カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

どこまでも悪ふざけ歴史改竄物語   ワンスアポンアタイム・イン・ハリウッド

2020-04-03 | 映画

ワンスアポンアタイム・イン・ハリウッド/クエンティン・タランティーノ監督

 1960年代後半のハリウッドの様子を描いている。テレビで人気を博していたアクション・スター(リック)は、今は落ち目になっている。付き人で彼のスタント・マンをしてくれるクリフに慰められながら、何とか日々を過ごしている。隣には、その時代一世を風靡していたポランスキー夫妻(妻はシャロン・テート)が越してきている。そういう事実というのは、本人にとっては悪くない気分だ。要するに見栄で暮らしていることに、何とか自分の精神の安定を保てている様子なのだった。
 当時のハリウッドの日常を再現したということのようだが、事実を織り交ぜたフィクションで構築された、シャレのような物語である。ブルース・リーも出てくるし、ヒッピー文化も見て取れる。活路を見出すためにマカロニ・ウエスタンに進出したり、ハリウッド以外のことも混ぜてある。そうして有名なポランスキーの奥さんの惨殺事件を改竄した、ラストのバイオレンスで締めくくるのである。
 何も、このあたりの事情に詳しいわけではないが、いかにもその時代にありそうな裏話を、恐らくタランティーノがそうだったら面白かっただろうな、という空想で膨らました悪ふざけを再現した、という感じ。悪趣味で、差別的で、それでいてアメリカ的である。もうこの監督は終わっているが、それでもこういうのは作れるんだ、ということで評価が高かったのだろうと思う。そういう意味では下品さがスノッブになっていて、構造的に重層化した物語なのかもしれない。面白いかと言えば、面白いところもあるが、まあ、断片的には知っているので、退屈である。むしろこんな変な感じにしてしまって、罪深いよな、とは思う。別の作品ではナチスの歴史でも改竄したくらいだから、タランティーノは確信犯的にやっているのは分かるんだけど。
 ブラビがこういう作品で下品な役をやりたがるというのは、ちょっとだけ分かるような気もする。彼だってハリウッド批判をしたいわけだし、二枚目もつらいのだろう。そういう気分とタランティーノが融合すると、こんな話になってしまった、ということなのかもしれない。ブルース・リーには気の毒なことだが、これもアジア人差別をうまく表現したものであろうし、タランティーノだって移民の子だしオタクだから、仲間をさらしたいというマゾ的な表現だろうと理解するよりない。まあ、いかにも、だから許されるのだろうし。
 というわけで、いつものように人を選ぶ作品であることは間違いなさそう。初心に戻って傑作パルプ・フィクションみたいなの作って欲しいものだけど、この流れからいって、かなわぬ夢に終わりそうだ。もうこれは仕方ないですね。
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