カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

希望、あるいは災い。まさにそうかも   エルピスー希望、あるいは災いー

2023-05-07 | ドラマ

エルピスー希望、あるいは災いー/大根仁ほか4人演出

 テロップにも少し出ているが、題材になっている元ネタは「足利事件」を下地にしているものと思われる。また、冤罪を扱う弁護士の木村は、おそらく今村核弁護士がモデルではないか(後でなんとなく違っていたが)。政治的な背景は、自民党の副総裁などをモデルに用いている様子がある。今の社会のしがらみの背景を使って、テレビ局で働く人間の苦悩を描いている、という図式になっているものと思われる。
 ある程度の評判は聞いていたが、これほどとは。観終わった実感は、本当に充実していた。こんなに面白いドラマは、生涯でもベストかもしれない。おおげさだが、ほんとに見ている時間そのものが面白かった。
 疑問に思わない点も無い訳ではない。創作ものであるから、都合というものはある。しかし、練られた構想と伏線。人間模様の在り方や、人物などの掘り下げも、実に見事である。何度も書くが、それがじわじわ面白さとして伝わってくる。僕は長澤まさみに叱られているような気がしてきて、何故だが日頃を反省した。つらいことがあっても頑張っていこう。
 物語は冤罪事件をめぐって、日本社会にあるどうしようもないしがらみや圧力と戦いながら、なんとか自分自身に忠実になろうとし、そのうえでかかわりのある人たちや、その中で苦しんでいる人たちを、ちゃんと見つめていこうとするお話である。それをグダグダした空気の読めない男と、ちゃんとした正義感の中、自分も傷つきながら強くなっていく女性を中心に描いていく。
 毎回、あっと驚くような出来事があり、しかしどん底に落とされるような絶望感もある。確かに日本の縮図だし、しかし酷い職場環境だ。それがしかし華やかなテレビ局周辺なのである。日本の司法がクソだというのは分かり切った現実だが、これが僕らの生活を守っていることも確かだ。多くの人の平和は、限られたほんの少しの人たちの、救われない激しい苦痛の上に成り立っている。そういうものは救える道があるはずだが、それをいまさら救うことは、多くの犠牲をさらに増やすことになる。しかし、本当にそれでいいのか? 救われない人は、人生を奪われ、死ぬより安楽の無い世界であるのに。
 僕はまともな生き方をしてきた人間では無いのかもしれない。それでも、そのままで生きていていいはずがないことは知っている。目の前にこのような絶対的な不幸が無かっただけのことであって、それを見て見ぬふりをして生きていくつもりはない。
 僕の正義感の為だけではない。人間がまっとうに生きていくには、どうするか。そのほとんどすべてが、このドラマには詰まっている。観ていないのなら、迷っている時間が罪である。しかし、純粋に面白いので、止められなくなるでしょう。お楽しみあれ。
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