カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

今は均衡かどうかも分からないが

2017-01-23 | 時事

 新聞やテレビで、保育所の待機児童問題や、若者を中心とする奨学金問題などがよく特集で取り上げられている。何が問題点なのかは確かに解説されているのだが、政治が悪い所為なのか、改善が見られない。ほとんどがそんな結論で、不満である。さて本当に解決策は無いのだろうか?
 これらの問題と対峙して出される意見の多くに、個人の問題、いわゆる自己責任を持ち出す例を必ずマスコミは議論の中心の置こうとしている(ようにみえる)。それも不満の一つかもしれない。それは逆に議論のすり替えに過ぎないし、対立をあおって問題の解決の妨げになっているようにも感じるからだろう。
 しかしはっきり言って、この問題の一番の中心は、そういう問題とははるかにかけ離れたところにある。みんな分かっていてカマトトぶって言わないだけだ。それは何故なのかといつも考える訳だが、要するにそれは意見が分かれすぎるだけでなく、むしろそれを言い出すと反対する方が圧倒的多数であろうと思っているからだと思う。
 問題の核心は、税金が何故この分野に(十分に。少なくとも問題化されないほどに)配分されていないかに尽きるだろう。財源問題なら分配の仕方を変える方法があると考える人もいるかもしれないが、それは却下する(実は、僕がしている訳では無い)。そんなことが可能なら、数十年単位の前に既に可能だったからだ。今は現代で、状況はさらに悪化している。要するに世論的にほぼ不可能だ。
 明確に答えは一つしか無くて、それは言わずと知れた増税である。さらにもっと問題があって、たとえ増税してもその按分がこれらの問題へ配分されるかということも、まだまだハードルが高いということだ。まだ早急に逼迫して使われるべきと考えられている問題の方が、実際としても世論的にも力が圧倒的に強い。戦えば負けていたから、これらの問題は問題化したのである。
 もっと正直にいうと、ここまで書いてもわからない人がいるからこれらの問題が解決しないのである。だから結論を言うと、税金をあてにしてこれらの問題の解決は、今のところ見つからないだろう。
 ただ希望はある。このような均衡が崩れると、そんなことよりももっと重大(だと人々が思っていること)なことに心を奪われることになるだろう。そうすると、これらを問題として取り上げる人々は、もっと減っていくだろう。
 希望が、破綻か増税か(またはそれまでの猶予か)。妙な時代に生きているものだな、とつくづく思うのである。



※ 待機児童問題については、実はまったく解決策が無いではない(僕も一応業界人なので知らない訳では無い)。しかし、やはり現行のままでは不可能なために、これらの問題に含んだ。ともあれ、痛みを伴わない改革無しには、打開が不可能なことに変わりは無い。
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