日本にはリーダーが育ちにくいという話を聞かされることは多い。外国には優れたリーダーがたくさんいて、日本人にはそういうリーダーシップを発揮するような人は居ないということらしい。日産もカルロス・ゴーンが来たから復活したらしい。
確かにそういう話は皆何となく納得がいくものらしい。思い当たるフシがそれなりにあるのだろう。しかしそれが何故なのかということになると、なんだかよく分からなくなる。日本人に気質的なものだという話もあるが、日本人だからそうなる気質っていったいなんだろう。勤勉なのは日本人だからそうなのか。真面目なのは日本人の特徴か。横並びを好み、村社会なのは日本人だからなのか。それらしいというのは気分として分からないではないが、しかし僕には全部意味不明という予感もしている。学問的に検証可能なことって本当はどれくらいあると言えるだろうか。ほとんどは居酒屋談義的な怪しい説に過ぎない気がする。だけれどそんなことを言うと、ときどき僕が日本人からはみ出しているせいだということを言われることがある。僕のようなナショナリストがそういうふうに思われる日本的な思想とは何だろうか、と考えてしまう訳だ。
歴史的に見ると日本にも優れたリーダーシップを発揮していた人がそれなりにたくさん居るようにも思う。そうすると、現代がリーダー不在ということなのだろうか。いや、国際的にも活躍するスポーツ界などには、それなりに日本人リーダーだって居るようにも感じる。経済界にも居るみたいだし、学問の世界にも、科学の世界にもあんがい居るんじゃなかろうか。
問題は政治家か。報道で見るとおかしな人は多いけれど、あれはそもそもリーダーというような人たちなんだろうか。小泉元首相はリーダーシップを発揮したという話もあるが、あの人くらい変人はそう滅多にいそうにない。現在は橋下市長が話題だが、これは現在進行形で期待値の段階という気もする。
しかし根本的な問題としては、文化やシステムなどの背景がありそうである。そうするとそういうものを改善するとリーダーは生まれやすくなるのだろうか。やっぱり資質的なものや、教育の問題なのだろうか。
細分化して考えてみるといろいろ面白いものが見えてくるようにも思うが、現在のリーダー不在論というのは、単に、いわゆる何を持って理想のリーダーとしているかの定義があやふやすぎるとも感じられる。そもそも望まれるリーダー像って何だろう。
シリーズ化するか不明だが、ダラダラ考えてみてもいいのかもしれない。