アバウト・タイム/リチャード・カーティス監督
副題に「~愛おしい時間について~」とある。恋愛ものがたりだが、実はSF作品でもあって、タイムトラベルものである。まあ、そういう仕掛けであるという説明のみで、SF的な映像世界はまったく無いのだけれど…。
遺伝的な体質か何かの所為で、その家系の男だけが過去にさかのぼってタイムトラベルできるという人の恋愛物語。要するに女を口説くのにやり直しがきくので、ちょっとばかり有利というか、そういうことを利用して、物事を上手くやろうという魂胆の物語。
何か失敗してしまったときに、もう一度このシチュエーションをやり直したい欲求というのは誰にでもあるだろう。でも時間に可塑性は無いから諦めるより無い。何とかして挽回するために苦労するより無い。ちょっとだけ前の時間にさかのぼることが出来たら、なんでもなくやり過ごすことが出来ただろうに、まったく困ったことだ。
そうならないために人というのはちょっとだけ慎重に物事を進めるように学習するわけだが、これが出来ない人というのはいるのかもしれない。また失敗するからといって何もしない訳にはいかない。それは僕らは生きているからで、それをやめるまでは失敗のリスクは常にある。もう年を取ってしまったら、あんがいこれもあきらめのつくことかもしれないが。ある程度若すぎるというのは、そのような失敗が怖くてさらに後悔を重ねて生きていくものなのかもしれない。
まあ、そういう風にして頻繁に過去にさかのぼって何とかうまくいく人生をもったように見える男だったが、そのうちにだんだんと考えを変えるようになる。それはどうしてなのだろうか。ということが結果的にこの映画の結論に至るわけだ。至極まっとうで、まあ、そう考えるより無いよな、とは思った。思ったが、同時にやはり人間は死が怖い。死を前にして時間をさかのぼらない人間は居ないのではないか。だからこれはファンタジーで、いくら何度も同じような一生であっても、飽きが来るくらいにならなければ自分の一生は閉じられないのではないか。諦めてしまったら、それはなんとく自殺めいてないか。
タイムトラベルものは、どうしてもそのような哲学めいたことも考えてしまう。時間というのは極めて哲学的テーマで、だから物理現象としてはおそらく今後も人間レベルでは起こりえないのではなかろうか。