カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

絶望の中にも希望はある(という話なのか?)   ギャングース

2020-04-05 | 映画

ギャングース/入江悠監督

 原作漫画があるらしい。さらにその漫画の原案には、このような犯罪少年をレポートした社会派的なルポがあるという。知っている部分は無くは無いが、原案は未読。
 「タタキ」という言葉で表現されていたが、いわゆる隠語らしく、空き巣、時には強盗まがいの組織的な盗みを繰り返す(職業にしている)青年たちの物語。裏金や、犯罪などの上りの金などを狙って盗みを働く。取る相手は怖い組織も多いが、そうであるからこそ盗られた側は、警察にはタレ込まないので、逆に足がつきにくいということらしい。そういう情報を持っている兄貴のような(おそらく中国系ギャング)人間から金を払って紹介をしてもらい、ターゲットを決めてタタキを行う。入金などのタイミングが合うと、大金が転がり込むかもしれないという、さらにギャンブル的なおまけもあるようだ。もっとも、バレたら報復が恐ろしいことになりそうなわけで、犯罪が上手く行ったところで、何か落ち着かない空気がいつも付きまとっている。そういう緊張感が張り付く中で、彼らはいったいどういう生活を送っているというのだろうか。
 三人組は過去に少年院で知り合った関係のようで、友情は厚い。しかしそうした経歴であるために、シャバでは苦労しており、堅気社会では低賃金の労働搾取をされる弱い立場で我慢するよりない。何しろそういうところしか雇ってくれるところが事実上ないわけで、ふつうに働いて社会復帰しようにも、どうにもラチがあかない。さらに家庭の事情がそれぞれに複雑で、何とか堅気社会に折り合いをつけようにも、様々障壁を乗り越えることが困難で、底辺の生活からなかなか抜け出せるものではないのだった。要するに、何とか生き延びるためには、タタキの世界でのし上がっていくより他にないと決めるしか、選択がなかったのだ。
 そういう背景があっての物語というのが、いわゆる社会派的な言い分かもしれない。フィクションだけど、もとになっているルポは、そういう現状で生きているらしい人々の告発ということだろう。また、この親たち世代の問題の連鎖とも考えられるところがあって、犯罪に手を染めざるを得ない、世代を超えたループというか、循環のようなものが、日本社会には埋もれているということなのだろう。まあ、実際のところ、日本だけの問題ではないだろうけど。
 というわけで、暴力の連鎖にはウンザリはさせられるけれど、なかなか考えさせられる内容になっている。ストーリーもひねりがあって面白い。そして妙に、この犯罪集団を応援している自分に気づくことになる。ふつうの映画なら、彼らは破滅する。しかし、この話はそうではない。何か希望が持てるのである。まあ、行為自体は何も褒められたものではないはずなんだが…。
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