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カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

クラゲの魅力とは何か

2019-05-30 | Science & nature

 クラゲが水族館で人気になったのはいつからのことだろう。少なくとも、僕が子供のころには、こんなにクラゲは注目されていなかった。そのころの人々は、あまりクラゲに注意が向いていなかった。今の人々をクラゲがひきつけるようになったのには、やはり今の人々の世情が関係あるのだろうと思う。
 見た目のクラゲが、ある種の人々を引き付けるのは間違いなかろう。海の中(あるいはほかの場所)をゆらゆらと漂う。生きているものに、その生きている意味を問うのは野暮なことだが、とみにクラゲのこの漂うだけの生態に、何か人間は妙な感慨を抱いてしまうのではないか。一見クラゲは何も考えていないで、ただ漂っているように見える。
 実際のところ、クラゲは何も考えていない可能性は高い。何しろクラゲは脳を持っていない。脳がモノを考えていると考えている人間にとっては、脳無しのクラゲは、モノを考えていないことになる。考えていないだけでなく、考えるという概念すら持っていないだろう。
 しかしクラゲは刺胞という長い尻尾のようなものをもっていて、これで獲物を捕らえ、時には毒を刺してマヒさせ、食べてしまう。そうすると、漂っているのは、獲物を捕らえるためなのかもしれない。栄養がたくさんつくと、どんどん大きくなる(もちろん種類にもよるが)。栄養が足りなくなると、小さくもなる。雌雄があって、生殖活動もする。しかしその姿のまま子供を残すことは無く、ポリプという形に姿を変え、フジツボのようなものに取り付いてから、子供を産む。いや、厳密には子供のようなものを放出する。それはクラゲの子供のコピーのようなもので、増殖するようなものかもしれない。そうしてその幼体から変形を経て小さなクラゲになり、その後大きくなったりするわけだ。我々がクラゲと認識しているのは、その生体として、プランクトンとして海を漂っている時期のことである。
 クラゲは生態的にも魅力的な生物であるが、いわゆる癒しとして人気があるのは、水族館のオブジェとしてではないか。泳いでいるときのクラゲは、刺すので厄介者だし、漁師の網にかかるクラゲは、漁の邪魔をするごみのようなものである。我々の多くは、クラゲのほんの一面しか見ていない。そうして癒されているわけだ。
 クラゲは何も考えていないかもしれないが、我々も何も考えていないのかもしれない。そういう思考の循環を促す存在として、我々に問いかけているのかもしれないが。
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長く子供でいられるために

2019-04-30 | Science & nature

 野生の動物界においては、出産後しばらくの子供時代は、天敵に狙われるなど、たいへんに危険な時期である。シカや牛などの哺乳動物においては、出産後数時間もしたら立ち上がって走り出すことができるという。敵から身を守るためには、まずは自分が逃げなければならない。弱い立場の者たちは、逆に最初からたくましいのである。
 一方で人間はどうなのかということだ。生まれてから数年間は、親の保護が無ければとても生きてはいけない。食料を取ることももちろん、身の回りのことのほとんどを、自分の力でやることはできない。このようなことから、人間という生物はなぜこのように未熟なのか、という疑問を持つ人も多いことだろう。
 もちろん諸説あるにはあるが、基本的に人間の幼少期に生きる力がないのは、脳の発達を優先しているためではないか、と考えられている。脳が様々な学習をするうえで、幼い好奇心があるままでいたほうが、都合のいいことがあるというのである。そもそも人間の脳は体のわりに大きな状態で生まれてくるわけだが、それでも発達の上では未熟な状態で生まれる。もっと発達した状態で生まれてしまうと、大きくなりすぎて母体がもたない。外に出られる最大の状態であっても、まだまだ未熟であるから、それからの発達がさらに続くものと考えれている。そうして子供の状態が長く続くことで、脳の発達はさらに伸びることになる。大人として成熟し固定されてしまう脳になる前に、十分に時間をかける必要があるようなのだ。
 人間になつく動物は、特に犬のような生き物は、大人になってもいつまでも子供の性質を残したままのように見える。実はこれはそのような性質をもった個体を選別して人間が飼ってきたために、犬の方で獲得したというか、いつまでも子供のまま成熟せずに大人になる個体になってしまったものである。いわば人間が作り出した動物なのである。人間にはこの子供っぽい性質に対して(男性であっても)母性的な本能が刺激されるようで、長く人間の子供を育てるために持っている本能的なものなのかもしれない。結果的に人間の特性として、ペットを飼うようなことをしてしまうのだろう。人間が生きていくというのは、子育てをすることを目的としたプログラムがあるに違いない。
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土星の輪は新しい

