ルート225/中村義洋監督
原作小説があるらしい。多部未華子が演じている14歳の少女エリカが、弟のダイゴとともに異世界に迷い込み、元の両親のいた家に帰られなくなってしまう。基本的には元の世界と変わらないように見える世界なのだが、死んでしまったはずの少女が生きていたり、以前は仲の良かった友達と疎遠になっていたはずなのに、なぜか仲のいいままであったりする。いろいろと違和感があるが、自分たちではどうにもならない。野球選手の高橋由伸の写真付きのテレホンカードを使って公衆電話で自宅に電話すると、以前のように母親とは話すことができる。出来るのだが、テレホンカードのメモリは残り少ないのだ。
弟がいじめられていたり、自分の中のイライラも消えないが、どうもそのあたりに元の世界に戻る「鍵」があるように感じている。異世界に迷い込んでしまった当日の再現などをやってみて、何とか戻ろうと模索を続ける。何しろ両親がいなくなっており、親戚を頼って暮らすにも、きょうだい共にという訳にはいかないらしい。ちょっとだけ違う世界では、今のままの生活が続けられないのだ。タイムリミットは迫っており、何をやるべきなのかは分からないまでも、何としてでも戻らなければならないのだ。
元が文学作品のためなのか、どうにも難解な感じであるばかりか、何と結末も本当にこれでいいのか、と疑問がいくつも浮かぶような変な終わり方をする。意外といえばそうなのだが、こういうのを意外性という言葉で片づけていいのかさえ疑問である。悪く言えば意地が悪いわけで、非常に後味が悪い。考えてみると子供の柔軟性と少女から大人への脱皮もあるのかもしれないのだけれど、そんなことが観るみるものにちゃんと分かるとはとても思えない。そういうことからすら逸脱した文学性ということなんだろうか? 僕にはよく分からない。
とにかく変なものを見てしまったという感慨には浸ることができる作品である。まあ、そういう映画って少なくないわけだが……。