カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

悪人こそ大衆を救う   薬の神じゃない!

2021-04-24 | 映画

薬の神じゃない!/ウェン・ムーイエ監督

 強壮剤などのちょっと怪しい薬売りをしている男のもとに、インドのジェネリック薬を手に入れてほしいとの依頼が来る。白血病の薬は正規の物がたいへんに高価で、患者が続けて購入するには大変な負担があった。しかし中国の規制は厳しく、薬価法の違反は重罪とされていた。もともと金に困っている身だったので、リスクはあると思いながらも、金儲けのために輸入に踏み切ることにする。最初は売ることに苦労するが、購入負担に苦しんでいた患者はたくさんおり、徐々に多くの人から頼られるようになる。いわゆる金儲けにも人助けにも成功したかに見えたのだったが……。
 実際に中国で起こった事件を題材にしているらしい。中国国内では空前の大ヒットとなり、社会現象化となるような反響があったようだ。実際に内容も面白く、そのうえで大変に考えさせられるものがある。ムロツヨシ似のチンピラのような怪しい男が、正義感のかけらもなかったくせに、苦しむ人々を前にして、一度は逃げ出すものの改心するようなところがあって、それが人々の共感を得るのだろうと思われる。人間関係もよく描かれており、取り締まる警察側にも、苦悩があることも見て取れる。そのような映画観を構築しながら、エンタティメントとしても楽しめる作りである。中国映画だからと言って敬遠していると、映画を見る楽しみを一つ損なうことになるだろう。
 今時主人公がこれだけ煙草をプカプカさせている映画も珍しい。もちろんチンピラ風の個性をあらわすための演出なのだが、欧米や日本などは、その前に自主規制してそういう演出を控えるところだ。そういう意味では、まだ中国には、(社会の現状を考えると皮肉なことに)自由な表現が許されているといえる。この物語のように、共産党の強権的な規制のもとに様々な困難のある国であることは、ステレオタイプ的に我々は理解しているはずだ。しかしながらそのことについても、表現としてこのように映画化ができるということも、同時に考えなければならない。もっとも過去の事件だからできたということもあろうが、一時期アメリカでもそのような社会性のある映画がたくさん撮られたように、ジャーナリズム的な自由がある国であるとか、そのことに規制の少ない国であることが、最も重要だと思う。さらにそういう作品が中国本土でもウケる、ということになると、大いに事情は変わっていくだろう。
 さて、実際の中国は、この現実をどう捉えているのだろうか。こちら側だけの視点では、わからないばかりか、単に偏見を募らせるだけである。社会の変革というのは、内から湧き出なければ、本当には成立しないものだと思う(日本は外圧じゃないと無理そうだけど、まあ、それは置いておいて)。映画には、その可能性を秘めたものがあるのではないだろうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 暇になって時間が足りない | トップ | 睡魔と戦い痕跡を残す »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。