カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ペレがアメリカに渡った時代

2023-06-05 | ドキュメンタリ

 ペレは元々ものすごく世界的に偉大なスターだが、それはサッカー界でということでもあったのかもしれない。最終的にプレーしたのはアメリカで、それはサッカーの不毛国での啓蒙活動が含まれていた。当時はたいへんに高額な移籍金でもって大きな話題を集めたが、実際にアメリカ人はペレの華麗なプレーを見て熱狂するに至る。それはアメリカという世界最大の影響力のある国の熱狂にとどまらず、それ以外のサッカー不毛国へも響き渡る影響力を持っていた。もともとサッカーの大天才が、真のサッカーの神様として後の世まで語り継がれる伝説のフィナーレでもあったのかもしれない。実際にはプレーヤーとしては全盛期を過ぎていたかもしれないが、それでも天才は天才である。プロプレイヤーとしてのレベルは頂点のまま、華麗に得点を重ねる活躍をし続けた。
 僕の子供の頃には既に伝説的な選手だったが、残念ながらほとんどリアルタイムで見る機会は無かった。日本は野球の国なので、サッカーの試合というのは、年末年始の天皇杯くらいしか中継が無かったのではないか。海外ニュースなども少なかったが、さすがにワールドカップなどはニュースとして伝えられるくらいのものだっただろう。
 そういう中にあって僕はサッカー部に所属する一応のサッカー少年で、当然ペレは知っていた。雑誌の切り抜きくらいは持っていたかもしれない。それはほんの二年間のことだったのに、アメリカの資本がサッカー界をさらに華やかにさせたということのようだ。そういう最後の活躍が、日本にも改めてサッカー熱の温床を育む土台になったのではなかったか。それまでもサッカーは普及の途上にあったことだろうが、僕の子供のころから徐々に、少年サッカーは熱を帯びてきたような印象がある。釜本さんは焼肉のたれの宣伝にも出ていたし、家庭においてもサッカーの面白さの認知が進んでいたのであろう。
 サッカーはペレだけの功績で普及したのではないが、ペレの功績でさらに巨大な憧れを含む神格化した大衆スポーツへ登り詰めたのかもしれない。莫大な資金を集めて注目されるスター選手の多くは、スキャンダルとも隣り合わせに居る立場の人が多い。そういう中にあって常に品行方正で、人格的にも尊敬を集める人だった。さらに期待に応える楽しい面も持っていた。スポーツ選手でこれだけの人というのは、やはり生まれにくいたぐいまれな人物だったということなのであろう。
 しかしながらこういうドキュメンタリを見て、改めてアメリカにわたってのサッカーの啓蒙活動というものが、ペレの王様としての伝説のフィナーレであったことを知った訳だ。アメリカ人の多くはペレに熱狂し、さらに多くのスター選手をアメリカに呼び込む結果にもなった。今はそれほどではないようにも感じられるが(アメリカはローカルなアメリカ的なスポーツが盛んな国だから)、アメリカにもサッカー熱が盛り上がった時代があったというのは、一つの大きな歴史の一部だったのである。
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