カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

本に埋もれる井上家族

2019-01-28 | 雑記

 井上ひさしの娘さんが、父の思い出を書いたものを読んだ。家には本がたくさんあり、ふと父にどれくらいあるのか聞いたところ、27万冊くらいかな、と答えられたらしい。井上は、作品を書くために本をまとめて相当買ったようだ。そうしてその資料としての本の詰まった部屋に籠って執筆した。面白いのは、次のテーマが見つかると、別の部屋にまた本が詰まっていく。そうして井上が移動してまた籠るらしい。そうやっていくつもいくつも本が詰まった部屋が増えていくわけである。本を買うのは主に二人のせどり師(ふつうは古本業者のようなものを指すが、井上のために全国から新刊古本に限らず本を探して卸してくれる業者のようだ)に任せていたようで、その請求が月に700万だったこともあったらしい。もちろん自分でも本は買うが、執筆の時間もあるから、そのようにしないと存分に本を集められなかったのだろう。苦労して母親が困っていた様子も書かれている。新聞は全国の地方紙まですべて買い、チラシまで取っておいたという。モノの値段など重要な資料と考えていたようだ。
 司馬遼太郎も年間億単位で書籍を買っていたといわれるし、いわゆる調べて書くタイプの人たちは、凄いものなのである。本の重みで床が抜けるという話は本当のようで、本を置くために家を補強したという作家の話も聞いたことがある。または本の置き場がなくて、仕方なく田舎の家を買ったという話はよく聞かれるものだ。作家の中には何もない中でモノが書けるというタイプの人もたまにいるようだが、普通であれば、インプットなしにアウトプットはできない。一定のインプットなしには、アウトプットも量産できないということは言えることかもしれない。
 こういうものすごいタイプの人たちの足元にも及ばないけれど、父が亡くなったときは、それなりに本の処理に時間がかかった。父は生前に巨大な書架を作っていて、ある部屋のすべてが書庫化していた。もちろん本以外の雑誌なども、段ボールやプラスチックのコンテナにたくさん詰まっていた。辞書や百科事典のような類もあって、ぼつぼつ整理しても数か月かかった。もっともある職員が間違って一部を処分してしまって、なんだか整理するのもばからしくなって、田舎だからまだ空いていた倉庫に残ったものはすべて移動して放置したままである。親子とはいえ買っている本の種類というのは微妙に違っていて、数十冊は面白く読ませてもらったものの、大半はあまり興味がないのだった。そういう風にして大変だったのだけど、書籍だけで考えるとせいぜい1万数千冊程度だったのではなかろうか。井上ひさしの27万冊というのは、やはりとてつもないな、と改めて思います。
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