カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

昼時は見ないようにします

2014-07-11 | net & 社会

 FBで知人の近況を知るのは当たり前に楽しい。遠くにいる人も近くにいる人も、当たり前だが何かしている。友達の数に対して発信型の人はあんがい少ないものだが、しかしながら僕のように発信過多の人というのは必ずいて、ほとんど生活丸見えというような心配な人もいたりする。まあ、別に改めなくてもいいですけど…。
 さて、別に隠し立てすることでもないけど、ダイエットは継続中なのである。というか強弱のようなことがあって、頑張っているときと緩んでしまうの繰り返しで、いろいろ事情はあるにせよ、一進一退、後退多し、という感じでしょうか。上手く行っている時は苦労が多く、上手くいかないときは一瞬で崩壊、みたいな感じがする。なかなか難しいもんです。
 そういう中で、やはりこのFBが関門になっている場合は結構あるのである。僕もそうなんだが、飯の写真は比較的にUPしやすい。飯を食うという行動のときに、たいてい人は一段落して座って携帯をいじる時間がある。そうすると、やはり写真とってUPしなくてはならなくなる。一緒にいる人しだいということもあるけど、周りの人がいっせいに携帯をいじりだす光景は、ごく普通のものである。
 問題は、最近の携帯の写真の美しさにもある。皆が食っているものが旨そうなのだ。さらにもちろん技術の高い人もいる。芸術的に旨そうはさらに困る。情報発信が上手い人は、これをさらに美味しくリポートしてくれたりする。もうたまらん、である。今食っているものをさらに追加して勢いよく食いたくなる。店だって梯子したくなる。
 実は人と会わないような場合は、昼はたいてい抜いている。夜には家に帰ることが増えたが、やはり出張やら会議やら宴会やら、それなりに浮世の義理はある。こういうものが続くのは避けられないし、どこかで帳尻を合わせる必要がある。人間には本能があるから、自制を効かせれば行動を制御できるというような単純な生き物ではない。機械であればプログラムどおり計画的に出来るが、だから計画通りに出来ないというのが人間的なのだ。要するに誘惑に負けるわけだ。ただでさえ人と会って話をしながら飯を食って自制心に欠けている。そうしてその合間にFB見て、また食欲が増進する。飽食の時代はさらに強化されているということなのである。
 そういうわけで、昼の空腹ピーク時には、あえてFBを開かない。最難関はちゃんぽん学会。これがUPされているときは、すぐに閉じる。
 まあ、その前に脱退すべき、ということなんだろうけどね。
コメント
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