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カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

元祖イクメン藤沢周平

2017-11-28 | 感涙記

 藤沢周平の親子の物語で、時にその娘さんや編集者のインタビューを交えて紹介したものをみた。藤沢周平に奥さんや娘さんがいることは、なんとなく記憶にあった。もちろん藤沢は、何年か前から故人であるとも認識している。日本を代表する流行作家であるが、僕自身あまり時代物は読まない。有名なのはいくつか読んでいるようだが…。
 しかしこの藤沢さんが、なかなか凄いのである。今でいうイクメンというやつで、娘が生まれてすぐに奥さんが死んでしまって仕方ないこともあるが、サラリーマンしながら子育てしながら小説を書いている。自分の母親もいるようだが、どういう訳か料理などはあまりやらないらしい。定時に仕事を終えて、帰宅途中に買い物しながら、そうして娘を保育園に迎えに行く。時にもう少し早く来いとお叱りを受けたりする場面もあり、仕事の工面は大変だったようだ。もちろん、現代のシングルマザーといわれる人たちだって、このような大変な日々を送っていることではあろう。男で有名な流行作家だった人がこうであったというのが、なかなか感慨深いということだろうか。
 運動会でいつものお弁当とは違ったものをつくるという事でこしらえたのがカッパ巻きだったとか、娘の友達がかわいい手作りの手提げをもっていることをうらやましがるので、持っていた背広の生地で夜なべして手提げを縫ってあげるとか、とにかく娘に対しての愛情が素晴らしい。素晴らしいだけでなく、実際にそうしたことを出来てしまう力量も努力も凄いという感じだ。良く話を聞き、一緒に散歩する。後に再婚するが、娘との関係は変わらず強いままだったようだ。
 小説に対する創作意欲も最初は病床の妻を励ますように書いていたというし、生活の為というのもあっただろうけれど、二足のわらじ以上に難しい状況下にありながら、書き続けていたこともわかった。性格も温厚な人だったようだし、人格にも優れたところがあり、驕ることもなく、自分の哲学を持っていながら、そのことを表に出すようなことも無かった。
 娘が生まれて8か月後に妻が病気で死んでしまうのだが、その絶望感にやはり自らの死の影があったようである。しかしながら生まれたばかりの娘がいる。もしもその子が無かったならば、後を追って自死したであろうという。娘への強い愛情と、その惜しみない努力のようなものの後ろ盾として、そのような過去からの思いがあったのではなかろうか。そうして後に膨大な著作を残すことになったのである。ひとの一生というのは、本当に分からないものである。
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時には葬儀に通う

2017-06-23 | 感涙記

 特に僕の周りの人の死亡率が高くなっているとは聞いていないが、しかし葬式に行くことは確実に増えている。週に三度も葬式に行く、なんてことも珍しくなくて(どういう訳か四度以上という経験はまだ無い。三度というのは複数回経験があるのに、それは超えられない回数なんだろうか。まあ、超えたい記録ではないけれど)さすがに多いな、という気分にはなる。こういうのに慣れても仕方ないんだけれど、淡々と仕事をこなすように葬式に通っている気分になってしまう。
 葬儀社にもよるんだが、葬式のアナウンスで、やたらに悲しさを演出するところもある。家族でのエピソードを交えて、あんなに楽しかった日々を一緒に過ごしたのに、今はもう居なくなってしまって、何と悲しいことよのう(大意)、という感じで涙を誘っている。つきあいの程度にもよるのだろうけど、そういうのを聞くのは、かえってなんとなくシラケるような気もする。もちろん心が冷たいというのはあるのかもしれないが、家族が悲しんでおられることに共感が無い訳では無い。きっとあまのじゃくな精神があって、そういう盛り上げ方には俺は乗れないぜ、という頑なな気分が高まるのだろうと思う。
 ところがやはり、残された人々の落胆ぶりが激しい場合は、これは大変につらい。もう途中で席を立って帰りたくなる。逝くには早すぎる人というのはあって、奥さんはもちろん、子供さんなどが仕事をするような年に達していない場合など、ついついこの先のことなど考えてしまって、つらくて仕方ない気分になる。世の中の不条理にとてもやりきれないという切なさに胸が詰まってしまう。もともと僕は基本的に涙もろいので、葬式の間中ハンカチを手放させない。もう勘弁してほしいものである。
 先日の葬儀では、普通に仕事関係の義理のある方面であったので、けっこうビジネスライクに葬儀に参列した。読経が終わって、喪主に変わって息子さんが挨拶をした。息子さんといっても、僕より少しばかり先輩くらいの人かもしれない。その人となりの紹介が改めてあって、やはり息子さんから見ても、それなりに苦労人の親だったということだった。そして最後に一言、「息子として生まれてきて良かった」と言っておられた。あらためて偉い人だったのだな、と思ったのと、あまりにノーマークだった所為か、何かその一言で堰を切ったように涙があふれてきて困ってしまった。
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終わりの前の段階的終わり

