カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

見てしまった   大巨獣ガッパ

2015-10-09 | 映画

大巨獣ガッパ/野口博志監督

 怪獣ブームの折、東宝のゴジラや大映のガメラに対抗して日活が制作したとされる映画。未開の孤島で発見された怪獣の卵を発見し、その孵化した子供を捕えて、日本の探検隊のような人たちが持ち帰る。その怪獣の子供を取り返すべく日本に親怪獣がやってくる。そうして取り返して帰っていくというお話である。完全に日本人が悪いということなんだが、そのために街が破壊されるわけで、興業のために持ち帰った連中が一番悪いという後味の悪さがあるのに、皆なんとなくそういう反省のかけらもないのが、ちょっと不思議な感じだった。また時代もあるんだろうが、随所に女性軽視の科白もみられる。山本陽子がはつらつと可愛らしいのだが、しかしそのようにいじめられて可哀そうにも思えた。以前の日本の男たちは、実にくだらないという感じである。そうして高度成長したからといって、何にも誇るものなんて無いのではないか。
 ガッパというのは見た感じは鳥なのかゴジラなのかよく分からん感じなのだが、それが怪獣だからだろう。名前からして河童が巨大化して空を飛べるようになったということかもしれない。何を食って大きく成長するのかも不明だし、親子の愛があるらしいが、それを育む前提が薄い。発見される前に卵を温めるような行動をしていた可能性もあるが、奪われて日本にまで運ばれたことを知りながら、なぜその前に手を打てなかったのだろうか。またそんなことが分かっているのに、なぜ奪った連中のところにすぐに行かずに、熱海とかお寺とか、ちょっと違う街に立ち寄って破壊行動をとらなくてはならなかったのだろうか。まあ、そういう街のミニチュアを作っちゃったからしょうがないじゃないかという言い訳は分からないではないが、どうにもそういうあたりに謎が多すぎていけない。南海の孤島に日本人がたくさんいるのにも、なんだかアメリカ映画のようでいけない。アメリカ人は宇宙に行っても英語が通じるのでそのような映画を普通に作るが、日本人がそれではいけないのではないか。
 まあ、こういう映画を観ていると、何に突っ込んで時間をつぶすかということになってしまう。快感なのはせっかく精巧に作ったミニチュアを、いかに派手に壊すのかということに尽きるわけだが、そういう場面は大変に楽しくできていると思うのだが、そういう展開自体は、時代を越えられない陳腐さが残っており、かえって貴重である。昔の人は馬鹿だったな、と改めて現代人は思う訳だ。特に僕らが子供の頃の大人というのは酷くて、明治や大正時代を経て、戦争で一気に崩壊してダメになったのかもしれない。その後はたいして反省などもしていないが、いつの間にか馬鹿だったことは忘れてしまった。それが現代人なのではなかろうか。若い人は頑張ってください。
 何を言っているかよく分からなくなってきたが、マニアにはウケのいい作品。それは、やはりこうして埋もれて消えていった事実があるからで、しかし、なんか不思議と変だということに尽きるのだろう。見てしまったという事実を体験したい方は、再放送を逃さないようにしよう。
コメント
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