カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

野球への偏見のまなざし

2007-07-08 | 雑記
 雨は続く。個人的には暑いほうが苦手なので、雨でもいいと思う。そう思わないとやはりうっとうしいのかもしれない。不思議と何かをやりたいという欲求のほうが減退するような気がしないではない。そういうやる気方面の力を弱めるような力が雨にあるというのだろうか。雨音のリズムは眠気を誘うというけれど、それは僕にはわからない。アルカリイオンが発生するとも聞くが、アルカリだから体によいというのは幻想のような気もする。そういう背景に左右さえれない、立派な大人になれるようになりたいものである。
 大リーグ放送も久しぶりに見る。今年はプロ野球放送も見たことがないので比較しにくいけれど、相変わらず大リーグは一所懸命な感じがして好ましい。特に大リーグのピッチャーはすばらしいと思う。坦々というか、どんどん前向きに投げる感じがとてもすばらしい。日本のピッチャーは、プロもアマも時間がかかりすぎてイライラする。特に人気のある斉藤君なんかは、時間がかかってとても見るに耐えない。僕が本当に野球を好きになれないのは、このだらけた気分かもしれない。
そうは言っても、相撲の間合いは我慢できるのは自分でも疑問だ。単に時間の問題ではないのだろうか。
 この間ブロックの野球大会があったのだが、これも間合いが長くて見ているだけでだいぶ疲れた。皆さん一所懸命なのは分かるが、野球ってずいぶんずるいスポーツだとも思った。いろいろと牽制したり圧力かけたり、忙しいのは正式なプレーの時間より、そういうかけ引きの時間のような気がした。それらは反則ではないのだろうけれど、素人の僕にはちっとも楽しいプレーではない。野球で交流というのはもともと不都合なスポーツなんではないかとさえ考えてしまった。
 もちろんサッカーのプレーだって、実際にはずいぶん汚いものも多いのだけれど、一連の動きが早いので、個人が悪くても組織が悪いという感じではない。野球というのは全体のダークな空気が、結局は名門という組織力ともイコールのような感じがある。嫌な感じのチームが強くて、フェアな感じのチームは結局競り負ける。多くのスポーツは、姑息な手より正当な力が結局試合を制する大きな要素であるのに対して、やはり日本のスポーツらしい姑息さが、ベースボールでなく野球にはあるのではないだろうか。
 そんな偏見を考えていたら、田口壮のブログではやはりそんなことはないらしい。トリッキーなプレーを楽しみながら平然とする国の選手もいるようだ。やはり同じスポーツでもお国柄というは出るものだろう。多様性ということでは、これが好ましいなんていうのはあくまで偏見の上のことに過ぎないのであろう。
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