カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

唐突な演出ながら正当な日本の映画史   映画女優

2017-02-11 | 映画

映画女優/市川箟監督

 日本映画創世期に活躍した田中絹代の半生を描いた作品。最初の頃は女優という職を得たことで、親戚を含めた家族を養うという当時の構図を描いたコメディのような展開だったが、恐らく溝口健二監督との出会いなどで女優魂に火が着いて、演技の世界に没頭していく様が描かれている。伝記映画という筋ではあるが、主演している吉永小百合の女優としての生き方を、同時に演技として投影している作品という感じがする。それが成功しているかどうかは観る人次第だが、市川監督の演出のせいか、溝口監督(映画では溝内という名だが)役をしている菅原文太含め、なんとなく演技がわざとらしい。昔の映画や俳優たちは、みんななんだか演技が下手なような印象を受けるのではあるまいか。しかしまあ、そういう情熱との中にロマンスもあったという解釈のようで、本当のことは知らないまでも、映画を撮るということと女優が演技をするということは、何か人生そのものを懸けるようなものがあるのかもしれない。
 市川監督は演出だけでなく、当然映像も独特で、それなりに凝っている。過去の日本映画への造詣があるらしいことも感じ取れる。当然女優に対する思いもあるようで、出ている新旧女優を見比べるということもあるようだ。その中での吉永小百合であるのだが、繰り返すが、日本を代表する大女優であることに間違いないが、何か映画的に少し失敗している感じもする。いわゆる汚れ役をいかにこなすかというようなことがあるように思うけれど、清純派女優を扱う限界のようなことが感じられて、中途半端な印象を受けた。これはこれで凄いのかもしれないが、僕にはまったく分かりにくいのだった。純情で滑稽な男たちもたくさん出てくるが、何か愚鈍なものを感じさせられて、ギャグなのかどうか、これも中途半端だった。まったく面白くない訳では無いが、微妙に外しているということか。
 映画というのは今とはまったく違うモノなんだな、という漠然としたことは分かる映画で、やはり過去のノスタルジーとして観るべきものなのかもしれない。日本映画というのは、恐らくやはり独自のものがあったのだろうし、娯楽の王道ながら、まじめな人たちが支えてきた歴史があるのだろう。
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