2017-01-25 | 感涙記

 人が死ぬと感傷的になってしまうのは仕方がないことかもしれない。しかし、死というものは年齢を重ねると、着実に近づいてくる実感があるのも確かだ。ご高齢の人が時折、もういつ死んでもいい、というようなことを言うことがある。実際にそういう境地に達しておられるという人も皆無ではなかろうが、実は違うであろうことも分かる気がする。死ぬべき時が来ようとも、そんなに簡単に死にたくなるものでは無かろう。今やりたいことがあるからとか、いろいろ理由を考えないまでも、例えば単に腹が減ってしまっただけでも、食べて生きていることが楽しいような、それが生というものの本質だろう。
 しかし死が自分自身に降りかかるだろう猶予というものが、やはりもう忍び寄っている。自分の人生は半世紀になろうとしていて、それはまだまだという人もあるが、少なくともこれまでの人生よりは長いはずもなく、また、自分の身内の死亡年齢などを勘案してみてみると、もうそんなに猶予は無い。具体的に言って70歳になれるとは考えにくい。要するにもう20年あるかないか。ひとが二十歳になるのはめでたいが、僕があと20年生きていくのは、もうめでたくも無い。考えすぎるのも良くないにせよ、その実感はただ寂しい。
 では死ぬ前の準備をすべきなのか。これはもう始めていると言えばそう言えるが、しかし身辺を自殺前に整理していることとは違う。いつ死んでもおかしくは無いけれど、どの道死んだら自分で自覚などできないのだから、やるだけ無駄であるという思いもある。要するに何もする必要などない。残される家族には保険などもあろうが、勝手にやってもらうより無い。口出しなどできないのだから、残す必要もないのだ。
 生きているうちに好きなことをしてしまうのも、だからそれなりに無駄のような気もする。そのような思い出は、死後に持っていけるものではない。今までに楽しかったことは、今は知っているだけのことで、だからそれで今がハッピーな訳でもない。若いころに楽しかったことが、今も楽しいとは少し違うだろうし。しかし今楽しいことが、積極的に何かやって、楽しいことということでもないように思う。自分のことでありながら自分のことですらないような気もする。それって本当に僕が生きているということなんだろうか。
 結局は打ち切ってあまり考えなくするより無い。特にそれで鬱になるということも無いけれど、考えなければどうだっていいことだ。それって既にあんまり生きてないようなものかもしれないけれど、あんまり活発にやって生きてる実感を味わうような時代は、すでに終わりを遂げているのかもしれない。
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母の強さの源泉

2016-11-27 | 感涙記

 先日内村周子さんという人の講演を聞いた。内村航平選手の母親ということくらいは僕でも知っているが(というか事前にそういう話を聞いていたから)、実物のお姿を見たことは無かった。オリンピックもニュースでしか見ないですし。でもまあ、ひょっとするとロンドンの時は見たかもな、という感じだろうか。演台に立たれる姿は、かなり小さい人のようだった。
 いろいろ面白かったのだが、全体的に言って、母親としての思いというのは、これほど強烈なのだな、というのがよく伝わってきた。会場にはどちらかというと年長男性の方が多かったのだが、それでも何人か混ざって聞いておられた母親経験世代の女性たちの拍手も凄まじかった。要するに賛同するというか共感するというか、そのような気持ちが良く伝わっていたということなんだろう。
 もちろんそのことについては僕もよく理解できたとは思うのだけれど、しかしやはり、越えられない思いの強さのようなものがあるらしいな、とも感じた。それというのも一言でいうと、子供のことは自分が誰よりも強くいつだって一番に考えているという疑いのない考え方かもしれない。それは確かに事実らしく思えるし、それが悪いとは言わないまでも、やはりそれは自分には経験できないというか、恐らく実感しえない感情なのではないかと思った訳だ。子を思う気持ちや、恋愛などの感情というものは、同じく持ち合わせているに違いないのに、それが一番であるような意識は、特に持てないような気もする。いや、間違いなく強いもので、時には一番である時だってあるはずだと思うのだが、そのことに何の疑いも無いような純粋な一番さというものとは、やはり違うように思う。そうしてそのような思いが、多くの母親がそれぞれに持っているのだとすると、それは有難かったり尊かったり素晴らしかったりするとはいえ、正直に言って、少し恐ろしい。
 しかしながらお話は、それなりに洗練されて面白さを伝える術を分かっているとも感じた訳で、メタ視力としての自分の考えが分からない人ではないのではないかとも思った。それは一種の芸ともいえるものではないか。少なくとも自分に正直な生き方そのものは、大変に力づけられるものだったな、と思ったことだった。
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壮絶な地獄絵図が戦後引揚者にあったこと

