カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

失格しなければならなかった訳   監督失格

2013-05-31 | 映画

監督失格/平野勝之監督

 林由美香を知ったのは、同じくドキュメンタリー映画の「あんにょん由美香」であった。韓国と日本の関係性を考える上でも面白い映画だし、何しろ良く分からんが由美香というキャラクターが素晴らしいということがあった。あんにょんの土台になっているドキュメンタリーが先にあって、派生した面白い映画ということができるだろう。その土台となる恋愛物語の一応の完成形のようなものが本作ともいえて、小説でいえば私小説の在り方の見本のような作りである。人を選ぶということはあるだろうけど、この映画が話題になって、そうして妙に心を打つものであるということは言えるだろうと思う。小説のような作りもので無い恋愛の姿ということでも、さすがに迫真という感じがした。かなりの恥ずかしさも含めて。多くの映画はつまるところ表面だけで、感情をなぞっているということなんだろう。それでも足りないところがあって、つまり「監督失格」だった訳だ。
 映像を回すという覚悟については、プロではないので本当には分からない。回さなければ残らない訳だが、それは第三者にとっての話である。それは作家としての心構えのようなものだろうし、しかしそういう精神がある人が偉いのかと言えば、実はそんなことはぜんぜんあるまい。ジャーナリズム的な精神性はどうだか知らないが、写したものが第三者にとってお金が出せるくらい価値のあるものなのか。興行として成り立たなければプロでは無いので、そういうことだと分かりつつ映像を回さなければならない訳だ。監督として映像を撮る人間にとっては大切なことだろう。そして撮られる人間としての正真正銘のプロである女優の林由美香には、そのことが本能的に理解できている。そしておそらく本心から「監督失格」という烙印を押されたということでもあろう。しかし監督としては失格だが、本当に心の底からの愛というものを捉えることに成功している。そのことがこの映画の最大の価値、ということが言えるのではないだろうか。
 いわゆる決定的な場面の映像もある訳だが、そういう興味があって観たことも確かなんだが、その部分ひとつとっても、この映画の題名どおりかもしれないとは感じた。いや、それでも十分だったのではないかという考えもあるだろうけど、少なくとも僕にはいろいろ疑問がわいた。結局カンパニー松尾の撮っただろう映像の方が説得力があって、いわゆる作家性を感じさせられた。それはセンスの問題かもしれないし、距離感の問題かもしれない。しかし、それはどうしようもない人間の持っている感情であることも間違いは無い。
 こういう生き方をしなければならない理由は、僕には分からない。こういうものが面白いだろうということを知っているからこのような映像が生まれた訳だが、そして結果的にやはり面白いものではある訳だ。人間というのは本当に業が深いものなんだな、という確認のためにも、観ておいて損は無いだろう。
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