カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

オプショナルが多いは、楽しい?

2019-10-31 | 雑記

 長野県は高地であることと、比較的首都圏と近いという土地の利をいかして、葉物野菜の栽培が盛んである。レタス農家なども多いと聞く。なかには、ものすごく成功している農家があるという噂も聞いている。産業として成り立っている素晴らしい地域であるのだろう。
 そういうレタス農家の人が話をしているのを見た事がある。会社形態にしているようで、広い農地に二毛作で野菜を作っているという。収穫の時期は大変な忙しさのようで、さらに葉モノは傷みやすいので、人の手で収穫する必要がある。結果的に機械化しにくい部分が多く残り、労働者の確保の必要がある。そうして実際にそういう労働を担っているのは外国人で、宿舎などをはじめ、そのような人材を集めて仕事をしている様子だった。
 そのような環境についてはひとたび置いておいて、その日本人社長さんの話で興味を引いたのは、農業はそのような手間や経費が掛かるために、基本的には儲からない、としながらも、やめられないものだ、というのである。それは、農業そのものが「オプショナル」が多すぎるためだという。天候はもちろんだが、実に様々なことが起こる。気が抜けないし、結果が見通せない。そうして忙しい。そうだからこそ、やれるうちはいつまでもやるしかない。やめられないのである。
 僕も曲がりなりにも農業はやるが、あまりそのようには感じていなかったかもしれない。やめられないのは浮世の義理があるためで、要するに地域性が強く、一ぬけたがしにくい。実際に何とか頑張ってくれといつも言われている。僕がやめると困る人たちがたくさんいるのである。参入してくる人はまれだし、だからと言って安泰でもないし、むしろ環境が厳しいから、先行きは不安である。幸い近年は人材が何とかなっているので、とりあえずはだいぶホッとしているが、しかしそれでいつまでも行けるのかどうかは、やはり未知数のままである。
 要するに結構現実は、つらいというのが身に染みている。オプショナルが多いというのは同意できるが、あの社長は、だから楽しんでいるのではないか。
 なにも楽して儲けようということではないが(そうありたいとはぜひ思うが)、日々はそうやっても楽しむことができるものなのだろう。いや、やっぱり長野は儲けているのではないか。そういう疑いは消えないが、もしそうであるなら、やっぱり頑張りがいがあるのにな。そういうことは、またやりながら考えなければならないようだ。
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