2016-10-25 | 感涙記

 山口放送制作のドキュメンタリー「奥底の悲しみ~戦後70年、引揚げ者の記憶~」を観た。
 敗戦後外地に居た日本人は660万人。本土に引き揚げる際に様々な苦労があったことだろう。特に北方満州や北朝鮮からの引揚者はひどいものだった。この地を占拠した兵隊がソ連兵だったからだ。
 彼らの多くは囚人だったとも言われる。家宅に侵入し金品を奪うことはもちろん、気に食わなければ銃殺暴行する。さらに当然のように女性の体を凌辱しまくるのである。女であれば子供やある程度の年配者まで犯されたと言われ、女性の多くは頭を丸刈りにし帽子をかぶり、屋根裏などに身をひそめ、その場で用を足したりして身を隠した。それでも見つかれば夫や子供やきょうだいなどがいても犯された。口に拳銃を入れられ抵抗すると殺される。時には夫が妻を説得して(おそらく子供らを守る為)凌辱されたりすることもあったようだ。どちらも地獄である。中には凌辱されたことに耐えられず、手榴弾などで子供もろとも自決する人もいた。
 そのようにしてソ連兵から逃げながら、やっと引き上げ船に乗った後も、その心の傷をくやんだり、性病をうつされたり、妊娠してしまったりした女性たちは、日本の地を前にして博多港などに身を投げて死んでいった。
 あまりに身を投げて死ぬ女性が多いので、船内では仕方なく「不幸なるご婦人方へ至急ご注意」と書かれたビラが配られた。そのようにして性病にかかったり望まぬ妊娠をしてしまった女性のために「婦人特殊相談所」が設けられた。そこでは麻酔などは無かったが、無料で堕胎などが行われた。中には既に臨月に達しており、取り出された赤ん坊が息を吹き返すこともあった。泣き声を聞かせれば母親として苦しむかもしれず、そのまま息の根を止められたようだ。これらは法律には反したが、極秘で行われていたという。
 ただし、このような性病などの撲滅の意味は、本土に病気を持ち込ませない処置だったとも言われている。佐世保などでは年頃の女性すべてに面談するなど調査を行った記録が残っているそうだ。
 また、そのような場面に遭遇したことを、手記などにかき残し現在の人たちに伝えることで肩の荷を下ろすような感情を抱く証言者などの話を聞いていた。つらい体験だったからこそ、誰にも言うことが出来なかった。当時11歳だったという人や、9歳だったという人達(これくらいの子供だったからこそ何とか引き上げる体力があったと思われる。それ以下の子供は体力がもたず、それ以上の人間は暴行で殺されたのかもしれない)。ソ連兵に占領されたまちに住む日本人は、定期的に繰り返しソ連兵隊がやって来て日本人女性を輪姦していく中で生きていくしかない。たまらずまちから飛び出し、逃げ惑い引き揚げる途中でも、容赦なく多くの人々から暴行を受け、着るものも食べるものも無くなる。幼いきょうだいは動かなくなり、最後まで守ってくれていた母親も息絶えてしまう。何度も殴られたせいで頭蓋骨の一部はいまだに陥没したままである。
 普段は笑いのたえない人柄のおじいちゃんが、初めてこの体験を話した後、言葉をなくして涙をにじませる。そうして、残りの人生を笑って過ごすより無いという。
 このような史実を語ることのできる人も、戦後70年を経て、かなりのご高齢になっている。はっきり言って残り少ない。結局口をつぐんだまま、亡くなってしまった人の方が大半だろう。これだけの体験だったからこそ、そうして被害も性的で精神的なものだったからこそ、その思いは複雑で、戦争を知らない人に語る術が無かったのではないだろうか。
 このような引揚者は、加害者だった日本人だから、当然受けいれなければならない宿命だったのだろうか。戦後日本人は、歴史的な加害者としての贖罪を、背負わされる義務を負っているようにも見える。それが仕方ないこととして素直に受け入れる者だけが、本当に人道的な態度と言えることなのだろうか。戦争の真実というのは、そのような一方的な正義の上にあるものではない。少なくとも戦後に起こった、特に女たちが受けた戦争というものに対しては、もう少し、掘り起こされる努力が必要なのではなかろうか。
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よく分からないが、よく分かる

2016-09-26 | 感涙記

 杉良太郎と脳外科医の上山博康って人が対談してた。いろいろ思うところあったのだが、杉良太郎が心臓手術を受けて、このような手術をする上山のような先生に会ってみたくなったということだろうか。
 上山先生は、神の手を持つといわれるような難しい脳血管の手術を数々成功させているという名医である。しかしその「神の手」というのではダメだという。いうなれば「匠の手」でなければ。神の手を持つ人がいなくなる、もしくは死んでしまえばそれでおしまい。匠の手で次に技術を伝承しなくては、という思いがある為らしい。ある程度経験を積まなければならない世界。若いころに自分のミスで患者を殺したことも正直に話されていた。公共の場では危険な発言でもあると思うが、素直に素晴らしい人である。
 杉良太郎はネットの世界では有名人で、僕もひそかに尊敬している。被災地へおもむく炊き出しボランティアの規模が突出していて、その他の福祉に対する取り組みも破天荒だ。貧しい子供に食べ物やおもちゃを渡したところ、実はお父さんお母さんが欲しいと言われ、これまでに100人以上養子にしたという。なんだろう、それは。いろいろ考え方もあろうかと思うが、芸能界で人気絶頂でお金もたくさん入ったが、人気はいらないと思ってやめて、そういう活動をしているということらしい。何故ということに対しては勝手にやっているということを言っていた。ボランティアをしても礼を言われないこともあって、へとへとになって、でも続けている。上手い理屈があるということでは無く、何か自分にこみ上げる思いがあって、やってしまっているという感じなんだろうか。凄まじくも、素晴らしい人である。
 こういうことは確かにうまく言えないが、仕事でもなんでも、やっていることの中には、ひどくくだらないこととか邪悪なものが混ざっている。そういうものをひっくるめて、好きだからやっているというのは簡単だ。だから好きとは言えないがやっているということになることが多いのではないか。僕は福祉を生業にしているが、そういう意味で杉良太郎は信用が出来ると感じる。よく分かろうとしない人には、たぶん分かり得ないし、それでも行動してしまおうということをやめられないのだろう。
 さて、人にはやれることとやれないことがある。また一からやれることをやるしかないかな、と思ったことだった。
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鳥たちは知らない。世界が終ってしまったことを