2019-04-20 | Science & nature

 土星といえば、なんといっても特徴的なリング(環)である。子供のころ父親が買ってきた天体望遠鏡で土星にちゃんと環がかかっているのを見て、ひどく興奮したことを覚えている。生きていてよかった。
 土星の環は何でできているのかというと、ほとんどが氷なんだそうだ。そうしてこの氷が古くなって汚れていないことから、比較的新しいものであると考えられるという。土星が生まれた45億年前は、土星には環が無かった。そうしてそのころには、土星の周りにはそんなにチリは舞っていなかった。ごく最近になってチリ(氷)の量は増えてきて、そうして土星の環を形作っていったらしい。新しいから輝きが美しく、もっと古くなると黒ずんでいくのだという。
 しかしながらこの新しい現象は、今から1~2億年前くらいからとのこと。恐竜などが地球を闊歩していたであろう頃からという。それは宇宙の時間軸から考えると、ごく新しい出来事だったのだそうだ。
 もちろんごく最近であるその時代には、まだ人類は誕生すらしていない。宇宙のごく新しい出来事のトピックとしては、人間は最近過ぎてまだカウントに入れてもらえないのかもしれない。
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母乳を飲んで健康に

2019-04-16 | Science & nature

 赤ちゃんはお母さんの母乳を飲んで、驚くほどの速さで成長する。それで以前は、母乳には赤ちゃんの成長を促す、何か強力な成分が含まれているのではないかと考えられていたらしい。もちろん、そのような成分が含まれていないわけではないようだが、赤ちゃんが消化吸収できないオリゴ糖が、かなり含まれていることが分かった。消化吸収できない成分がなぜそんなに必要なのか、当初はそれなりに謎だったらしい。
 オリゴ糖は赤ちゃんの腸内のいわゆるビフィズス菌(ビフィド・バクテリウム・インファンティス)という腸内細菌、いわゆる善玉菌を爆発的に増やすことが分かった。腸内の善玉菌が増えることで、赤ちゃんの免疫抵抗力が飛躍的に高まるのではないかと考えられている。病気に強い個体として成長するのに欠かせないということだ。実は体の成長よりも大切なのは、抵抗力を高めて病気をしないことなのではないかということらしい。
 僕は胃腸の調子が慢性的に弱いようで、日頃から軟便である。たぶん悪玉菌だらけなのではないかと思われる。さらに乳製品にも弱く、牛乳などもってのほかで、外出の予定があるときはとても飲めない(好きだけど)。だからだろうか、年に20回ほど風邪をこじらせてしまう(実際に何年か数えてみたら、そんな感じである)。しかしながら風邪をひくと、どういうわけか軟便が治まる。どうしてだろうか、と不思議に思っていた。
 これは風邪が原因なのではなく、おそらく風邪をひいたら風邪薬である抗生物質を飲むためではないかと思われる。腸内の細菌が減るために、軟便が治まるのではなかろうか。
 もっともこれは、悪玉菌はもちろん善玉菌も一緒に減らしてしまうのではないかと考えられる。体の弱さの悪循環である。いまさら母乳を飲むわけにはいかないが、オリゴ糖の含まれる食べ物をせっせと食べる必要があるのだろう。豆腐は好きで結構食べるんだけどな。まあ、頑張りましょう。
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近視は予防できるらしい

