無題です
2011-04-16 | 雑記
僕は自分でも呆れるくらい饒舌な人間なのだが、しかし、語りたくないことだってあるにはある。語りたくないという理由をたくさん語ることはできるが、そのことそのものに触れたくないからさけたい、ということはある。オフレコだったら可能だが、場の空気としてやめて置くというのもある。まあ、それがタブーなんだろうな、といえばそうなのかもしれない。議論してもいいんだけど、めんどくさいというのだってあるし、それとこれとは別の話だしな、というのもある。だいたい俺の話なんか聞きたく無いよな、というのは自覚があるが、しかしおいらのブログなんだから良いじゃんというのがあるからこういう場があるわけだ。前にもこれは書いたが別段匿名で無くてもいいんだけど、事実上リアル僕を知っている人が多数であるのは事実だから匿名じゃないけどあえてなんとなくボケていて、それがいい場合だってあるんじゃないかということもあって始めたころと変わりなく続いているという感じだ。本来はそれは好きなことを躊躇せずに書けたらいいということだったのかもしれない。にもかかわらず書きたくないな、というのは、やっぱりなんだかつらいような感じもある訳だ。
まあしかし、考えたことをまとめるというようなことをあえてせずに、自分自身をメモしていく作業がブログなんじゃなかろうかとも普段は思っているわけで、勇み足があったとしても、まあ、構わず進んでいきたいはずだった。今は、ちょっと離れたいな、みたいな感じなのかもしれない。スランプが無いわけでは無かったけど、貯まるほうが多いというのが普通だったから本当に苦しんだりはしなかった。書いてもいいという自由さが自分を苦しめるとは思わなかった。
でも考えてみると、本当に言いたいことを全部書いてきたかというとそんなことは当然無くて、僕を知っている人は時に不思議に思うんじゃなかろうかと思うが、あんがい今かかわっている事は書いていなかったりしてきた。そういう中に僕の本音もあったわけで、書かなかったことの多くが事実としての僕を表してもいるのである。
というわけで、ブログは僕のリアルじゃないかもしれないというところが、改めて僕としての最大の魅力なんだと思う。そしてそういうことを語ってしまうことにカタルシスがあるのであろう。書かないでいいことをこれからも書かないというだけのことなんだけど、書いてみると自分でそこが分かるところが書くことの面白さかもしれない。
まあしかし、考えたことをまとめるというようなことをあえてせずに、自分自身をメモしていく作業がブログなんじゃなかろうかとも普段は思っているわけで、勇み足があったとしても、まあ、構わず進んでいきたいはずだった。今は、ちょっと離れたいな、みたいな感じなのかもしれない。スランプが無いわけでは無かったけど、貯まるほうが多いというのが普通だったから本当に苦しんだりはしなかった。書いてもいいという自由さが自分を苦しめるとは思わなかった。
でも考えてみると、本当に言いたいことを全部書いてきたかというとそんなことは当然無くて、僕を知っている人は時に不思議に思うんじゃなかろうかと思うが、あんがい今かかわっている事は書いていなかったりしてきた。そういう中に僕の本音もあったわけで、書かなかったことの多くが事実としての僕を表してもいるのである。
というわけで、ブログは僕のリアルじゃないかもしれないというところが、改めて僕としての最大の魅力なんだと思う。そしてそういうことを語ってしまうことにカタルシスがあるのであろう。書かないでいいことをこれからも書かないというだけのことなんだけど、書いてみると自分でそこが分かるところが書くことの面白さかもしれない。