カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ゴットハンドと言われる男(たち)

2023-03-31 | ドキュメンタリ

 古美術品、骨董品は、経年劣化による傷みが生じている。なかには割れた茶碗や花瓶など、接着して修復してもなお、美術品として価値の高いものさえある。しかしながらその修復のされ方によっては、少し残念さの残るものがあるというか、もっと良い状態にしてそのものの良さを再現することのできる人たちがいる。さらにその修復の技術の高さから、あたかも修復したことさえ分からなくなるようなこともできるらしい。
 そのような業界では知られた人たちかもしれないが、修復後の美術品などは、博物館や美術館所蔵のものなど、以前はあえてそのことが明かされぬまま展示されているものが多いのだという。さすがに現在は違うということだろうが、特に古い年代物であれば、そのものとの形のままであることが望まれるのは道理である。
 その復元師が繭山浩司という人なのだが、弟子に息子が居り、二人で作業をしている様子だった。繭山の父も伝説の復元師であったようで、いわゆる親子三代にわたる復元師家族なのである。
 その作業自体は非常に地味で根気のいるもので、元の接着断面を剥がし。接着の材料や、その時に削られた形状を保ち、ごみや付着物を徹底して排除する。薬剤も使うが基本はピンセットやカッターナイフや、その他もろもろの細かい工具を使ってそぎ落としていく。そこまでで何日も費やすこともあるようだが、あくまでそれからがスタートで、欠けた断片を埋め、もしくは継ぎ足し、釉薬のように見える薬剤を塗り、文様を施していく。経年劣化した色使いまで再現し、その違和感はほとんど分かられない。少なくともテレビで見ている僕には、そもそもどこがどのように欠けていたのかさえ、よく分からなくなるのだった。
 繭山は子供のころから工作のようなものが好きで、修復の道も自然に入ったという感じだった。親の姿を見ていたというのもあるのかもしれないが、そもそもがそのような細かい作業自体に愛着を持って取り組めるような性格の人のようだった。
 ものづくりの人達と共通するところもあるのかもしれないが、しかしその何かが違うようなところもある。創作の領域に入っておりながらなお、そうではない仕事師という割り切りのような感じもする。ここでは既に有名になって仕事がずっと舞い込んでいるもののようであるが、基本的にはプロの人たちから、それなりの報酬の分かる人から、依頼が来るものであろう。こういう作業工程を見ていても、量的にやれるものは限られていそうである。
 普通であればこのような美術品の修復というのは、素人目には見た目の修正でもあることから、少し取り繕いというか、まがい物とまではいかないまでも、何かいかがわしさのようなものを含んでしまうのではないか。しかしながらこのような修復であれば、むしろその修復という作業を経たうえでの作品の価値というものが、さらに高まるような感じでもあった。繭山の修復を経た器であれば、美術館に展示してあるものの価値が上がることもあるのではないか。とにかくおみそれしました、という感じなのであった。
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