2019-02-15 | Science & nature

 世界的に近視の問題は深刻になっているらしい。もう世界の人間の50%超える人が近視であるという。またアジア諸国では80%を超える国もある。厳しい受験競争など原因が取りざたされているが、勉強をするから目が悪くなるとばかりも言えないようだ。
 近視の人の眼球は楕円形に伸びるように変形しており、それで焦点が合わせられなくなっている。そういう変形の眼球を治療する術は今のところなく、自然に近視を治すすべもないようだ。ただし、レンズにレーザー光線を当てて切れ目を作って焦点を調節する治療法ならあって、機械で決められたパターンをあっという間に切って近視を治すことはできる。フランスなど合理的な考え方をする国ではごく一般的にこの治療を受ける人が多いようだ。もっともあちらでも保険適用外で、それなりの治療費であるらしい。8秒で近視は治るというふれこみで、人気なんだそうだが。
 瞳孔を開かせる薬を使った治療もあるらしい。しかしまあ、これも問題があるとか効果がないとかも言われている。
 しかしながら近視を予防する方法なら明確に分かっている。子供のころの話になるが、単純に一日2時間以上外で過ごすだけで近視予防の効果があるという。太陽光の明るさの中で活動するだけでいいので、外でスマホやタブレットなどを操作して遊んでいたとしても、近視にはなりにくいのだという。そのような取り組みをしている台湾などで、実際に子供の近視は減っているらしい。
 さて僕の趣味は散歩であるが、せいぜい外で歩くのは一時間程度である。すでにひどい近視だから手遅れだけれど、近年は老眼も進んで大変に不便である。事務仕事の内容次第では、夕方から目がかすんでテレビの文字でさえうまく読めなくなってしまう。本当に困ったものだ。
 実は効果があるのかどうかよく分からないのだが、散歩などで外に出ると、できるだけ遠くを見るようには心がけるようにしている。散歩をして外から帰ってくると、少しだけ目の疲れが薄れているような気がするからだ。もっとも気がするだけのことで、効果はないのかもしれないが。
 そういう話を飲み屋のカウンターでしていたら、なんとそこに座っていた5.6人が(50代男性)すべて何らかの目の体操を習慣的にやっているらしいとのことだった。目というのは、やはり皆衰えるもののようだ。安心というか驚いてしまった。もうこれは、頑張って目をいたわるより仕方ないです。
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ヘソはカメにもあるらしい

2019-01-30 | Science & nature

 テレビでカメにもヘソがあるというのをやっていた。人間にもヘソはあるが、これは胎児のときに母親から栄養をもらっている名残だということくらいは知っている。カメは卵から生まれてくるのに、どうしてヘソがあるんだろうか。
 卵の中がどうなっているのか正確に知らなかったわけだが、卵の中ではカメの体は、栄養のうから栄養を取り、尿のうへ老廃物を排出して成長していくらしい。それらの二つの袋とつながっているのがヘソの緒なのだ。カメは爬虫類だから、ほかの爬虫類も同じで、ちなみに鳥類も同じで、ひよこにはやっぱりヘソの跡があるらしい。羽毛があるんでわからないだけなのかもしれない。
 人間は進化の過程で、その卵の構造を母親の体の中でおこなうものに変化したものらしい。まあそれが哺乳類なんだろう。母親のおなかの中で成長するというのは、要するに栄養をもらうというイメージはあったのだけど、老廃物も任せていたわけだ。生物が成長するというのは、やはり入るものと出るものがセットになっていないといけないということなのか。知らなかったとはいえ、いろいろお世話になってたんだな。
 人間の場合はさらに赤ん坊時代と子供の時代も長いので、相当の時間は育児を受けなければ成長できない。野生動物などとはかなり事情が異なるとはいえ、やっぱりずいぶん特殊な感じもする。結果的に成長後の大人は自然の脅威となるが、成長段階では極めて弱い存在だ。まあ、大人を使って自然破壊していることには違いはないのだろうけれど。
 それにしてもヘソというのは、なんだか妙な跡である。でべそだからひやかされたりするのは、考えてみるとよくわからない。出ていようがへっこんでいようが、ヘソという部分の奇妙さは、そんなに違わないようにも思える。なければもっと奇妙だけど、それはすでに人間ではないというだけのことだろう。
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正しく選んで不満が残る