2016-08-10 | 感涙記

 僕より年配の人は読まないでください。もしくは不快になった人はすいません。それというのも年齢の話と関係ある。
 五十を前にして時々思うのだが、もう僕は確実に死が近づいているな、という実感である。普通に死ぬのは嫌だし、しかしまだ少しくらいは先かもな、とは思わないではないが、もう死ぬのだろうな、と思うと、本当に寂寞として実感がじわーと沁みるように感じられるのだ。それは逃れようも無く事実で、重くも軽くも無く、目の前に広がっている。
 若いころにはそんな思いはまったく感じなかった。いつか死ぬには違いないとは思っていたし、また、激情に駆られて死んでやるという気分はあんがいあった。ちょっとふみはずと危ない時期だってあったように思う。今生きているなんて誠にラッキーである。年を取って、あのころのパワーある時代に戻りたいというのではなく、もう戻らないことを知りすぎているので、それはどうでもいいな、という思いの方が強い。またやり直すなんてめんどくさいし。
 そういうことでは無く、本当にこの世界から僕は退場する時が来るんだろうな、という実感が、なんだかものすごく冷たいのである。僕がいない世の中がちゃんと想像できて、鳥たちはささやき、花々は咲いている。でもそのことを実感できる僕は居ないのだ。
 生きているというのはつまるところ僕自身が意識できているだけの世界のことだ。僕以外の人も生きてはいるだろうけれど、それは僕が認識していなければ、僕はもともと知らないことだ。そうであるのに、僕の無意識化でも当然他の生命は別の形で生きているだろう。それは今考えてみて分かることに過ぎなくて将来は僕は知りえない。
 確かに僕の将来は、まだまだ終わらないだろうから、僕の想像できない劇的なことが起こりうるとは思う。ある程度予想できていることでも、最悪なことはそれなりにあるし、だからといってもう逃げられないことも知っている。それはたぶん僕が生きているうちに体験はするんだろうが、まあ、何というか、それなりに立ち回ることはするだろう。結果だけは分からないが…。というか分かり得ないが。
 不安があるだけでも将来があるということにはなる。それは希望ということでは無いが、僕なりに仕事があるということだろうか。いい材料は、それより前にやはり退場する可能性もあるということだろうか。だけど死にたい訳じゃない。先送りは僕がやったことでは無いし、僕にはたぶんほとんど責任は無い。しかしそういうことがあったとしても、それはそれで僕にはどうなるか分からないだけのことなのだ。
 要するに死を前にして、そんなに楽しいことはぜんぶ済んでしまったな、ということかもしれない。残されたのはそれなりに楽しいことを自分なりに探すことだけだ。だけど自分だけが楽しいなんてことも、もうそんなに楽しそうだとは思えない。それでも僕には少しだけ将来が残っている。
 つれあいにそんな気分を聞くと、同じ感じらしい。こういう共感が広がらないことを、ささやかに願っております。
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忘れることの恐ろしさ

2016-06-10 | 感涙記

 米国の認知症の人々を紹介したドキュメンタリーを見た。認知症に人種の違いはそんなにないと思うが、社会保障や保険の違いだろうと思うが、比較的裕福な人々が利用している老人ホームであろうという背景はあるようだった。月々4千ドルという発言もあったようだ。また、そのために自宅で介護している人も紹介していた。確かに、日本の年金生活者の実感としても、とてもそんな金額を払い続けられるものではない。
 認知症の人々だからいろいろ誤解をして変なことをしたり変なことを言ったりするのだが、やはり介護をしている人たちはあしらいが上手くて、要するに実に上手に嘘をついていた。いわゆる方便であるけれど、最初はレポーターの方が、そのような対処に戸惑っていたような感じではあった。もちろん徐々にその現状を理解してゆき、肯定的にはなってゆくが…。
 印象に残ったのは、恐らく歯科医だった男の人の例があった。いまだにその仕事を続けているつもりがあって、スタッフや周りの人に歯のアドバイスなどをしている。仕事をしているつもりもあるのかもしれない。家に帰りたがって荷物を頻繁にまとめるが、もちろん帰ることは出来ない。エレベータを動かす暗証番号も知らない。頻繁に面会に来る女性があって、背が低い一緒に働いていた人だと言っていた。実はそれは彼の妻のことで、結婚していた前の記憶しか残されていないために、自分の妻だと認識できていないのである。さらに驚いたことに、老人ホームに彼女が二人いるようで、一緒にお茶を飲んだり、実際に妻の前で付き合っていることを隠しもしない。一人の女性は部屋で服を脱いでいたこともあったそうで、要するに性的な関係があるらしいとも考えられる。取材中に実の妻は、やれることをやっているだけだという答弁をしていたが、最後の方でやるべきことはある程度はやったのではないか、というような発言をしていた。要するに、すでに愛は無く、責任感だけなのかもしれない。
 家庭で妻の介護をしているおじいさんがいたが、いつも名札を付けている。毎日顔を合わせるので妻は夫だとは思っているようだが、要するに名前を思い出せないのだ。会話は本当に分かっているのかどうかも怪しい部分はあるが、ある程度調子を合わせる社交性の才覚で何とかなっているらしい。おじいさんは、実際には妻はほとんど自分のことを覚えていないらしいことは薄々わかっている。しかし、介護をする生活の中で、時々妻からの愛を感じ取れることがあって、それを信じて支えているということのようだった。
 認知症自体は残酷な症状であると思う。人間は記憶をなくすと関係さえなくなってしまうのだろうか。僕は最近のことはもちろん、昔のこともおおかた忘れてしまった。そういう意味では立派な認知症だが、たぶん生活は何とか成り立っているとは思っている(勘違いの疑いはあるが)。怪しい部分はあるが、さらに患者になった自覚も無く、この症状が進むのだろうか。どのみち分からなくなるのなら怖がっても仕方がないけれど、そのような悲しさも、同時に失ってしまうものなのだろうか。そういうことを早く知りたい訳ではないが、自分のことを信用できなくなる日というのは、やはりどうにも理解が難しいものだと思った。
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母性を育てる

