遠いのでたまにしか行けないけど、IKEAに行くのはそれなりに楽しい。僕はそんなに買い物に興味は無いはずなんだが、それでも楽しいので、やっぱり文化的にちょっと違った感じがいいのだろうと思う。
それはさておき毎度のことだが、発音の「イケア」というのだけは少しだけ残念ではある。北欧的に「イケヤ」の方がかっこいいし、なんとなく日本風でもあるからいいと思うが、Aがアになってしまうのはなんだか悲しい。英語風というのでも違うみたいだし。これはロシヤがロシアになったりブルガリヤがブルガリアになるような悲しさと同じである。もうこれはだから僕の病気なのだろう。
イケヤはいい会社だと思うけど、イケヤを労働環境としていい会社だとする論調もある。ほんとかどうかは知らないが、日本の会社より休みが自由で働きやすくて素晴らしいという意味で、単に日本の会社批判でほめている人がいるようだ。そういうのはなんだか以前からよくある外資系憧れ日本ダメ論で、ちょっと気になるが、だからそうじゃなくて、それがいいならみんなイケヤに勤めたらいいのに、と思う。まあ、でもそれはどうでもいいかもしれない。やめとこう。日本は怒られないと変わらないという考え方がダメなだけだからである。
ところでこのイケヤ本社だけど、元はスウェーデンを代表する大企業だったが、国の本社機能をオランダに移してしまった。だから今はオランダの会社ということになっているが、なんだかちょっと複雑だ。国際企業だからそもそもそんなことは関係ないというか、売り上げの柱も米国と日本という感じになっているようで、ある意味で地域性は脱皮しているということかもしれない。
それでも本社機能を移したのは、根本的には税金逃れのためである。北欧の税金が高いことは有名で、だから社会保障も充実しているが、会社の負担は重いということのようだ。スウェーデン人がどのように思っているかは知らないが、恐らくイケヤは裏切り者であるはずだ。しかしイケヤ側としては国の不公平な考え方に我慢がならなかったはずなので、喧嘩別れしたのだろう。得したのは誰だろう、と思うわけだ。
結局そういうことがあるから、日本に活路を見出しているということもあるように思われる。勘違いかもしれないが、僕の子供時代は「家具は大川」だったけど、だんだんと中国になり、いろいろな嘆きは聞こえてきたが、しかしニトリが急に出てきた感じがあって、イケヤもやって来たという感じだ。で、僕は妙に納得してしまったわけで、多様化というか、一種の単純化でもあったわけだ。この力強さはだから、日本だけの特殊性ではないのであろう。
その形態やデザイン性だけでなくいろいろ考えさせられるわけで、またもうしばらくしたら行って見なくてはなるまい。