カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

居酒屋タクシーを生み出すもの

2008-06-07 | 時事

 火がついたように反応が激しい「居酒屋タクシー」。正直言って確かに驚いたが、過剰に反応する世論にも驚く。金品を受け取った人は明確な横領なので処分ができそうだけれど、ビールにはお咎めなしということになるのだろうか。飴とかガムなんかもありえそうだけれど、それではサービスとして軽すぎるということだろうか。深夜の疲れ切った上客へのサービスということでは、ビールぐらいという感覚にエスカレートしてゆくことはわからないではない(個室だし)。だが、そういう過程を経た客との関係は、そこまで癒着した仲という印象もある。しかも運賃はあくまで公費なのだから、その中からバックされていると考えると、やはりアウトになるのではないか。自費ならまったくOKという感覚になるから、やはりこれは公費という範疇での批判ということである。
 タクシーの側からすると、それだけ大切な客に対してそこまでしたい(しても元が取れるからだが)という感覚であることもわかる。するとこれは料金体系に問題がありそうな気もする。僕も遠方から深夜にタクシーで帰らなければならなくなってしまうことがあるので考えてしまうのだが、なぜ長距離割引がないのだろうと不思議である。中にはわかった運転手もいて、行き先を聞いたら最初から値引きを引き受けてくれる場合もある。一万円ならその時点でメーターを倒して運転してくれるのである。いっそのこと泊まればいいという意見もわかるけれど、家で寝るだけでどれだけ疲れが取れることか、ということと相談すると、帰りたくなるのも人情ではないか。帰るということで大トラに誘われる3次会から逃げることもできるし、目覚めてここはどこだということであわてなくても済む。もちろん僕の場合は自費だから、結局泊まることが多くなるのだが。
 これは官庁に限ったことでなく、民間でも深夜残業をするということにも問題が波及するのかもしれない。もっと効率的に仕事をする方法があるのではないか、と誰しも疑問のわくところではないか。よくは知らないが、行政関係の稟議書の多さなどの非効率は、想像を絶する世界のようだ。知らないとはいえなんとなく知っているのは、行政の人と話をしていると、僕らの世界でもそのような書面を作るよう要請してくることが多いからだ。こちらが、それでは非効率なのでもう少し効率化できるよう提案しなおすが、あくまで自分らの要綱に合わないことを問題視する。非効率を認めながら対応できないのである。それは、知ってしまった以上把握しなくては済まない体質と、無責任にある場合が多い。何か問題が起こるかもしれないということ(もしくは他で問題が起こって対応を広げようとする)に対して、書面で残して指導なり対応したという実績を残しておきたいのだ。何年かして形骸化すると、自分らが指導して行ってきたことを逆にこちらに指摘して改善するよう言ってきたりする。あまりに馬鹿げているが、そういうふうにして自分たちの仕事を増やしてさらに増殖(天下り先は仕事が増えてパンクしたものを効率化させるという名目でできる場合が多いようだ)するのが役人の世界のようなのだ。
 まあしかし、役人批判ばかりでは多少不公平ではあるとも思う。これは日本的なムラ社会的な側面であるということも言えるからだ。僕は色々な会に所属しているのでいつもうんざりさせられているが、役員や執行部を批判する人たちの多くは、自分が事前に物事の成行きを知らないとかいうような、瑣末なことにこだわることから始まる。本当は人間関係が気に食わないということにすぎない問題を、ことさら責任問題のように取り上げて作業を肥大させていく。即実行することが望ましいにもかかわらず、事前協議や稟議など無駄な膨大な時間を浪費させて自ら疲れてゆくのである。多くの人がかかわることで非効率になるので役員を選出して効率化しているのに、役員になった人間は(慣れてくれば慣れてくるほど)非効率な心配ごとの項目を網羅させることを重点的に協議するようになる。これで新しいアイディアが出るということが(むしろ潰すことが多くなる)限りなく難しくなっていくのである。それでも今までは本当にムラの知り合いばかりだったから、ある意味でなあなあでよかった部分もあったけれど、本当はすでにあんまり知らない者同士に(世代も変わるし)なっているのに、そのままのシステムだけは維持しようとするので、組織自体を維持できないということにもつながっている。新たな人員も取り込むことができない。組織というものの成り立ちの、根本的な部分の非効率や、また逆に魅力というものが引き出せないということになっているようである。一番いいのは解散再編性だが、再編する必要もないものは、解散のままの方が望ましいことは言うまでもない。
 根本的な役人のモラルの問題で、ここまで発展するのはちょっと論点の行き過ぎであることは承知しているけれど、役人だってこういう構造的な非効率のコマとして働かされて、いい加減にうんざりしていることだろうと思う。やめてほしいが同情もする。ああ、ニッポン残酷物語の一コマだったのではないだろうか。
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