ズボンをはき替えていると、つれあいからチャックが開いてるよ、と指摘される。確かに閉め忘れている。時々開いていることに気づいて一人赤面することがあるが、やはり閉め忘れる時があるからだ。問題はいつ閉め忘れているのかだが、それが分かれば閉め忘れないことだろう。
チャックを閉めてから、上のボタンを留めないからだ、とつれあいから指摘される。チャックを閉めてからボタンを留める? そんな手順は思いつかなかった。そんなズボンのはき方をしている人が他にいるのだろうか。ズボンは足を通した後、まずボタンを留めてからチャックを引きずり上げるのではないのか。そういう手順こそが正当なズボンの着衣の仕方、作法とでもいえるものでは無いのか。
いや、しかし他の人がどのようにズボンをはいているのか、子細に注意しながら眺めたことが無い。男同士の脱衣場などで着替えているときであっても、自分のことで手いっぱいで、他の人がどうしているのか、思い浮かべてみても良く分からない。
一応ググってみると、これもなんだかはっきりしない。ただし僕のように疑問に思って質問している人がいることも発見する。しかし、どちらが先かというよりも、どちら派も存在することを知る。世の中は便利になったが、白黒がはっきりするとは限らない。
トイレで用を足した際に、意識してチャック(ファスナー)から先に閉めてボタンを留めることをやってみる。できなくは無いが、落ち着かない。やはりそれは何か不自然であるように感じられる。しかし閉め忘れは防ぐことができたことは、慶賀に値する。
閉め忘れはしかし、無意識だからやっていることと思われる。既に着衣は無意識の行為であり、習慣である。いつもの手順をいつも通りに行えば、ほとんどの場合閉め忘れていないのだから、その事故は防ぐことができるはずだ。しかし時には閉め忘れている。それが問題なのであって、手順なのではないのではないか。いや、やはり手順を意識することで、閉め忘れが防げるかもしれない。しかしざわざわと心が落ち着かない。それはそれでいつかは慣れることなのだろうか。慣れるまで続けられるのだろうか。こんなことを書いているが、ズボンを履くタイミングで、いつもいつでもこれらのことを思い出して実行できるのだろうか。
僕にはとても自信が持てない。そんなことができるなら、そもそも閉め忘れるなんてことが、起こらないはずだからである。いや、未来は変えられるはずだ。これから赤面する機会を減らす未来のために。