映画は映画である。いまどきのヤクザはこのような暴力で生き延びているわけではないだろう。そういう意味でもヤクザはヤクザらしく生きにくい世の中のなっているのではなかろうか。ふと、そんなことも感じたのだった。
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