2016-05-06 | 感涙記

 以前は母性本能というような単語はよく耳にしたものだが、厳密に言って母性本能というのは女性にもともと備わった本能なのではないらしい。女だから子供が好きとは限らないのは実に当たり前のことで、当然であるのは考えなくても分かることだし、また、実際にそういう人は少なからずいることだろう。ただ、女性は子供を産む能力があるので、母性が備わっていると考えてしまう人が、どうしても出てくるというに過ぎないだろう。それを受けてあれこれ考えるというのはあるだろうけれど、だからといって事実が変わるわけではないし、母性というものが分からない女性がいても不思議ではない。また言葉としては不思議な感じがするかもしれないが、男にだって母性のようなものはあるような気がする。それは男が感じているのであるならば父性ではないか、と思われるかもしれないが、それとこれとはやはり違うものではないか。さらに父性というものは、同じく女性にもあるのではないかと疑っている。その方が、やはり自然だからだ。人の心のことなど理解しうるものかは分からないから知らないことだけれど、言葉の意味としてはそうとしかとらえられないことが多すぎる。さらにそのような解釈の方が、やはり自然なもののように感じられる。
 では母性のない母親はいるのか。実は子供と接すると、母性が芽生える、もしくは育まれるといわれている。子供を産んで、その子を抱くと、たちまち母性がすくすく出てくる感じのようだ。猛烈な幸福感と共に、母性が爆発するような感覚の人もいるらしい。さらにその後も子供と接する機会が多いので、母性が途切れなく出てくるということのようだ。
 実はこの母性は、わが子でなくてもいいらしい。他人の子供を抱いたときにも、母性というのは育つらしい。子育てを複数の人で助け合ってするだけで、多くの人が母性によって幸福感を得られるともいう。赤ん坊をかわるがわる抱っこするような光景は時々目にするが、これは大変に合理的な行為ではないか。さらに恐々と男性が抱っこしたとしても、やはりなんとなく母性が出てくるのではないか。僕はあんまり経験は無いけれど、いや、思い出してみると、そんなような気分があったようにも感じる。
 子供が小さかったころに、おんぶや抱っこをせがまれた。ほとんど体力勝負でへとへとになるのだが、体を動かした爽快感とは別に、なんだか嬉しい気分というのはあった。その後にビールなんかを飲むと、大変に旨いような気がした。考えてみると、あれが母性のようなものだったのだろうか。もう息子も僕より大きくなってしまったから、抱っこするわけにはいかない。ハグするような習慣も無いし、日本人はつまらないな。
 愛犬の杏月ちゃんの腰痛予防のために、階段の上り下りは抱っこをする。階段のそばに行くと杏月ちゃんは抱っこしやすい姿勢を取る。杏月ちゃんの体が僕の胸にふれると、ちょっとだけ幸福感があるようにも感じる。散歩のときも怖い犬がいるお宅の近くに行くと、そろそろ抱っこしてくれとせがむ。ひょいと抱っこすると犬の荒い息遣いが耳元に聞こえる。そういうのも心地いいかもしれない。
 今や人間同士でのふれあいからは、母性が育たない環境にいるのだろう。これは悲しむべきことか。いや、それでも母性が育つのならば、それはいいのではあるまいか。
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やればできる人間になってはいけない理由