2018-11-29 | Science & nature

 コンピュータ(AI)に猫と犬の写真を見せて、どちらが犬か猫か当てさせる。実はこれはそんなに簡単では無い。人間にはなんでもないことでも、そもそも犬の特徴とは何か、猫の猫らしさは何かという情報は、実に複雑だ。さらに最近は人間にだってこれがよく分かりにくい場合がある。うちの愛犬は時には「ニャー」と哭く。まあ、見た目はイヌだけれど。
 当然コンピュータは、写真を見せられた程度では最初は簡単に間違う。犬も猫も四足だし、しっぽだってある。そういう特徴的なものの数は同じであるから、その形や毛並など、もう少し踏み込んだ情報が必要である。従来はプログラムを組んで、それらの細かい特徴で選択させていたようだ。しかしながらそれでは犬という全体を割り出すときになかなか難しいらしく、まったく同じ個体のポチであれば探し出せるというようなことになってしまっていた。
 ところが今はちょっと違うらしい。コンピュータそのものに学習させていくのである。それこそ膨大な数の犬や猫の写真を見せて、そうして答え合わせをしていく。最初は間違いだらけでも、次第にその正解の精度が上がっていく。そこが今のAIの凄いところで、エラーを重ねた経験が、生かされていくようになる。それはある意味で人間と同じことかもしれない。しかしながら決定的に違うのは、その情報量に対する許容だろう。いわゆるビッグなデータを瞬時に飲みこんでいって、成長するスピードも驚異的になるのである。最終的にはイヌやネコの違いは、かなりの程度正確に割り出せるようになる。
 そのような学習方法によって、結果的に正確な答えを人間より先に知ることになる。何しろ相手は電気信号で情報を扱う。人間の処理スピードよりはるかに速い。電卓が計算において驚異的に人間よりスピードが速いように、それらの答えにたどり着く速度は、人間には太刀打ちできない。
 それでもやはり、間違うこともあるではないか。そう人間は考える。
 人間は間違えて良くても、AIは間違えてはいけないのか。そういう疑問は無いのか。さらに間違うと言っても、その理由や結果は人間に分かり得るのか。ビッグデータを扱う上で設問に対する答えについて、多くの場合人間にはそのプロセスが理解できない。しかし答えは目の前に出され、困惑する場合があるのだろう。さらに多くの場合答えは合っていて、もの凄く稀な場合、間違っているのかもしれない。AIに対する不安は、その小さい確率の間違いについてではないか。
 現在心臓移植のを受ける患者を選ぶ際に、AIを使って成功を収めている病院があるという。せっかくドナーから提供を受けても、受ける側との相性が悪い場合が多いのだという。しかしながらAIなら、過去の膨大なデータから類推して、その時に一番適当である人間を選び出せるのである。
 しかしながらこれは、順番で待っている人間の側にとっては、死の選択を受けているにも等しいかもしれない。その後の命の長さを、AIが握っているのかもしれない。そう考えてしまう人は、恐らく少なくないだろう。特に実際に選ばれない人にとって見れば。
 最適解ではあるが、それは誰かにとっては不幸かもしれない。しかし最適なのだから、その犠牲において全体には幸福がもたらされるという事か。これを割り切れるのは他人事で、当事者になってみると、これは確かに難しい問題のように思える。
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貯蔵に優れた機能に苦しめられる

2018-11-21 | Science & nature

 体についている脂肪は、1キロで7000キロカロリーあるんだという。成人男子の3日分の摂取カロリーに匹敵するらしい。これはエネルギーとしては、かなり膨大なものなんだそうだ。しかしながらこれを減らしたいとして3日食べなかったとしても、1キロの脂肪がそのまま減る訳では無い。そういう都合の良い具合には減らないのは、困ったことだ(それでも食わなければそれなりに脂肪は減るだろうけど)。それに3日も食わないと、かなり精神的にもつらいだろう。他に体調を崩すかもしれない。無理に食べない期間の後急に何か食べても、今度は胃の方が受け付けないなど厄介なことが起こりそうだ。自分の体といっても、コントロールは難しい。
 要するに日常的に食事をとらなければならないのに、その量を減らすのが難しいことなのだ。飽食の時代というが、捨てても捨てても食べ物は身の回りにあふれている。要するに捨てるほど調達できてしまうシステムに取り組まれている訳で、そういう世界から抜け出すことが出来ない以上、困難は続く。肥満の人が入院したり刑務所に入ったりすると痩せるというが、普通の生活をするだけでダイエット出来るのに、それが出来ない環境にあるという事になるのだろう。それはある意味で個人の問題だけにとどまらないことなのではないのか。
 一部の渡り鳥を除いて、鳥は飛翔能力を保つためにほとんど脂肪を身につけられない。脂肪で重くなった体は、飛ぶのには向かない。だから毎日食べ続けなければならない。カロリーをため込めないので、いつも飢餓状態のようなものなのかもしれない。
 おそらく人間という動物は、そのような事態から身を守るために太りやすくなったのかもしれない。常時摂食しなくても生命を維持する機能として。しかし飢餓が訪れなくなった社会においては、その機能がアダとなっている。優れた機能を活かしきれていないのが、現代という環境なのだろう。
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栄養が少ないから透明で黒くなる海

