カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

この不自然が成り立つ世界の不思議

2014-08-30 | 雑記

 僕が単純に不思議だな、と思うのは、朝日新聞がつぶれないということである。いや、言い換えると、人気があるらしい、というのもあるかもしれない。巨大な会社だし、そんなの当たり前だ、と思う人の方が多いのかもしれない。そういうことも含めて、かなり不思議だ。
 国をあげて仲の悪くなる原因を、それも故意に嘘をついてまで広めた原因があることは明確になった(というかかなり前から明確だったけど)。何しろ変な書き方にしろ、自ら認めたわけだ。いや、やったことをいつまでも認めないよりそのあたりはいいことだと思うけれど、かなり取り返しのつかないところまで問題は歪められた後のことだ。普通の企業ならひとたまりも無く粉砕するだろう。特に食品などを扱う会社だったら、不買運動は間違いなかったことだろう。メディアという最大の公権力を持っている強さということは言えるだろうけど、しかし、それでも購買数が減ることも無く、現在も日本第二(それは恐らく世界でも第二だろう)の発行部数に変わりないらしい。スゴイですね。
 ひとつは老害の問題は考えられる。新聞というのは既に老人文化である。僕も取っているので老人は無いじゃないか、という意見もあろうが、基本的に老人文化に参加しているだけのことである。今後はもうのびないことは間違いなくて、決定していることでどうにもならない。要するに老人が気にしてないから新聞を止めてないということだ。酷いとは思っている人でも、やはり止めるつもりが無いということだろうか。イデオロギーや信念があって止めていないというより、慣性の法則で止められないだけのことだろう。近所の学校なんかには苦情を言うような人でも、新聞には何も抵抗できないのかもしれない。
 そのような環境だから嘘をつけたのかもしれない。その方が面白い、つまり売れるという算段があったのだろう。事実売れているわけだ。そうすると、嘘をついた方が得だ。味をしめているので、たぶんまた嘘をつくだろう。そういうことが分かってか分からずかは知らない。けれど、購買者が減らないのなら、嘘の助長にはなるだろう。その自覚はたぶんあるまいが…。
 基本的にそういう神経が恐ろしいと思うのかもしれない。不思議の中にそのことが含まれている。反勢力があるのは自然だけれど、それがこれだけ巨大に見えて、実はけっこう無関心ということもいえる。だから大声で記事を書こうという方針になるのかもしれない。危険はそういう土壌が形成している疑いがある。
 保守系の新聞が面白くない、という原因もあるかもしれない。確かに胡散臭いこともたまにある。時折威勢がいい場合もある。それよりこのブランドの方がいいというのがあるんだろうか。まあ、それは頑張って下さい。
 まあ僕は毎日新聞なんだが、この新聞もかなり酷い。偏った思想を振り回して反省が無い。そんなことは分かっているが、僕も止めていない。それと同じことじゃないか、とは言える。地元の新聞も思想的には偏っていると感じるし、メディアというのはだいたいそういう傾向の方が強そうだ。沖縄の新聞なんて普通の神経なら狂ってるようにしか見えないが、しかしやはり新聞らしい。まあ、結局そういう人が新聞文化を支えているわけだ。だから新聞社の人間にしても、間違っているけれどそれには気付かない。そういう感性の人が勤める傾向にあるのかもしれない。それで無ければ勤まらない可能性もある。ならば最初から選択肢が無いのかもしれない。つまり諦めと慣性が強固に連鎖しているのだろう。
 それでも世の中何とかなっているようにも見える。思えば変な教育も受けてきたわけで、それでまともに育ったのかは疑問があるにせよ、多少の害悪があっても人間というのはそれなりに育つものなんだろう。バランスという面では、酷い人が6割でも、後の4割が頑張って何とか均衡を保てるという話もある。ちょっと悪いくらいでちょうどいいとは、言いたくないが現実なんだろう。身近に危険があるから緊張感を持って暮らせるということか。もちろん、朝日やその読者にそんな自覚があろうはずも無いのだが…。
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