カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

妻は現代人の不寛容の代表である   フレンチアルプスで起きたこと

2020-05-13 | 映画

フレンチアルプスで起きたこと/リューベン・オストルンド監督

 スキー場に隣接したリゾートホテルに家族四人でバカンスに訪れている。このスキー場では、危険防止のために斜面などにたまった雪を、人工的に雪崩を起こして除去しているようすだ。家族連れはテラスで食事をしていたのだが、その人工雪崩がことのほか規模が大きく、雪に巻き込まれてパニックになる。その時に夫が、家族を顧みることなく、一人で逃げてしまった。雪崩が済んで何事もなく食事に戻ってきたが、妻は夫の行動がどうしても引っかかってしまい、何度も何度も何度もぶり返して夫を追及して追い込んでいく。しまいには周りの人間も巻き込んで、どんどん精神崩壊しそうなくらいにエスカレートしていくのだった。
 一応コメディらしいのだが、どこで笑っていいのかはよく分からない。とにかく不快な気分がどこまでも続いていく。西洋人は気取ってこういう笑いを高級だと思っているふしがあって、笑えるからということにしておいて、自分の立場を守りたいだけのことなんだろう。男としての夫の失態をいつまでもなじって自分の優位を示そうとする不寛容さは、しかしこれは現代社会のメタファーでもある。多くのメディアや、それを支持する現代社会人は、この妻と同類であることが見て取れるからである。現在の新型コロナ騒ぎも、基本的にはこの構造があるから社会を破壊している訳である。それが正義の正体で、不寛容さは、実は自己中心主義の露呈なのだ。
 もちろん、ラストにかけて、その自己中心を見事に暴いてはいる。しかし、これに、他の人々も巻き込まれて、それなりにウンザリする。見事といえばそうかもしれないが、気分の悪いままであることに変わりがない。
 それにしても夫婦のような信頼であっても、それはいったいなんだろうな、ということは考えさせられる。それは期待でもあるかもしれないが、つまるところは相手次第だ。そうしてこの妻のような人間は、実は大衆社会と同じなのだから、手に負えない。単なる思い込みによる誤解だが、事実らしいことをあえて湾曲してしまうのだから、自ら理解しようがない。そうして人を苦しめるだけ苦しめたら、満足するわけでもなく、自分は不快なだけである。
 結局は受け入れる、ということを考えるしかないかも。それはほとんどの人にはできないことかもしれないな、という予感もあって、やっぱり難しい。君子危うきに近寄らず、である。
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