2016-03-29 | 感涙記

 今は体罰問題なんかで喧しくなっているので少し想像しづらくなっているかもしれないが、僕らの子供の頃にはいわゆる熱血先生というのがそれなりに居た。熱血先生モノのテレビドラマもたくさんあって、学校でも家庭でも両方で熱血先生だらけだった。なかなか騒々しいのだが、まさにそういう時代だったということがいえて、熱血先生が活躍しなくてはならないような土壌があったと思う。いわゆる学校には不良がいて、体育館裏とかテニスコートとか便所なんかにやたらにたむろしていて、なかなか恐ろしい風景だった。今だと沖縄とか茨城あたりじゃないとそういう人間は居ないのではないか。
 登下校には竹刀を持った先生が生徒の服装などを監視しており、本当の不良はそういうところは通ったりしないから捕まらないが、不良の目の有るような、というか、ちょっとした出来心というか、おしゃれのつもりではみ出すと、連れ出されて暴力(いや教育的指導)を振るわれるということがあった。僕は普通に大人しい子供だったが日常的に教師には暴力はふるわれており、カッターシャツが血だらけになるような毎日を送っていたわけだ。おふくろは血に濡れたシャツを洗いながら泣いていたものだ(これは少し嘘だが、半分は本当です)。
 普通の公立の学校は、まあそういうマッドマックスのような世界だったが、そういう先生の多くが、今度は先生同士の間では、基本的に不良連中をかばうのだった。これは昼の先生も夜のドラマの先生にも共通している現象で、どちらとも親和性のある考え方だったのかもしれない。というか今は僕は大人になったんで理由は分かるが、そういう先生方というのは本当にそういう不良に寄り添った理解者である自負があって、そうするとそういう立場で発言せざるを得なかったということが一番の理由だということである。そうして不良の味方をする先生は、孤立することなく、不当にその後も評価されるような風潮が世の中にあったのである。だからたいした能力が無い人でも、その後は出世した。まあだから彼らは単に合理的なだけだったのだろう。
 ところでそういう不良や出来の悪い生徒をかばう先生の口癖が「この子たちは、ちゃんとやればできる子たちなんです」というのが一番多かった。本人たちに向かっても、「お前らがやればできるのは、俺は知ってるんだぞ」というのだ。まあ、本気になれよ、という心情の吐露らしいが、きわめて当たり前といえば当たり前の言葉だなあ、とその当時から思っていたものだ。
 もちろんこれで不良たちが更生したり、やればできるという気持ちの転換を見せることは皆無だった。これもきわめて当然のことである。いわば言葉としては最悪の禁句だからである。
 もちろん「やればできる」は両方の耳に心地よい。しかしこれは人間のやる気を根本的に阻害する意味をストレートに含んでいる。やればできる人間は、当然できる人間であることを証明しなければならない。そうするとやればできる部分が本当であるなら、ちゃんとやらない理由をあれこれ探すことになるのだ。やればできるのだから、それがやれない状態に安定してさえいれば、自分がやればできる人であり続けられる訳だ。
 いろいろ忙しく不良らしく出歩いて、不良仲間の友情を深めて、カツアゲにいそしんだりゲームセンターに行ったり、路地でたばこを吸わなければならない。やればできることを本当にしてしまったら、それが結果として証明できるかどうかが分からなくなってしまう。ちゃんと勉強などをして結果を出せなかった場合、自分はやればできる人間ではなくなってしまう。やればできる人間は、やるべきことをできるだけ避ける選択をせざるを得なくなってしまうのだ。そうして実際には、本当に現実を知っている人間ほど、やればできる時期を逸してしまい、いまさら勉強しても、とても追いつけないレベルまで普通の生徒との差が出てしまう。追いつくまでの努力の量を冷静に判断すると、もう無理だということが分かる。もしくは本当にちょっとだけ努力のまねごとをするだけで、すぐに自分の無力さを悟るはずだ。そうすると彼らの合理的な判断として、諦めるという選択しか残されていない訳だ。
 要するにやればできる人間だからこそ、彼らの不良の地位というのは、不動のものとなる。彼らは熱血先生たちの犠牲者だった疑いが、あるのではなかろうか。
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追悼なぞなぞの師匠フジモトマサル

2016-02-06 | 感涙記

 D・ボウイが死んだと思ってしばらくなんとなく落ち込んでいたが(でもまあ、アルバムは発売されているし、枯渇感ということではないが)、また、モーリス・ホワイトが死んだ。
 政治で世の中を変えるのではなく、音楽で世界を変えるのだ、と言っていた人だったが、まあ、それはそう信じていたんだろう。それなりに早いかもしれないが、ロック・スターとしては二人とも普通の年齢であるから当たり前のことではあるが、悲しいことには変わりはない。
 ところで、雑誌をパラパラ見ていると、フジモトマサルの追悼文というのが目に留まった。ええええええええええええええええええ、である。
 昨年の11月に亡くなっておられたらしい。年も近いし、糸井重里のホームページでなぞなぞをやっている頃に、僕は熱心な読者だった。一回答者だっただけのとこだが、メールを送って返事がきたりもした。主著はほぼ目を通しているし、買っているし、ファンと言ってもいいのではなかろうか。近年の活躍も知らない訳ではないから、(特徴のある絵柄だし)まったくのノーマークだった。病気しておられたのか!
 でもまあ、それより、メジャー社会でも普通に目にすることが増えていた印象があった。
 そういうことを受けて、僕としても普通に、なぞなぞ師匠がなぞなぞを辞めておられることに不満があったにせよ、何より、フェイスブックではあるが、いまだに僕はなぞなぞを毎週出題したりしていた。このもとになるなぞなぞ道のお師匠さんは、他でも無くフジモトマサルさんであり、ひょっとすると、フジモトさんに、このシリーズが届くのではないかという期待が、少しくらいはあったかもしれない。是非、僕のもとで遊んで欲しかった。
 言葉のセンスが抜群で、でも不思議な漫画やイラストを得意とする文化人だったのではないか。闘病をしていたらしいことはぜんぜん知らなかったのだが、僕の第二の青春の友だったと言っていいだろう。フジモトなぞなぞの継承者として、黙とうをささげるものである。
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伝説の元になったものとは

