そば食いのことを書いていて思い出したけども、食べ物の事を色々小うるさく言う人が増えたのは、それなりに理由はあったと思う。一番の理由は中年男性の多くが、何か自分を威張らせられるようにするアイテムとして、食べ物が選ばれた可能性がある。何しろ旨い不味いなんて誰でもわかることだが、その理由なんてことになると、結構複雑だ。それとバブルとの終わりという時代に、「美味しんぼ」という漫画が大変にヒットした。食べ物のうんちくを色々言って対決して、傷ついたり傷つけあったりする親子喧嘩漫画だったが(こういうのって巨人の星とかスターウォーズなんかと同じ図式である)、確かにこれでモデルとされる北大路魯山人のような、超美食家をなどに憧れを抱くような変な人々が増えた可能性がある。魯山人はともかく、食べ物で酔狂をするというのは歴史的にあって、洋の東西を問わずそのような逸話はごまんとある。食い物というのはこだわろうと思えば際限なく深みと広がりのある世界のものであって、きりがない。一人一食分現在の価格にしても数百万円かけて毎日食事していた中国の皇帝は、それでも食い飽きて何か旨いものはないかと所望した。
ところで中年男性の方だが、実際は誰もがそんな魯山人たちのようなお金持ちではないから、たいした酔狂ができるわけではない 。で、やれることといったら、適当に飯屋に入って自分たちが食う飯についていちゃもんをつけるぐらいのことだ。一緒にいる仲間の内でワイワイと、何かで仕込んだうんちくを開帳する。それが素晴らしい事だと本人は思っているかもしれないが、多くの人にとっては、聞けば聞くほどシラけることだろう。適当に聞き流しているのに、まだまだ自慢は続く。時には耐え難く食べているものをけなしたりする。せっかくそれなりに旨く召し上がっていたものの、だんだん面白くないだけでなく、ほんとうに不味くも感じられてくる。じゃあ、お前が最高にここでうまいと思っているものを注文したらいいじゃないか。そうして出てきたものを食って貶してやったら、大いに店の主人に嫌われてしまうのがオチである。
そういう不幸な夜を幾晩も経て、さて、そんな輩は減っているのか言えば、そんなこともなさそうだ。食い物は批評から逃れられない。それは批評家の能力とは関係がないのだから、たまらないのである。