先日面接に来た20代半ばの女性の履歴書の文字が、きれいに整っていて感心した。そこで思わず「日ペンの美子ちゃん」でもやってたんですか? と聞いてしまったのだが、まったく意味が分からないようだった。どうも現在は、美子ちゃんの宣伝は漫画雑誌などでは無くなっているものらしい(もちろん後でググってみた)。
今となっては明確に内容まで思い出せないが、友人の悩みがきれいな文字によって解決されるというようなものが多かった。なんとなく興味があったが、やはりハードルが高い気がして、申し込んだことは無い。
確か高校生くらいの時だったか、友人の女の子が、以前日ペンの経験がある旨告白した。きれいな文字の見本があって、それを模写するという単純なものだったらしい。せっかくだからいくらかは努力したらしいが、一時のことだったという。実際に文字を書いてもらったが、それなりに上手いとは思ったが、彼女はなんとなく不満そうだったし、まあ、冗談のタネのような話だったのだろう。
ところで悩むほどのことでは無いが、今はワープロになってホントに助かると思うほどに字は汚い。しかし弁解するとこれには訳がある。中学生くらいの頃にたいしてもともと成績が良くなかったくせに、さらに成績が下がったことがあった。父が何を思ったか僕のノートを見せろという。ぱらぱらと眺めて、「字を丁寧に書きすぎるのが原因だ(大意)」というようなことを言って叱られた。文字というのは書いたものが読めさえすればそれでいいのだ。さらに自分さえ分かればそれでいいので、丁寧に書くような無駄な努力をするなら、まともな勉強ができるわけがない。というような理屈だった。まったく納得がいかなかったが、まあ、下手でいいのであれば苦労は無い。僕はそれから意識的に字をへたに書く努力を怠らなかった。それで勉強をしたかといえばまったくだめで。自分が勉強するのは自分のためであるなら、学校の評価につながらないことの方が価値が高いと考えて諦めた。というかそういう理屈でサボった訳だ。
今なら父より日ペンの美子ちゃんの方を信用した方が良かったことは明確だ。芸は身を助く。学問が芸と一緒であるかは議論の有ろうところだが、まあ、そういうこともあろう。身につかない言い訳のために、自分を助けてはいけない。結局逃げている自分に甘いことが、現在の自分であるに過ぎない。まったくひどい教育を受けてきたものである。
なぜ、あれで文字が美しくなるのかさえも、もう記憶にありません。
その後、指の運動をする道具はどこへ行ったのやら?
練習帳類はまだ、書棚のどこかにあるはずです。
まじめに取り組めが良かったかもですね。
それにしても、最近はあんまり字が上手になりたい欲求が少なくなったのか、はたまたこのような取り組みを売る会社が減ったのか。字の上手な人には、いまだにちょっとだけ憧れますけどね。