2018-09-18 | Science & nature

 黒潮の恵みなどと言う言葉もあるが、その言葉からは豊かな栄養豊富な海という印象は無いか。黒潮の流れは非常に早く、透明で澄んだ海水である。それはプランクトンの少ない栄養分の少ない水なのである。プランクトンの育ちにくい栄養の少ない水だからこそ、透明度が高くなり、ずいぶん深いところまで光が届く美しさがある。
 ところが黒潮の名前の通り、海面から海を見ると、黒っぽい海のように見える。これは光が深いところまで到達してしまうために青い可視光の反射が少なくなり、人間にとっては黒く見えるという事なのだ。
 また栄養分の少ない海水であるとはいえ、その流れの影響で、深海からの流れを岸まで運ぶ力も働く。黒潮の流れに乗って、熱帯の沖から海流に乗って流れ泳いでくる生き物もたくさんいる。またそれを追って中型の魚や、さらに大きな魚が集まってくる。結果的に日本近海の海の豊かさに、大きな影響のある流れであることは間違いない。黒潮のおかげで、日本は豊かな海の恵みを享受してきたと言えるのである。
 また日本の気候も、この黒潮の影響を受けている。もちろんその他の要因が複雑に絡んでのことではあるにせよ、黒潮の恩恵無しに私たちの暮らしは無いのかもしれない。日本列島の位置する緯度の多くは、砂漠など過酷な環境化が多い。日本列島と大陸の間に日本海があり、日本の陸地には急峻な山々が立ち並んでいる。黒潮の温かい流れが雲を作り、日本海側は有数の豪雪地帯となっている。また雨も多く降る。雨は陸地の栄養を、沿岸の海にもたらす。貧弱な栄養の水は、沿岸部においては多くのプランクトンを育む豊かな海へと変貌するのである。
 日本には、資源の少ない国という印象があろうかと思うが、そのような循環の上に、豊かさを享受する仕組みになっているとも考えられるのではないか。なんとなくそこに暮らす人間の考え方にも、影響があるのではないかとも思うのである。
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真実は想像力が覆す

