麦秋/小津安二郎監督
紀子は兄夫婦の家族と両親が同居している家族とともに住んでいる。鎌倉から都内の会社に勤めているOLで、その会社の専務の秘書のような仕事をしている。年齢は28歳でその当時(昭和の初め)であるから、売れ残りといわれている。女学生時代の仲のいい友達も順に結婚していっているようだ。そこで専務から先輩だけどいい人がいると紹介される。家柄もいいし初婚だし仕事も立派らしい。その話は紀子の家族にも漏れ伝わり、ちょっとした騒動になる。特に医者をしている兄は、やっと結婚しそうな妹の動向が気になって仕方がない。興信所や伝手を使っていろいろ相手のことも調べる。なかなかの人らしいが、ただし数えで42歳らしい。年齢を聞いて、母や妻は多少難色を示す。なんだか可哀そうだという。それを聞いて兄はたちまち機嫌が悪くなる。妹の紀子は、そんなえり好みをしている立場ではないということらしい。
紀子の方は同じ独身の友人などと気ままに遊んでいる風である。当事者でありながら、目の前の結婚に、どこ吹く風というような、とらえどころのない態度で生活している。そういう感じが、さらに家族をやきもきさせてもいる。しかし、どうも今回はいいらしい、ということだけはなんとなくわかっている。そういう中、兄の後輩の医者が転勤で秋田に行くことが決まる。その男は近所に住んでいて、一人娘がいるが、妻とは死に別れているらしい。母親が同居していて、転勤には一緒について来てほしいと伝える(娘もいるからではないか)。それで紀子は転勤前の晩に、お別れの挨拶に行くのだったが、男の母からふと、あなたのような人が嫁に来てくれたらと考えたことがあると、冗談のように言われる。紀子はそれを受けて、わたしのようなもので良かったら……、と言ってしまうのだった。
古い映画なので背景はちょっとよく分からないところがあるが、いわゆる紀子というのは、当時のモダン・ガールらしい。まだ田舎臭い鎌倉に住んでいるが、なんとなく古いしきたりの残るようでいて、昭和的な時代の変遷の渦中にある兄の家族と暮らしていて、邪魔にならない程度に家族としての一員なのである。皆それぞれに、紀子のような年頃の女性は、結婚に行くものと決めつけている(それが彼女のためであり、要するに幸福のためであるという考えがあるのだろう)。それまで男性と付き合ったことがあるのかどうかも不明瞭で、しかし男性にはモテるタイプではありそうだ。何か理想が高いものがありそうでいて、しかし漠然と結婚しない女の自由さを楽しんでもいる様子だ。
劇中のエピソードなのでそこが特に重要なのではないが、二人の息子がわんぱくで、耳の遠くなった祖父の兄に「バカ」と言って文字通りバカにしたり、鉄道模型のレールを父にねだっており、父が食パンを買って帰ると勝手にレールと勘違いし、中身がパンだと分かると足で蹴って叱られてふてくされて家出する。いくらわんぱくでもやりすぎで、なおかつまったく共感ができない。この家庭は根本的な教育がなっていないのではないか。
しかしこれも何らかの伏線で、自由にならないこともあるし、しかし家族や、後に紀子が結婚に至る理由の一つでもある。こういう家族の中にあって、準家族的に付き合いのできる男が近所にいるという思いが、紀子には都合の合う相手に思えたということなのだろう。
本当に主体性のある恋愛的な結婚というものがない時代の、個人が揺れる情景があって、しかしそれは多くの人にも影響を与えている。それでよかったのかどうか、誰にも分からないわけだが、結果的に紀子はそういうものとして嫁に行ってしまうのである。良かれと皆が思っていたことが、結果的に紀子の強烈な個性が出て、そうしてなんだか可哀そうなのだ。
ともかくへんちくりんな映画だが、それが名画というものなのかもしれない。