カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

必見戦争劇   高地戦

2016-07-25 | 映画

高地戦/チャン・フン監督

 朝鮮戦争のまさに境界にある高地の局地戦を描いたもの。何十回となく取ったり取られたりする場所なので、その塹壕の中に戦地では貴重な嗜好品などを隠しているうちに、南北の便りなどを託した通信の手段となっていく仕組みができる。お互い殺し合う中だが、この塹壕の中の箱を通じて、お互いの友情とまではいかないまでも、なんとなく通じ合うものがあるようなのだ。しかしながら、南北の内通者を探る任務もある主人公は、この手段を通して内通が行われているのかどうかを確かめなければならない。その疑いのある以前からの親友が、この部隊では重要な役割であるらしいことも掴んでいる。また、激戦区の部隊でありながら、精鋭の死者は異常に少ない。では実際にどのような謎がそこには隠されているのだろうか。
 北には「二秒」とあだ名され恐れられる凄腕のスナイパーがいて、その存在もこの物語に絡みながら(というか、そもそも戦場のエピソードが群像劇のように盛り込まれているのが、この映画の最大の見どころである)複雑な心境の友情が描かれている。最終的には停戦が決まった後の12時間の死闘という史実に基づいた地獄絵(同じ民族で同じ発想だからこそ起こってしまった悲劇だ)を知るだけでも、この戦争映画を観る価値が大いにあると思われる。
 エピソードも演出も素晴らしいと思うが、戦闘そのものの映像がまたすごいことになっている。基本的には「プライベート・ライアン」のような乾いたリアルな残酷映像でありながら、やはりアジア的なウェット感がジワリとあって、痛みが伝わってくるような悲痛な戦闘劇が続く。様々な拷問や地獄というのが人間社会にはあるわけだが、まさに戦争こそ現代的な人間が繰り広げるもっとも大規模な地獄世界だというのがよく分かる。撃たれた人間は血や肉が飛び散り、苦痛に顔をゆがめながら死んでゆく。それは正義や建前などは関係が無く、南北のどちら側の人間にも同等に悲惨な現実だ。結局その場の人間としては、相手を殺さなければ自分が殺されるだけの単純な理屈のみでしか自分が存在できないということなのだ。戦況によっては絶望的な状況に陥るわけで、その時は味方であっても、敵と同じことになる場合もある。生き延びるためには、戦況に応じて実際にどのような行動をとるべきかという一瞬の判断が明暗を分けることになる。戦死した人間は状況を語ることは出来ないが、生き残った人間こそ、その時のことを語ることが出来ない場合もある。事件の真相も映像では明らかにされるけれど、表に言葉として出てこない原因も、その地獄だからこそ語りえられないということになるのだろう。
 骨太で息苦しい悲惨な映像だが、だからこそ必見という映画らしい映画である。
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