2018-08-13 | Science & nature

 マルクス・ガブリエルというドイツ人の若き哲学者が日本に来て、いろんな人に会っていろんな話をしているというのを見た。彼は、世界は存在しないとか、妙なことを言っている人だというのは分かった。まあ、存在しないという文法なんだろうが。
 分かりにくいものを分かりやすく語っている人だというのは分かって、例えば彼はドイツ人だが、非常に分かりやすい英語を使っている。日本に来た印象として秩序について考えたようで、その中での個人という事について、日本人には分かってもらいたいというのがあるようだった。ドイツ人はそれがあり、日本人は無いという印象をもったのだろう。例えば出会いというものは、待っているものには訪れない。受動的な物事であっても、能動的な行動での上で、いわば奇跡のような偶然があって、生まれるものだ。恋は落ちるというが、動いている人間が落ちていくようなものだという事なんだろう。
 そういうことは分かるし、日本人の生き方において足りないように見えるのも、そうなのかもしれない。そういう意味では、彼は日本人の生きたにも影響を与えうるかもしれない。人気があるのもそういう部分だろう。
 そこまでは良かったのだが、彼は大阪のロボットで有名な石黒浩教授に会いに行く。そこで例の石黒本人に似たロボットも見る。そうしてまだ本当には人間らしくないロボットにいささか安心したものがあったようだ。そこで石黒教授の説明があって、ロボットをいくら人間に似せたところで、ディティールの違いが逆に見えてくるような事があって、むしろ人間としていい加減に作っている抱き枕のようなものに、少しだけ人間のような要素を入れると、人間の方がそれを想像力で補って人間らしく感じるようなことが起こるというようなことを話した。そういう境界というのはあいまいなところがあり、突き詰めて考えてみると、ロボットと人間の境界や、そもそもの人間とは何かというものは、分からなくなっていくのではないかという事を話していた。
 そこでマルクスさんが言ったのは、人間というのはまず最初に明確なものがあって、いつまでもロボットとは交わらないという話をした。まず人間があるというのは譲れない問題であって、その話自体を理解できないようだった。それがドイツ人というものであるという事も言っていた。要するに日本人のようには(他のもの、ロボットなどに)親和性は無いという意味であろうし、そうして個人という厳密さの意味だろう。
 単純に見て哲学者の限界かな、というのが僕の印象だ。石黒教授の考えていることは、人間中心主義にとってはブラックユーモアかもしれないが、自然な人間の感情に過ぎない。思想を越えたものがあるし、真実である。そうして哲学的な命題でもある。その答えとして哲学者は何を考えるかが重要で、自分がいるだけではどうにもならないだろう。もし、もっと人間らしいというようなロボットが目の前に居たら、又はその想像力を彼が持っていたら、答えは違うはずだからだ。もちろん哲学は自分がどう思うだけでも成り立つが、普遍性のある哲学にはならない。その役割は、やはり科学がとってかわったという瞬間なのではないか。やっぱり哲学は既に終わっているな、というのが正直なところである。個人の限界というのは、すでに見えていることのようだ。さらにもう人間自体も終わっているのかもしれなくて、次に来るのは、人間自体が物を考えるだけでない自然と科学の共同的な思想かもしれない。
 それでも何か哲学に期待しているものがあるのかもしれない。人間にはノスタルジーがあるようなもので、そこに真実が無いとしても、期待だけは残るのだろう。哲学が生きているのは、たぶんそんなようなものなのではないか。
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ニュートンの猫の扉

2018-02-16 | Science & nature

 万有引力の法則などで知られるアイザック・ニュートンは、錬金術など発明に関しても様々研究をしていたと言われる。実際にいろいろなものを実験的に先駆的に作ったらしい。
 その中には扉のついていないシンプルな猫の扉というのがある。部屋のドアの下のところに猫の通り道として穴があけられていたらしい。それも親猫と子猫用の二つ(大小)。
 ニュートンはたいへんに頭の良い人と思われている訳だが、こんなことをしたために多くの人が、実は大変に頭が悪いか、頓馬な人ではないかと疑いをもつことになった。その為か、これは事実か否かという議論もある(穴の開いた扉が存在したことは事実らしい)。まったくニュートンともあろう人が、あり得ないミスではないか。
 もちろん子猫は、親猫のとおる大きめの穴であっても通り抜けることが可能だ。要するに小さい穴は無駄なはずである。だからそんなことに気づかない人間は、考えが足りない人のように思える。
 しかしながら実際に猫の扉としての穴が二つあけられたというのは、本当に考えが足りない所為だったのだろうか。最初にあけた穴が小さすぎて、大きい猫のために新しい穴をあけたとも考えられる。しかしその場合なら小さい穴を、大きくサイズアップしてもいいはずだ。もしくは最初の大きな穴をあけたけれど、特定の猫しか通らなかった。それで少し小さいサイズの穴をあけたところ、そちらを通る猫がいたとは考えられないか。
 現代でも猫の通り道としての扉を作っている家はたくさんあると思われる。やはりいくつもあけているような頓馬な人は少ないようだ。何事もパイオニアの人は、ちょっと考えすぎて失敗した痕跡なのかもしれない。もちろん考えが足りな過ぎて、という疑いは晴れない訳だが。
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光は目立つためでなく

