カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

真面目な仕事こそ後に残る   樽

2013-12-19 | 読書

樽/F・W・クロフツ著(創元推理文庫)

 真面目に仕事をするとはどういうことか。起こったことを確かめ、関係している人に話を聞き、聞いた話を確認する。そうして得られた事情を鑑みてできるだけ正確に判断をしようとする。不確実なものをできるだけ排除する。隙間の部分を埋める事情を探し出す。実に地道にそのような作業を繰り返している。警察や探偵の捜査だから当たり前だということは可能だ。しかしこれをまじめにやる人がどれほどいるか。実際の仕事もそのはずなのだが、どこか信用できないものも感じる。真面目さはそのままセンスという感じもする。さらにこのような仕事術は、おそらく多くの仕事に応用が利くはずだ。ほかの仕事であってもこれが出来る人がズバリ仕事のできる人、という気がする。最終的には明暗が分かれるが、積み重ねられた仕事のおかげで、次の仕事が生きてくる。そういう実感もある。本格推理小説の古典的な名作だが、僕としては本当の仕事術としてもすぐれた書物だと思った。ひとの仕事ぶりで自分の仕事をブラッシュアップする。それも楽しく読んでこれが出来る。何ともお得な話である。
 犯人探しの方は、実はずいぶん前から犯人の見当はついている。明確に分かっているわけではないのだが、おそらくそうなるだろう。アリバイ崩しやトリックに使われている小道具を調べることで、徐々に核心に迫っていることは分かる。地道な作業の繰り返しだから当然なのだが、捜査の手順通りに物事が明らかにされていくからだ。それでもどうしても謎というか、想像でしか解きほぐせない部分が残っている。それは犯人の口から直接聞くしか無かろう。そういう仕掛けの部分も実に見事である。活劇もあるし、本当にサービス精神旺盛である。しっかりした構築物に驚きやユーモア、友情や愛憎劇、伏線も貼ってあるし、カタルシスも当然ある。このようなお話を別の本でも読んだ記憶があるから、この古典的な名作が多くの作品に影響を与えていることは明確である。そうして、そのような影響力があって当然の作品という気もする。名作というのはそういう力があるからこそ、時代を超えて生き残ることが出来るのである。
 重厚な作品ということもあってか、持っているだけで長らく手に取ってなかった。読みだしてもいろいろ忙しかったりして、何度も中断してしまった。それでも興味が断たれるということは不思議となかった。本文に戻れば、すっとその物語に入っていける。丁寧に細やかに事件をひも解いていくので、いろいろと頭に入るものが多いのかもしれない。真面目な仕事ぶりが、そのまま読者をこの世界から離さない力になっているのかもしれない。トリックや偶然や仕掛けのアイディアもさることながら、結局はそのような真面目な根気強さのようなものが、やはり作品の質を握っている。ちゃんとした仕事が、後々の時間に耐えうる強度を保つ。まるで歴史的建造物を仰ぎ見るような、静かな感嘆のひと時を読書で体験できる。年末年始の時間には最適の一冊なのではなかろうか。
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