カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ROCK IS DEAD

2006-12-07 | 音楽
 先日のイベント会場でBGMとしてビートルズの曲が流れていた。なんかモノラル時代の感覚で覚えのあった曲が随分音がいいように感じる。最近の技術的なものでリマスターとかいうのかな、そういう感じで作り直されているのかなあ、などと思いながら聞くともなしに聞いていたが、なんだか曲自体もちょっと違うようである。ああ、リミックスしてあるんだとやっと気づいた次第。
 それにしても中途半端ないじり方だなあ、と思っていたら、ジョージ・マーティンが息子と一緒にリミックスしたんだそうだ。デモ音源もオノ・ヨーコから借りてきたらしくて、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」なんかはそういう音源からどんどん展開していってなかなかいい。そして、ジョンの声は切ない。「ブラック・バード」は「イエスタディ」になってなんじゃらほいであるが、僕は「ブラック・バード」の方が好きなんだから、そっちを中心にして欲しかった。まあ、許してやるけどね。
 PAのS上さんから、ビートルズは調弦に気を使ったんだという話を聞いたが、なるほどこういう使われ方をすると知ってたら、やるべきことはちゃんとしなくてはならないとは思う。キース・リチャーズにはできないことだろう。
 オアシスとかジェットとか、最近のメジャー・バンドは明らかにビートルズの焼き増しであるが(リスペクトって表現が、なんか嫌だけど)、今の世代の人はどういう感覚で聞いているんだろうと思ったりする。いや、説教くさいことやウンチクを言いたいわけじゃなく、僕もちゃんと好きである。けれど、やはり少し違う感覚なんじゃないかなと、なんとなく思うわけだ。
 こういう嗜好性はポップ・ミュージックの宿命なんじゃなかろうかとも思う。しかし、だからといってただの同じじゃ駄目なのだ。アメリカにもビートルズよりビートルズらしいバンドがたくさんあったらしいのだが、当然というか、ビートルズのように支持されることはなかった。ジョンとポールだけのバンドじゃないけれど、この二人が友達で、そんでもって一緒にバンドをおこして、世界(まあ、西側に過ぎないが)を揺らすような共感を得たということが、奇跡でなくてなんだろうと思う。
 それにしてもこのラブというアルバムのジャケットはかっこ悪くて、欲しいけど躊躇してしまう。いい音であんまりいじらず作られたので、オリジナル・アルバムだというのはどうなのかとも思う。もう少しぐちゃぐちゃしてもよかったと、ロック少年の僕はいうが、やはりこの世界をいじることは、少しの躊躇があるということなんだろう。それが、かえって今の人たちが求めるビートルズ観なのかもしれないと思うと、僕は素直にオアシスを聞いたほうがいいような気がする。現代ではロックはやっぱり死んでしまったのであろう。もちろん死んでしまったものには文句はないが、僕らが求めてきた新しいものは、ロック以外でしか生まれえなくなったと考えるべきなのではないか。
 以前高島俊男が、芸術というのは初期に巨人が現れて、後は焼き増しに過ぎないと書いていたように思う。その巨人は後世の人には決して超えられない。そんなバカな、と思うかもしれないが、クラッシック音楽がそうだし、文学だってそうかもしれない。ロックはビートルズを超えられない。それはひとつの確認になるような気がしないでもない。
 違う文法が必要だ。今はただそう思うのである。

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