2018-02-10 | Science & nature

 深海に棲む魚の多くは、自ら発光するものが多い。深い海の暗い中で光るというのは、非常に目立つように思われるが、実際は自分の体を隠すためであると考えられている。それは発光する場所が、体の下の方であることが多い為だ。深海といえども海の深い部分から見上げると、かすかに太陽の光が届いている場合があるらしい。そういうところで光らずに泳いでいると、自分の体が黒くシルエットとして浮かび上がることになる。大きな捕食者からすると、見つけやすくなる訳である。そういう場合に体の下の部分を発光させると、カウンターイルミネーションという現象で、わずかな光と調和して姿が隠れるように見えるという。発光を身につけた生き物が、暗い深海でも生きながらえてきた証でもあるのだろう。
 発光している訳では無いが、水鳥は白い色をしているものが多い。体全体が白くなくとも、体の下の部分が白っぽい傾向があるようだ。森の中で木に止るなどすると非常に目立つわけだが、これも実は体を隠している為だと考えられている。捕食される危険よりも白いために有利であるのは、自分が捕食者の立場にあるときだ。魚たちは水より上の世界は、太陽の光で白っぽく見えているらしい。それで水鳥が近づいていることに気づきにくくなっているようで、その攻撃に対応が遅れるという事だ。狩りの効率を上げるために、水辺で魚を獲る鳥は白くなったという訳である。
 多くの生き物は、その棲んでいる環境においては周りの色と同調しているのかもしれない。あんがい狭い世界で、そのひとところで生きている生物は多いのかもしれない。もちろん人間だって、野生の世界だと生きて行くのが大変に厳しい。それで建物を立てて、閉じこもる。場合によっては環境に敵対する。生物としては、やはりだいぶ変わり者のようである。
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生き延びる王様

2018-01-11 | Science & nature

 アメリカ南西部にあるソノラ砂漠に、リーガルツノトカゲというのがいる。王様の王冠のように立派なトゲがあるという事だが、全身とにかくトゲだらけだ。しかしながら砂漠の中にあってその姿自体がカモフラージュになっているようで、安易に見つけられるものでは無い。体の輪郭に沿ってもトゲトゲがかたどっていて、自分の体と地面との境界の色をあいまいに見せる効果がある。鳥などの空や上からの敵からは、動かなければまず見つからない。さらに暑いときは砂に潜るので見分けがつくわけが無い。
 しかしながら天敵は多く、成長段階で多くが犠牲になる。成体になるまで、大変な経験を積んでいるようだ。
 ガラガラヘビなど動きの遅い蛇などからは、素直にかっ飛んで逃げる。数十メートルなら素早く走ることが可能だ。しかしながら追跡型の蛇というのがいて、長距離追ってくるような蛇だと、逆に背中のトゲトゲを体を斜めに持ち上げて見せつける。相手は舌で大きさや形を確認するわけだが、このトゲトゲを呑み込んでいる途中でトゲが刺さって飲み込めなくなって死ぬような蛇の個体もいるらしい。要するに獲物とて最大限めんどくさい相手であることをアピールするのである。
 また、犬などの哺乳動物などに絡まれると、目から血を噴出し撃退する。リーガルツノトカゲは主に蟻(特に毒の強いヤツらしい)を主食としており、血液の中には蟻酸が混ざっており犬などが嫌う臭いなどがあると考えられている。血は1メートル以上も噴出することがあり、体の三分の一も攻撃のために使うこともあるらしい。
 ものものしいトカゲのようだけれど、砂漠の中にあって多くの天敵に囲まれて暮らす弱者として、このような防衛の手段を身に着けて生き延びてきたという事なのであろう。それでも個体数が圧倒しているという訳では無い。自然界のサバイバルは、小さい隙間の中にあっても独自の進化を促すという見本的な生き物なのではなかろうか。
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シマウマの模様は何故?

