カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

自分の感想と比べるだけでも面白いのでは

2009-05-27 | 読書
「こころ」は本当に名作か/小谷野敦著(新潮新書)


 副題には「正直者の名作案内」とある。趣旨としては一般的に名作といわれる文学作品であっても、あんがい駄目なものは駄目だということを言いたいということである。当然のことであるが、なかなか自嘲を込めてでなければいえない問題であったかもしれない。名作といわれているけれど自分には読み解けない。それはなんとなくコンプレックスになりうる問題だ。分からないという能力欠如、もしくは未熟さの問題。名作といわれる作品の圧力はそういうところもあるとは思われる。ほとんどの古典作品は通読したといわれる著者は、そういう実績を持って判断しているのだということなのだろう。特に一般的にはあまり読まれないのに名作というものでは無くて、ある程度の読者の支持を集めながら名作ではないということをあえて言っているようにも思われ、おそらく感情を逆なでするような意識も働いているものとも思われる。まあ、著者はもともとそういうところが面白い人なのでそれはそれでいいとも思うし、それなり納得できる話も確かにありはした。ほとんどの古典作品が未読であるにせよ、読んだことのある作品については、まあこの人の見方は面白いとは感じるので、正直者という姿勢は必ずしもひねているということではないとは言えるだろう。
 さてそうなのだが、僕は漱石の「こころ」は、名作ということまでは考えていないにしろ、中学か高校の頃に読んでそれなりに感心したのは事実である。女を取り合って自殺するというショッキングさも、若いころの感受性にはわりあい合う作品なのではないかとさえ思う。また、あえてこの作品を選んで批判しているのも、僕のように好んで読まれているということを含めて批判しているということもよく分かる。外の小説群と比較して名作といえるものなのかというと、歴史的に多くの人が批判しているように、それなりの欠陥があるということもそうなのだろうと思う。しかし、それでも「こころ」はやはり面白い小説であるとは言えることだと今でも思うし、漱石の小説が現代にわたって読み継がれているのはやはり無理をして名作宣伝されているというだけのことでは無くて、やはりそれなりに読んで面白いということが大きいのではないか。僕は「坑夫」だとか「硝子戸の中」のような退屈な作品もなんとなく好きなのだが、そういうちょっとおかしな感性が漱石の面白いところだということも言えて、やはりこれからもそれなりに生き残る可能性は高いのではないかとは予想できる作家である。そうした精神的にもおかしな人がおかしいなりに心を打つ作品を残すことは別段異常なことではないし、やはり「こころ」のような作品は比較的に分かりやすいということもあって、「坊ちゃん」とは違った意味での代表作たりえるのはないかとも思うのだった。また僕はやはり十代の後半には「それから」が好きだったし、若い未熟な時期には、漱石は麻薬じみて面白い作家ということなのではないかと思う。自意識過剰でそれなりに自信がありながら実績もない若者にとって、やはり同じく若い頃に過剰な自信の空回りしていたような漱石の心情というのが合わない訳がないように思えて、僕には好ましい作家である。別に文豪でなくてもよいから、普通に偉大でいいじゃないかと思う。
 またドストエフスキーもキリスト教を理解しない人には意味がないようなことであるということらしいけれど、確かに読むのに苦労したという経験はあるにせよ、読んで詰まらないかといえば、やはりそんなこともなかったように思う。大仰で信じられない長舌であるということは読みながら疑問に思わないではなかったが、西洋人はそんなものかもしれないし、それすらも面白いということも感じることもあったわけで、やはりドストエフスキーという作家は、面白いのではないか。確かにとても現代的ではないとは言えるし、これからも読み継がれるのかどうかは知らないが、そんなに非難を受けるほどひどい感じはしない。僕にはバルザックの「谷間の百合」には挫折したが、「カラマーゾフの兄弟」は最後まで読めた。噂では「谷間の百合」は後半になって面白くなるらしいから辛抱が足りなかったのだろうけど、カラマーゾフはそんなに辛抱しなくても読めたということなのではないかと思っている。
 また、僕は北杜夫の影響があったことは正直なところであるにせよ、トーマス・マンも面白く読んだクチである。岩波の短編集は若い頃に読んでそれなりに感心し、僕の友人の松井という男は、勝手に僕の部屋から持ち出して面白く読んだという感想を漏らし、そして勝手に古本屋に売ったらしかった。中国留学中に暇を持て余して「魔の山」を読み、また、同じように留学仲間であるヤッペロンも松井もこの本を読み、酒を飲んでは「魔の山」について語り合ったことがあったが、読破するには苦労はするだろうにはせよ、やはり面白い作品だとは思うし、読んで良かったと思う。著者と意見が合わないのは、合う合わないということにすぎないのではないかと思う。
 まあしかし、流石にほとんどの名作といわれるものは読んだことがない。改めて源氏物語が素晴らしいということも分かり、そういうものかもしれないとは興味は持った(読むかどうかは別だが)。残りの人生でどれほどの古典を読めるものかはわからないけれど、確かに正直に道案内にはなっていると思うので、これを読んでから選択するというのは、それなりに賢い味方、材料にはなるのではないだろうか。またむやみやたらに評判にあやかって読むような色眼鏡をはがすという役目もあるように思われて、そういう考え方には共感をもったのだった。
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