2015-12-20 | 感涙記

 アマゾン川の支流にネグロ川というのがある。支流とはいえ大変な大河で、コロンビア、ベネズエラ、ブラジルにまたがり、2,500キロの長さがある。水量は世界第二の水量を誇るコンゴ川を上回る。名前のネグロは、アメリカでは人に向かって使うと面倒だが、黒いという意味で、実際に水の色が茶褐色に濁っている。土壌が酸性で微生物が育ちにくく、魚の種類が約400種と極端に少ない。プランクトンなどの微生物が育たないために、餌としている魚が生きていけないものと考えられる。雨季になると広大な土地である中州などの森が水没してしまう。それらの森の木の葉が水に浸り、落ち葉が堆積し、そうした植物の葉などから染み出したタンニンが水を茶褐色に染めていく。天然の紅茶状態と考えていい。
 普通であれば水につかった木の葉などは、微生物が分解して腐敗する。そうして豊かな土壌を育て、また生き物の栄養としていきわたる。酸性が強いために微生物が極端に少なく、水に浸り堆積した木の葉などは腐ることなくそのままの姿である。長い年月そのように水に浸ることにより、さらにタンニンが抽出されるという循環を巡らせているのだろう。
 それでも魚が暮らせていけるのは、木から落ちてくる実を食べたり、同じく水面に落ちてくる昆虫などを餌にしている為である。もちろん魚以外の生物(ワニなど)も暮らしている。魚の種類自体は少なくとも、豊かな生態系を宿しているのである。
 魚同士での生存競争もある。小さい魚は大きな魚に狙われるのは世の常だ。そのような環境にあって、水面の光の反射に見せかけた色を身に着けたものが多くいるのではないかとも考えられている。いわゆる見事な色彩をもつ熱帯魚の宝庫なのだ。そうして、それらの熱帯魚を人間が捕って、生業を立てている。
 ネグロ川をどんどんさかのぼって、さらに山を登っていくと、山脈はいわゆる平たいテーブル・マウンテンのような形状をしている。その山の峰から水が集まって、ネグロ川の源流となる。そうしてその集まりは急峻な落差のある巨大な滝となって平野に降り注ぐのである。茶褐色だった水はその時に黄金色に輝くことになる。
 エルドラドというのは南米に伝わる黄金伝説であるが、あくまで神話のようなものである。ひょっとするとしかし、その神話の元になっている黄金とは、この滝の水の色のことかもしれない。少なくともジャングルの奥地に分け入ってみることのできた人間にとって、この滝の水は神秘以外の何物でもなかろう。
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助けて、美子ちゃん

2015-10-28 | 感涙記

 先日面接に来た20代半ばの女性の履歴書の文字が、きれいに整っていて感心した。そこで思わず「日ペンの美子ちゃん」でもやってたんですか? と聞いてしまったのだが、まったく意味が分からないようだった。どうも現在は、美子ちゃんの宣伝は漫画雑誌などでは無くなっているものらしい(もちろん後でググってみた)。
 今となっては明確に内容まで思い出せないが、友人の悩みがきれいな文字によって解決されるというようなものが多かった。なんとなく興味があったが、やはりハードルが高い気がして、申し込んだことは無い。
 確か高校生くらいの時だったか、友人の女の子が、以前日ペンの経験がある旨告白した。きれいな文字の見本があって、それを模写するという単純なものだったらしい。せっかくだからいくらかは努力したらしいが、一時のことだったという。実際に文字を書いてもらったが、それなりに上手いとは思ったが、彼女はなんとなく不満そうだったし、まあ、冗談のタネのような話だったのだろう。
 ところで悩むほどのことでは無いが、今はワープロになってホントに助かると思うほどに字は汚い。しかし弁解するとこれには訳がある。中学生くらいの頃にたいしてもともと成績が良くなかったくせに、さらに成績が下がったことがあった。父が何を思ったか僕のノートを見せろという。ぱらぱらと眺めて、「字を丁寧に書きすぎるのが原因だ(大意)」というようなことを言って叱られた。文字というのは書いたものが読めさえすればそれでいいのだ。さらに自分さえ分かればそれでいいので、丁寧に書くような無駄な努力をするなら、まともな勉強ができるわけがない。というような理屈だった。まったく納得がいかなかったが、まあ、下手でいいのであれば苦労は無い。僕はそれから意識的に字をへたに書く努力を怠らなかった。それで勉強をしたかといえばまったくだめで。自分が勉強するのは自分のためであるなら、学校の評価につながらないことの方が価値が高いと考えて諦めた。というかそういう理屈でサボった訳だ。
 今なら父より日ペンの美子ちゃんの方を信用した方が良かったことは明確だ。芸は身を助く。学問が芸と一緒であるかは議論の有ろうところだが、まあ、そういうこともあろう。身につかない言い訳のために、自分を助けてはいけない。結局逃げている自分に甘いことが、現在の自分であるに過ぎない。まったくひどい教育を受けてきたものである。
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寿命が延びる?それとも縮む?