2018-01-03 | Science & nature

 シマウマの縞模様の謎問題というのがある。あくまで人間の考えであるとは思うものの、サバンナなどの草原において、シマウマの縞模様は大変に目立つように思われる。ライオンなどから捕食される立場にあるはずのシマウマが、どうしてそのような目立つ文様を持ちながら進化の途上で生きながらえてきたのだろうか。
 ところが多くの場合この説明の答えとしては、シマウマは集団行動をとるので、逆にこの縞模様の重なり具合において、捕食者の目をごまかすのではないかと考えられてきた。確かに縞模様がいくつも重なりあうと、個体数や遠近感などが鈍る場合がある。何か目標を定めて狩りをする場合に、途中で惑わされることが起こっているのではないかと予想されていたわけだ(ライオンの心情を人間が慮ってだけれど)。
 しかしながら近年になって、この縞模様のおかげで虫から避けられているのではないか、と言われるようになった。特にサバンナにいるツェツェバエなどの吸血昆虫からは、縞模様の所為で刺されることは減っているというデータがあるらしい。少なくともツェツェバエは、単一の毛並みよりも縞模様を嫌うのだそうだ。
 ある意味で大発見であるから皆喜んでいるが、やはり縞模様というのは人間の側の謎めいた想像をかき立てるためではないかという気もする。例えばパンダがなんであんな可愛いコントラストになったのか、人間なら不思議に思う人が多いだろう。何とか理由を知りたいと思う人が多いのではないか。
 別段僕は理由を知っている訳では無いが、人間の合理的な考えと相容れない現実がある、という事が一番なのではあるまいか。実は人間の子供は、自然界の謎について、勝手に合理化した嘘をつきやすい。山本有三の小説では、星が落ちないのは仲良く手をつないでいるからと書いた。そういう比喩は貧乏人であっても人との協力が大切であると説いたものかもしれないが、それが嘘であっても子供は納得する場合がある。いや、子供でなくとも、そのような大人だっている気もする。要するに説明的に合理性が感じられることで、人間は安心したいだけなのかもしれない。
 かえって夢を壊すようなことかもしれないけれど、シマウマ本人だって理由を知らない可能性が高い。しかしシマウマは、ある意味で繁栄し生き延びた。それが事実だろう。さらにシマウマに言わせたら、なぜ人間は変な格好で変な色をしているのだろうと思うかもしれない。合理的にシマウマに説明できる人が、本当に人間にいるのだろうか。
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子供のまま大人になるという事

2018-01-01 | Science & nature

 犬の先祖はオオカミである。犬直系の先祖のオオカミの種は、すでに絶滅したと考えられている。しかしながら犬は、基本的にオオカミとも交配可能で、種としては極めて同種のままである。それでもはっきり違うほどの差があるように、進化の過程で違う道を歩んでいるように見える。
 実は人間も、サルとの種としての境界は極めて近い。遺伝上はチンパンジーなどとほとんど違いは無い(交配は出来ないほどになっているが)。
 犬と人間との関係は深いが、進化の過程もこの種はとても似ていると言われている。それはネオトミー(幼形成熟)と言われているものである。本来オオカミは警戒心が強く、自分たちの仲間以外に対しては、常に攻撃的である。同種でも群れが違えば咬み殺してしまう。オオカミの子の時はイヌと変わらぬ生態や性質であるが、大人になるとまったく違う性質になってしまう。要するに犬は大人になっても子供の性質を残したまま、遊んだり好奇心旺盛だったり、警戒心がゆるいのが特徴なのである。野生動物が自ら人間の方に近づくことは極めてまれなことだが、人間と犬との関係では、犬の方から人間に近づいたと考えられている。その時に既に人間の方もネオトミーがおこっており、サルとの分離する警戒心の薄い性質が生まれていた様子である。そのようにしてお互いが出会い、共生するようになったと考えられている。
 チンパンジーなどは、あまり周りの空気を読んだり相手に同情するなどの感情は薄いようである。そのような相手の心を読むような性質は、犬の方が高いといわれる。また人間の方も、そのような犬の性質を真似て、群れの円滑な関係を保つ努力をしたとも言われている。現在の人間社会への影響も、犬と共に暮らしていたことと無関係ではなさそうである。
 もちろんネオトミーは、野生の中で生きて行く上では、かえって危険な要因である。警戒心が薄い所為で、進化の途上で絶滅した種は数多いことだろう。また、人間に飼われている動物の多くは、このネオトミーが少なからず起こる事が知られている。人為的にそうされている動物(交配の選別などによって)も多いが、犬のように飼われている歴史が長くなっている猫なども、将来的にはイヌと同じような性質になっていくのかもしれない。もともと犬猫は共通の先祖をもっている訳だし、別れていた道は、将来は同じになるのかもしれない。
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