2015-09-13 | 感涙記

 犬を飼っているというのは、それなりにわずらわしいことも多い。何しろ生き物だから、彼らにだって考えがある。飯を食うしトイレもする。人間から見るとだが、それなりに困るような悪さをする。子供の世話のようなこと言う人もいるが、それとはちょっと違うような気もするが、とにかく飼う人の勝手であるにせよ、面倒なんである。子供が犬や猫を飼いたいというと、親がちゃんと世話をするように約束をさせたりする。しかし子供はいつの間にか世話をしなくなってしまう。要するにめんどくさいのである。
 しかしながらこの面倒さが、どういう訳か必要になるということはあるように思う。飯を食わせたか気になるし、ちゃんとトイレをしているかも気になる。僕なんかはちゃんと世話をしている部類には入らないが、時々はそういうことが気になる。いわゆる日本語を話さないので、聞いてみたところでよく分かりえない。話しかけるとなんとなく聞いているようだけれど、意味なんて分かってはいるはずがない。ひっくり返ってお腹を見せたり、お手をしたりする。ごまかしている訳ではなかろうが、そういうことをするより仕方がないのだろう。偉いなあと思うが、偉くは無いのかもしれない。
 聞くところによると、ペットを飼っている人と飼っていないひとでは寿命に明確な有意差があらわれるという。何年延びるのかは忘れてしまったが、ペットと住んでいる人の医療費は明確に安くなるのだそうだ。例えば心臓疾患のある患者では、一般的に20%も医療費の違いがあるんだという。調査が嘘でなければ、ペットを飼うことの影響で、健康面に良いことがあるらしいと考えられる。
 たとえば犬だと具体的に散歩に連れて行くことで、自分の運動になるということはある。体を動かすことは、例えば家事をするだけでも健康にいいらしいので、ペットのトイレの掃除などでも、定期的に体を動かすのでいいのかもしれない。一般的に女性の方が食事を作ったり家事をこなすことで、健康に長生きできるのではないかという話もある。ペットの世話であれば、性別を超えて人を動かすことがあるともいえる。少なくとも寝たきりや座ったきりの生活では、ペットも飼いつづけられないのかもしれない。
 また、人というのは自分のためだけに生きているというのが、あんがいつらいのだということもあるという。集団生活を基本としているので、孤独というのも苦手らしい。人間関係の下手な人も、ペットならよく分からず付き合ってくれる場合もあろう。結果的に精神衛生上も健康でいられるということなんだろうか。
 実をいうと愛犬の杏月ちゃんがヘルニアらしいのである。家に帰ると喜んで迎えてくれる存在が、形ばかりにしか尻尾を振らない。抱きかかえられるのが(痛みのために)怖いらしい。食事をしているとおこぼれを狙って、または積極的にやれとちょっかいを出してきたのに大人しく伏している。何ともつまらん。階段の上り下りもできないし、テレビを見ていても膝の上に乗ってこない。一気に張り合いのない毎日のような味気なさを感じる。もちろん何とか良くなってくれないかという思いと、やはり年なのかな、という寂しさがあるのかもしれない。何よりつらいのは、散歩にも安易に連れて行けなくなってしまったことだ。獣医さんからもしばらくは安静を言い渡されているらしい。意地悪でない限り守るより仕方なかろう。事実比較的に元気のよい朝に、少し連れて出たが、その後動きが悪くなったらしく、つれあいに罵られてしまった。ああ、何とつらい毎日だろう。何と張り合いのない毎日だろう。僕の寿命は、きっと縮んでいるに違いないのである。
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象のリーダーはどんな象?

2015-09-11 | 感涙記

 ナミビアの象のドキュメンタリーを観た。象が賢いのは聞いたことがあったが、水のありかを探ったり、山の木に水分を多く含んだものがあるのを知っていたり、経験や知識がかなり豊富であることが見て取れた。彼らに文字があったら、ずいぶんと長大な本を書き上げることが出来るのではなかろうか。
 象は子育てに時間がかかるというのもあろうが、集団生活をしながら、実に子象を大切に育てる。母親はもちろんだが、周りにいる多くの象が子供の象を気遣い世話を焼く。象がいくら巨大だからといって、アフリカは野生の王国である。気を抜くと、まだ弱い子供の象はライオンなどの餌食になりかねないのである。
 一般的に象の群れは雌がリーダーである場合が多いと聞く。しかしながらドキュメンタリーでは、水場を巡って少なからぬ集団が、皆集まってくる。そうした一連の秩序を保つリーダーが育たなくてはならないということらしい。そうして今までいたリーダーに何らかのトラブルがあったのか、居なくなってしまったのだ。
 後継のリーダー候補が何頭かいる。ナンバー2と目されていた雄を含めて約4頭。そういう中、以前は放浪をしていたと思われるプリンスという象が、徐々に頭角を現していく。現在30歳くらい(ちなみにアフリカ象は、60年から80年くらい生きるらしい)。以前はそれなりに暴れん坊のようなところがあったらしいのだが、現在は非常に落ち着いている。若い雄がじゃれついても、難なくあしらい付き合っている。60歳は超えるという長老が寄ると、鼻を相手の口元に寄せて敬意を示す。力を誇示して相手を屈服させるのではなく、コミュニケーションを巧みにとって、集団から信頼を得ることが先なのである。
 そういうある日、若い雄がこめかみから分泌物を出して興奮している。象は興奮するとそうなるらしい。まだ交尾をする年齢ではないらしく、自分の興奮をうまくコントロールできないのではないかという解説がある。荒々しく振る舞い、水場に近づく他の象に、乱暴に手出しをする。見かねたプリンスが近づき、要所では力で制し、この若い雄を落ち着かせるのである。他の有力象たちも、すっかりプリンスを新たなリーダーと認め、敬意を表すようになっていく。
 他に、象は昼間と違って夜にはお互い争い事はしないという。夜はライオンなどの動向を音から探る必要があって、観察のために争わないのではないかということだった。
 象の社会の秩序というのは、ある意味で極めて民主的な能力で決まるらしい。選挙ではないが、多くの支持を受けているからこそ、リーダーと認められているように見えた。これを教訓にすべきは誰か? ついつい人間社会を考えてしまうのであった。

追伸:それにしても象のメスの個体は、四年に一度、それも数日しか発情しないんだそうだ。そういうことも関係してか、若い雄が興奮が収まらないようなことになるんではあるまいか、と心配したりいたしました。
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